桜花彩麗伝
いまの娘にかけられる言葉は、そのほかに見つからなかった。
過酷な後宮での戦いの日々を終え、大任や使命から開放されたいま、慣れ親しんだ鳳邸へ帰着したのちには心身が休まるよう願った。
「よく頑張ってくれたね。……ありがとう、春蘭」
かくも心優しく強く成長した娘を目にしたら、緋茜は何と言葉をかけたことであろう。元明は目尻を拭った。
春蘭は小さく笑みつつ頷いてみせる。
一連の騒動を受け、元明は王に辞職を願い出たが、王は頑なに拒んだという。
王にも鳳家にも朝廷にも、彼の存在は必要であろう。
それから春蘭は朔弦に向き直った。
端正な顔は相変わらず淡々としており、何の表情も浮かんでいないように見受けられたが、その双眸には以前よりもいくらか覇気を宿していた。
「朔弦さま。……煌凌のこと、お願いします」
「心配するな」
何気ない口調で言ったつもりが、つい寂しげな響きとなってしまう。
それでも朔弦は毅然と頷き返してくれた。
「また、将軍と……じゃなくて、大将軍とご挨拶に伺いますね」
「ええ、いつでも。そのときは一緒に夕餉でも食べましょ」
「それはいいね。近頃は屋敷もがらんとして寂しかったし、賑やかなのが恋しかった。楽しみにしているよ」
春蘭の言葉と元明の快諾を受け、ぱっと顔を晴れやかにさせた莞永は笑顔で朔弦を見やった。
彼もまた、ほのかに笑んでいた。
────季節はもう、冬も半ばにさしかかっている。
冬木立の映える澄んだ蒼穹は、穏やかに晴れ渡っていた。
変わったこと、変わらなかったもの、すべてを抱えながら春蘭は宮殿を振り返る。
絢爛豪華で華やかな場であるが、わずかでも足を踏み外せば奈落へと転落していく伏魔殿。それでも、彼の隣が心地よかった。
追放という形で町へ下りる春蘭を、王である煌凌は見送りにくることも叶わない。
蒼龍殿のある方角へ、春蘭は別れを告げるべくゆっくりと跪拝した。
……もう二度と、会うこともない。