桜花彩麗伝
     ◇



 羽林軍の地下牢で、黑影は拷問用の木椅子に手足を縛られていた。
 (むち)打ち、水責め、熱した焼き(ごて)を押し当てられるなど、容赦のない度重なる拷問を受け、既に傷だらけの身体はますます生傷が絶えない痛々しい姿となっている。

 しかし、いかな苦痛にも頑として口を割らないどころか、息も乱さず耐えていた。
 蕭家の私兵の中でもことさら律儀(りちぎ)な黑影のせいで、尋問は思いのほか長引く始末であった。
 悠景は困り果てたようにこめかみを掻き、朔弦を(かえり)みる。

「……どうする、朔弦。これじゃ根比(こんくら)べだ」

 黑影に背を向けると、声を落として窺う。

「もっと痛めつければ吐くんじゃねぇか? 殺さねぇ程度によ」

「この様子だと、この男は死ぬまで耐え抜くでしょう。ただ痛めつけるのでは意味がない」

「じゃ、どうすんだ」

 例によって困りごとは英明(えいめい)な朔弦に丸投げしたが、悠景の磊落(らいらく)性分(しょうぶん)はしかし、いまに始まったことではない。
 少しく思索(しさく)(ふけ)っていた朔弦は、悠々と黑影のもとへ歩み寄っていった。

「随分と粘るな。蕭家には恩でもあるのか」

「……おまえには関係ない」

 わずかに頭をもたげ、黑影は垂れた髪の隙間から朔弦を()めつけるように見上げる。
 弱々しい声ではあるが、覇気(はき)を失ってはいない。

「目を覚ますべきだ。おまえがいくら忠義を貫いたところで、結局は連中にとって蜥蜴(とかげ)の尻尾に過ぎない」

「なに……」

「連中のそういう性質を、長年間近で見てきたはずだろう。まさか、おまえのことは見捨てないとでも?」

 冷徹な言葉を受け、黑影が初めて動揺を見せた。
 即座に否定の言を返すことも憤ることもせず、黙って項垂(うなだ)れるように俯く。
 気持ちの上で行きつ戻りつを繰り返し、逡巡(しゅんじゅん)するような長い沈黙が落ちた。

「…………」

 ややあって、黑影はそろりと顔をもたげる。
 その眼差しは、躊躇を滅したように凜としてさえいた。



     ◇



 羽林軍へ身柄を移された黑影は拷問の末に折れ、すべてを余すことなく自白したという。
 怒りのおさまらない容燕は激昂(げきこう)し、感情の赴くままに酒を(あお)った。
 いまさら焦っても仕方がない。蕭家が没落(ぼつらく)するまでの秒読みは既に始まっている。
 このままでは、自分も罰を免れない。

「役立たずどもが……」

 帆珠にしても航季にしても、身勝手な行動に走ったせいで家門を窮地に立たせた。
 情けをかけた駒が、獅子身中(しししんちゅう)の虫であったとは。

 先王を排したのち、長い歳月をかけ今上(きんじょう)手懐(てなず)け、太后を付き従え、容燕による独裁国家(天下)が目前まで迫ってきていたというに、いまや信じられない凋落(ちょうらく)ぶりである。
 我がことながら嘆くほかない。いったい、どこから狂い始めたのであろうか。

「諦めるにはまだ早いですよ、父上」

「……碧依か」

 卓子(たくし)についている彼は、以前に現れたときのような幼い姿ではなかった。
 宮廷で見かけたあの青年そのものの姿で容燕を捉えている。

(ぎょく)と石が()り分けられたいまなら、水も澄んで底が見えるはずです。父上の真の味方は誰ですか?」
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