性悪陰陽師は今日も平気で嘘を吐く。
 突然響いた第三者の声に、類は慌てて浮かせた足を元の場所へと戻す。声のする方へと振り向くと、そこには随分と背の高い一人の男が立っていた。

 男は黒い服を身に纏い、今のご時世らしく顔には黒いマスクを着けている。右耳の軟骨部分に無数に開けられたピアスが少し痛々しく見えるのは、自分がそういう物と縁遠い存在だからかもしれない。

 「……貴方、誰?」

 突然現れた見知らぬ男に、類は少し怯えた様子で尋ねる。

 何者か尋ねられた男は少し考えた素振りを見せると、あまり聞き慣れない言葉を口にする。

 「…陰陽師」

 「陰陽師?」

 類は思わず尋ね返す。

 この令和の時代に陰陽師とは何事か。

 目の前で固まる類に男は一つため息を吐くと、類の腕を引っ張って自身の体へと引き寄せた。

 「うわ!」

 突然のことに類は変な奇声を上げる。

 「いつまでんなとこ立ってんだ…、危ねぇだろ」

 男はそういうと、類を階段の踊り場へと降ろした。

 突然の事に類は、キョトンとした表情で男の顔を見つめる。何故だか先程まで重たかった気分が嘘のよう軽くなっていく。

 「あんた、名前は?」

 「な、南雲類です」

 「こんな所で何してんだ」

 「な、何って…」

 類は困ったように眉根を下げる。

 「えっと…」

 全く予想だにしていなかった質問に類は頭を悩ませる。

 「じ、人生をリセットしようと…」

 素直に「飛び降りようとしていました」と答えるのも気が引けた類は、わかりやすく言葉を濁した。

 「……」

 黙り込んでしまった男に、類も同じように黙り込む。やはり、もっと違った言い方があっただろうか?

 「あの…」

 その場に居た堪れなくなった類は思わず口を開く。しかし、男は先程から類の右肩辺りを見つめている。まるで何か見えている様な男の様子に類は再び口を開く。

 「あ、あの…」

 すると、男はようやく類の方へと視線を戻した。

 「何?」

 「い、いや。その…、私帰りますね…」

 類は小さく頭を下げると、一旦この場から引き上げようと男の横を通り過ぎようとした。


 しかし、


 「【待て】」


 不意に男が口を開いた。

 何故か、その一言で類の足が鉛のように重くなる。

 「な、何ですか…」

 類は振り向くことなく答える。どうにか足を動かそうとするが、何故かその場から全く動くことが出来ない。

 「何処に帰るつもり?」

 「ど、何処って…」

 「まさか、黄泉の国?」

 「……」

 「残念だけど、お前に憑いている男は何も知らない」

 類は目を見開く。何故、覚の事を知っているのだろうか。

 「…な、なんのことですか?」

 類は動揺を悟られないように、知らないふりをする。

 「お前に憑いている怨霊の事…」

 男は目を細めて答える。

 「お、怨霊って…、こんなご時世に…」

 何を言い出すかと思えば、陰陽師やら怨霊やら時代錯誤な事を言いだす男に類は苦笑する。

 「やめて下さいよ、もしかして宗教の方ですか?」

 類は振り向き様に尋ねる。

 すると、男はいつの間にか顔を隠していた黒いマスクを取り払っていた。

 類は一瞬、男の人間離れした美しさに息を呑む。

 (凄い、綺麗な人…)
 
 「人の話聞いてた?」

 「え?…」

 男はそういうと、ゆっくりと二本の指を立てて口元へと添える。そして、とても小さい声量で何やら唱え始めた。

 (一体、なんなの?)

 理解の追いつかない男の行動に類は首を傾げる。すると、次の瞬間、身体から何かが抜けていく様な感覚に襲われる。

 「ッ!?」

 類は思わずその場に膝をつく。どこかに引っ張られる様な感覚に堪らず自分の胸を押さえ込む。

 (苦しい…)

 一体、何が起きたのか理解できない類は冷や汗を流しながら男の方を見る。しかし、男は類の事など全く気にしていないのか、静かに何かを唱え続けている。

 次第に、類の意識が遠のいて行く。

 「や、やめて下さい…」

 類は必死に男へと手を伸ばす。しかし、男はその手を取ろうともしない。徐々に手を伸ばすことすら困難になってきた類は地べたを這いずるように男から逃げようとする。しかし、何故かその場から動くことが出来ない。

 すると、どこからともなく腕を引っ張られた。

 (…誰?)

 そう思ったのも束の間、類はその場で意識を手放した。
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