桜花彩麗伝

 脇目も振らず全力で宮中を駆け抜ける旺靖を、莞永は懸命に追いかけていった。
 伸ばした手で襟首を掴んで引き倒すも、すぐさま体勢を整えた旺靖は袖から短刀を取り出す。(さや)を払い落とし、莞永目がけて振った。
 咄嗟に()()って避けるが、鋭い刃の先が頬を掠め、鮮血(せんけつ)が散った。

 なおも短刀を繰り出してきたが、莞永は俊敏(しゅんびん)な動作で刃を弾き、みぞおちに肘打ちを食らわせる。
 彼が膝をついた瞬間、背後に回り込む。その両手を後ろ側でまとめ上げた。
 空いた片手で髪を掴み、強引に(うわ)向かせる。

「く……っ」

「……観念するんだ」

 莞永はあくまで強気な態度を保とうとしたが、縄をかける間、つい思い煩うように顔を歪めてしまった。
 真面目で優等というわけではなかったが、正義感が強く義理堅い熱血漢(ねっけつかん)として親しみを覚えていただけに、明朗(めいろう)で一生懸命な部下として認めていただけに、落胆と失望に胸を締めつけられる。

 そんな様相を眺めた旺靖は声を上げて笑った。

「簡単に他人(ひと)のこと信じるからそうなんだよ。本当……ばかだな、どいつもこいつも」

「おまえ……!」

 思わず気色(けしき)ばみ、胸ぐらを掴む。
 しかし、旺靖は怯みも悪びれもせず、気怠げにせせら笑った。

「……俺もばかだよ。信じるんじゃなかった」

 訝しげに眉を寄せた莞永の力が緩むと、彼は項垂(うなだ)れるように地面に崩れる。
 その自嘲するような言葉と表情の意味を莞永が理解したのは、少しくあとのことであった。



     ◇



 反乱軍が順に捕縛(ほばく)、連行されていく中、煌翔はただひとりその囂々(ごうごう)たる渦の中に立っていた。

 愕然(がくぜん)とする煌凌と春蘭を見据えていた彼は、やがて(はい)していた剣を手放した。重たげな音を立て、地面に落ちる。
 それを見計らい、一斉に煌翔を囲んだ衛士(えじ)らは彼を取り押さえた。
 煌凌と春蘭は張り詰めたような足取りで歩み寄る。
 ふと顔を上げた煌翔は謹厳(きんげん)な面持ちから一転、慣れ親しんだ柔和(にゅうわ)な微笑をたたえた。

「驚かせてごめんね」

 そう言うと、(ふところ)から料紙(りょうし)を取り出す。

「どうしても、これを手に入れたくて。それが僕の使命だろうから」

 困惑したように春蘭と顔を見合わせた煌凌は、彼の手にあるそれを受け取った。
 そろりと広げて見ると、そこには数多(あまた)の名が書き連ねられていた。箕旺靖、謝悠景、……反乱軍の面々の署名が余さずなされている。

「これは、首謀者の連判状?」

 瞠目(どうもく)した煌凌に彼は首肯(しゅこう)した。
 春蘭は驚いたように見やる。

「もしかして、反逆者を一網打尽(いちもうだじん)にするために裏切ったふりをしてたの?」

「ああ、そういうことになるね。みんなを信じてよかったよ」
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