性悪陰陽師は今日も平気で嘘を吐く。
 (あぁ…、やってしまったー)

 これで死亡エンドへとまっしぐらである。

 「ククク…、やはり君は見てて飽きないね」

 「覚?」

 さっき消えたはずなのに…と思うのも束の間、類の前に複数枚の札が張り巡らされる。

 「気が変わった。君をあの世へと連れていくのはまた今度にするとしよう」

 覚の言葉を最後に、類の目の前に張り巡らされた札が光始める。そのあまりの眩しさに類は思わず目を瞑る。


 一体、何が起きたのかー。


 暫くの静寂の後、類はゆっくりと瞳を開く。すると、そこにはとても美しい女がまだ幼い赤子を抱いて立っていた。

 「あ、貴方…」

 「ごめんなさい…」

 「え?」

 女は疲れ切った表情で、赤子を抱いている。類はそんな女の様子に少し頬を緩ませる。

 「可愛い子ですね」

 「え?」

 「貴方の赤ちゃん」

 類は赤子を指差す。すると女は嬉しそうに微笑む。

 「ありがとう」

 「お名前を伺っても?」

 「この子の?」

 「お二人の」

 類はそう言って微笑む。

 「私は百合といいます。この子は鈴」

 「百合さんにすずちゃん、素敵なお名前」

 類は素直な感想を述べる。しかし、百合はどこか寂しげに微笑む。

 「でも、夫は私たちに興味が無くて…」

 百合は少し顔を伏せる。

 「今日も、何処かへ行ってしまいました…」

 そんな百合に類は彼女こそが屋敷に取り憑いた怨霊の正体である事を知る。

 「だから、今日も二人きり…、いつも、いつも、ここに居るのはこの子と私だけ…」

 「一人より、いいじゃないですか。可愛いお子さんと二人きりなんて楽しそうです」

 「あら、本当にそう思う?」

 「え…?」

 百合の意外な言葉に類は戸惑う。

 「貴方、お子さんは?」

 「いませんけど…」

 「そう…、なら覚えておいて。見えてる幸せが本当の幸せとは限らないのよ」

 「それって、どういう…」

 類はよくわからないと言った様子で首を傾げる。すると、先程まで静かにしていた赤子が突然、大きな声をあげて泣き始めた。

 赤子の鳴き声に言葉を遮られた類は、そのあまりの声の大きさに驚いた表情を見せる。

 「これくらいの歳の子ってね、とっても可愛いのだけど、実は育ててる母親は一杯、一杯だったりするの…。四六時中、三百六十五日、ずっと二人きり、唯一頼れる筈の夫はいつもどこかへ行ってしまう…」

 「……」

 「私は、どうすれば良かったのでしょう…。こんな幼子を置いて仕事には行けません。頼れる親族もおりません…」


 類はこの時初めて、女の本当の苦しみを知った様な気がした。

 「唯一の味方と信じた夫は話せば喧嘩ばかり…、私は、どうすれば良かったのでしょう…」
 
 「百合さん…」

 きっとこの人も孤独だったのだー。

 相談できる相手も居らず、気づけばグルグルと負の思考へとはまってしまった。

 そして、

 誰にも共感されぬまま、闇へと取り憑かれてしまったのだ。

 類は思わず拳を握りしめる。

 一歩間違えば、自分もこの様な結末になっていたかもしれないと思うと、何と声をかけて良いのか分からなくなった。

 「類さん…」

 「え?」

 ふと名前を呼ばれて顔を上げる。

 「ごめんなさい、さっきの男性が貴方の事を類と呼んでいたから…、違ったかしら?」

 「いえ、合ってます」

 類はぶんぶんと頭を上下に振る。

 「貴方のおっしゃる通り、こんなんだから夫にも逃げられてしまうのね」

 類はふとここにくる前に叫んだ事を思い出す。

 「い、いや!あれは、その…」

 思わず咄嗟に出てしまった本音に、上手いいい訳が見当たらない。

 「いいのよ。その通りだから…。もし私が貴方の様にしっかりと前を向いて歩けていたら、鈴を悲しませることもなかった。夫も外へと遊び歩いたりしなかった筈だから…」

 百合はそっと子供をあやしながら呟く。

 「…それは違いますよ。百合さん。私は偶々運が良かっただけです。本当にそれだけ…、別に前を向けなかった貴方が悪い訳じゃ無い。悪いのはそう言った人に漬け込む、魔物です」

 「魔物?」

 「はい。よく《魔が刺した》なんて言うでしょ?弱い人間に取り憑く悪いエネルギーの塊みたいなものだと私は思ってます」

 類の言葉に百合は真剣に耳を傾ける。

 「だから、自分を責めなくていいんです。自分が全て悪いなんて事はありません。もちろん、全部良いってこともー。」

 そう。一番の理解者である自分自身をわざわざ苦しめる必要は無いのだ。

 「自分を責める暇があるなら、もっと周りに助けを求めたっていいんです。逃げたっていいんです」

 「…一体誰に?、何処に逃げればよかったの?」

 「それを考えるのは貴方です」

 「…私?」

 百合は目を見開く。

 「そう。最後に決めるのは貴方自身なんです。誰に助けを求めるのかも、何処へ逃げるのかも」

 「…」

 「わ、私もずっと自分で決められなかった。迷って、空回りして、もうやめようと何度も思った」

 「…何故やめなかったの?」

 「それは、光さんに出会って生きると決めたからです」

 まぁ、半ば強制的にではあるが…。

 類の言葉に百合は黙り込む。

 「そんなの…、偶々その人に出会えたからできただけの事じゃない…」

 「そ、そうかもしれません。でも…百合さんの周りにもそう言う人はいませんでしたか?貴方の周りに本当に助けを求められる人はいませんでしたか?」

 人は一人で生きている気になっているが、案外そうではない。今この瞬間に自分という人間が存在しているのは一重に見知らぬ誰かのお陰であることを忘れてはいけない。


 「それは…」


 百合はその時、忘れていた人物達の顔を思い出す。

 
 「百合ちゃん、今日も天気がいいねー」

 「百合さん、このお野菜お裾分けねー」

 「百合さん、無理しないでねー」

 
 そう。百合は決して一人ではなかった。

 ただ言い出せなかった。

 「助けて」の三文字が。



 百合はその場にしゃがみ込む。


 「わ、私は…、一体何をしていたのでしょう…何で、あんなどうしようもない男に縋っていたのでしょう…」

 今思えば夫ではなく、近所の心優しい人々に助けを求めるべきだったと百合は泣き崩れる。

 類はそんな百合の体をそっと抱きしめる。

 「だからね、もう、ずっとここで待っていなくていいんですよ。自由になっていいんですよ。鈴ちゃんと、もっと広い世界へ旅立っていいんです」

 類は優しく百合の背中を撫でる。

 「ッ、どう、して…、そんな優しい事を言ってくれるの?私、貴方を殺そうとしたのよ?」

 泣きじゃくりながら問いかける百合に類は優しく微笑む。




 「理由なんてませんよ」
 
 
 そう。人が人を助ける事に理由は必要ないのだ。
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