性悪陰陽師は今日も平気で嘘を吐く。
 どこからともなく飛んできた札が、覚の額へと張り付く。

 突然の出来事に覚は目を見開くと、再び室内に言葉が響いた。


 「この場から【消えろ】」


 すると、覚は霧のように霧散していき、姿を消した。

 支えを失った類はその場に倒れこむ。しかし、咄嗟に何者かに支えられた体は床への転倒を免れた。

 「おい…」

 意識が朦朧とする中、類はゆっくりと顔を上げる。

 「しっかりしろ」

 何度も自分に声を掛ける存在に、類の意識が徐々に鮮明になる。

 「おい!」

 何度目かの呼びかけで、ようやく声を掛けてい人物が光であることを理解すると、類は少し驚いた表情で目を見開く。

 「…光さん?」

 類は少しホッとした心持で光の名を呼ぶ。

 「…お前な」

 「…は、はい」

 光はどこか不機嫌そうな表情をすると、いつも通り眉間に皺を寄せてため息を吐いた。また、何かしでかしてしまっただろうか…?

 「礼二は…?」

 「…お客さんのクレーム対応でどこかへ行ってしまいました…」

 類の素直な回答に、光は「礼二の奴…」と呟いて再びため息を吐く。

 「あ、あの…、光さん?」

 「何?」

 「いや、その…」

 未だ抱きしめるような体制に、類は少し恥ずかしくなる。こんな所を高倉に見られては何をされるかわからない。

 「えっと…、もう大丈夫なんで、離れてもらってもいいですか?」

 類の言葉に光は「あぁ…」と呟くと、ゆっくりとした動作で類から体を離した。

 「それより、何してんの?こんなところで…」

 「何って…、今日は出勤初日で…」

 「そうじゃなくて…、店の仕事もせずに、何で怨霊といちゃついてんだって聞いてんだよ…」

 「い、いちゃついてなんかいませんよ!…」

 どうしたらそう見えるのか、光は相変わらず不機嫌そうな表情で類に尋ねる。

 「じゃあ、ここで何してたわけ?」

 「た、高倉さんという方に説明を受けてました!」

 類は負けじと光に反論する。

 「その高倉は?さっきから姿が見えないようだけど…」

 「そ、それは…、お手洗いに行かれていて…」

 覚の呪いについて伝えるべきか迷ったが、彼女の名誉のため黙っておくことにした。

 「…ったく、しゃあねぇな」

 すると、光は何か諦めた様子で頭を掻く。

 「俺の時間が許す限りだけど…」

 そういうと、光はその場に鞄を置いた。

 (ここ、女子更衣室ですけど…)

 そんなことを思ったのも束の間、光は類を更衣室の外へと連れ出す。

 「とりあえず、今日は俺が指南してやる。ちなみにお前、接客経験は?」

 光の質問に類は首をブンブンと横へ振る。きっと馬鹿にされるだろうと思いきや、意外にも光は「あっそ」と興味なさげに答えるだけだった

 「じゃあ、まずは基本の基本。客が来たら「いらっしゃいませ」帰ったら「ありがとうございました」ね」

 「は、はい」

 「まあ、さすがにこれくらいは分かるか…」

 光は前髪を弄りながら視線を逸らす。

 「で、これがうちのメニュー表。メニューは主にコーヒーとシフォンケーキの二つだけだから、注文ミスは無いと思うけど、時々間違える奴いるから気を付けて。オーダーが入ると自動でここに伝票が出力されるから。あ、ちなみにここはキッチンの管轄だから触らなくていい。オーダーミスったら素直に誤って」

 「わ、わかりました…」

 意外にも、高倉より丁寧に教えてくれる光の姿に類は少しだけ驚く。

 「後は帰った客のテーブルを拭いたりするんだけど、まずはできる範囲でいい」

 「はい」

 「とまあ、こんな感じだけど…、此処まででなんか質問ある?」

 「も、もし困ったことがあったら…」
 
 類はメモを取りながら不安そうに尋ねる。

 「基本は礼二に投げてくれていいよ。まあ、俺がこっちに来てれば俺に言ってくれてもいいし…」

 光の言葉に類は頷く。

 「あ、あとは依頼関係の客は俺に教えて」

 光はそういうと、懐からスマホを取り出した。

 「一応お前もグループメッセンジャーに招待しておくから、お前の連絡先教えてよ」

 「連絡先?」

 「そ。メッセージアプリの方ね…」

 その言葉に類は困惑した様子で光を見つめる。

 「…何?さっさとしてくれる?」

 「いや、その…」

 類は少し言いずらそうに、視線を逸らす。その様子に光の表情がどんどんと険しくなる。

 「…まさかとは思うけど」

 「…ええ、そのまさかでして」

 何か察した様子の光に類は「ハハハ」と苦笑いをして見せる。そして、



 「スマホ…買わなきゃダメですよね…?」


 
 そう。類は生まれてこの方、スマホを手にした事がなかった。
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