性悪陰陽師は今日も平気で嘘を吐く。
 類は恐る恐る目を開く。

 すると、先程までいた世界は無くただそこには暗闇だけが広がっていた。

 「…ここは?」

 類はその場に立ち上がる。

 「ここは、あの世から少しだけ離れた場所かな…」

 突然響いた声に、類は慌てて振り返る。そこには、久しく会っていない怨霊の姿があった。

 「…覚」

 「久しぶりだね…、類」

 覚は優しく微笑むと、類の身体を優しく抱きしめる。

 「覚!わ、私…、さっきまで、変なところにいて…、そ、それで…!、光さん、光さんが!」

 少々パニックになりながらも類は今までの経緯を説明する。

 「落ち着きなよ。お前がさっきまでいた世界は、あの世に一番近い場所だ」

 「あの世に、一番近い…?」

 「そう。あの世に逝くまでの間人が、一時的に留まる世界のことさ」

 「一時的に留まる、世界…」

 覚の言葉に類は息をのむ。あの世に近い場所はあんなにも居心地がいいものなのか。

 すると、覚は類の思考を察したのか優しく頭を撫でる。

 「あの世に逝くまでの間、人は自分が一番幸せだと思う世界線の中に留まるんだ…」

 「一番幸せだと思う世界線…、私どうして、そんな場所に…」

 「おや、わからないのかい?」

 「…」
 
 不思議そうに首をかしげる類に、覚は優しく微笑む。

 「君は今、死にかけている。ってことさ…」

 「私が、死にかけている…」

 「そう。そろそろ終わりの近い者にあの楽園は訪れる…」

 「それって、どういう…」

 「まぁ要するに、あの世界は神様が最後にくれたプレゼントってことさ…」 

 覚の言葉に類の頭の中で一つの情報が思い出される。それは昔、何かのテレビ番組でやっていた内容だ。

 人は死の間際、脳内に幸せ物質が溢れとても心地よい状態になるらしい。あくまでも、らしいというだけで実際どうか計り知ることはできないが、仮にそれが本当であるなら、あの世界はそのためのものであろう。

 「…私、死ぬの?」

 「おや?やけに不安そうだね?前はあんなに死を切望していたのに」

 覚は目を細める。

 「それは…」

 確かに、以前の自分であればそう願っていた。しかし、今はどうだろうか?

 類は光や社にいる仲間達のことを思い出す。

 「…私は」

 「ん?」

 「わ、私は、【生きたい】です…」

 「ほう?、それは何故?」

 「だって、まだ会いたい人達がいるから…」

 類の本音に、覚は困った様に微笑む。

 「そんな事、怨霊の私に言われても困ってしまうんだけどね…まぁ、でもそうしたいなら勝手に生きればいい」

 「…?」

 「でも、その為には私を祓わないとね」

 覚の言葉に類は「あぁ、そうか」と頭を抱える。

 「ねぇ、覚…」

 「なんだい?」

 「覚は…その…、どうやったら祓えるの…?」

 「…」

 「いや!別に言いたくないなら…、ってか覚は祓われたらどうなっちゃうの?」

 類は少し不安になって尋ねる。

 「文字通り、消えるんだよ。私は怨霊だからね…」

 「…」

 「まぁ、それはさておき。まずはこの場からの脱出だ。見たところかなり深い場所まで来てしまっているね」
 
 覚は類から体を離すと、周囲を見渡す。

 「かなり、深いって…、どうして突然こんな場所まで来たんだろう」

 類の瞳が不安そうに揺れる。
 
 「あれだけ憑かれたら引き込まれもするだろう…」

 「でも、途中まで光さんが祓ってくれていた様な気がするんですが…」

 確か光は懸命に自分を楽にしようとしてくれていた。それなのに、何故?

 「まぁ、それか第三者の介入…」

 「それって…」

 覚の発言に、類は光が言っていた言葉を思い出す。


 「「俺達はハメられたんだ…」」


 光はあの時、確かに焦った様だった。しかし、類は意識が朦朧としていたため、そこから先を思い出す事が出来ない。

 「確か、光さんはハメられた。って言ってました…」

 「じゃあ、きっとそいつが原因だ…、遠方から呪いをかけられたんだよ」

 「そ、そんな事できるんですか?」

 「出来るさ。優秀な陰陽師ならね…」

 覚はそう言うと、類に背中を向ける。しかし、類はふと、その発言に違和感を感じた。

 「…どうして、覚がそんな事知ってるの?」

 そう。何故そんなことを怨霊である覚が知っているのだ。

 「…さぁ?なんでだろうね?」

 覚は、話をはぐらかすと、暗闇の中をゆっくりと歩き始める。

 「類。悪いけど私は本当のことが言えないんだ。私を産み出した主人がそう呪いをかけている。だから真実を話す事は出来ない」

 「そんな…」

 「話は最後まで聞きなよ。真実を話す事は出来ないけど、そのヒントなら、見てきたはずだよ?」

 「ヒント…、見てきた?、私が?」

 類は先程まで足を踏み入れていた世界の事を思い出す。

 確か、その世界で覚は学生だったはずだ。歳は多分高校生くらいで、そして、隣には光が立っていた。

 「二人ともよく似ていて、まるで兄弟みたいな…」


 兄弟ー?

 
 その時、類の頭に一つの可能性が過ぎった。


 「……まさか、貴方、光さんの兄弟なの?」

 「…」

 「それも、双子の…」

 類の言葉に覚は立ち止まる。

 「言ったろ…。イエスとは言えないんだ…」

 「それって、イエスって事よね…」

 「さぁ…?、どうだろうね…」

 二人の間に暫しの沈黙が流れる。

 仮に、覚が光の兄弟だとすれば、光の父親は自分の息子を生贄に怨霊を生み出したことになる。

 「…」

 そんなことってあるのだろうか?

 自分の愛おしい子供を、そんなことに利用する親なんているのだろうか?

 その時、類は再び光の言葉を思い出す。



 「「人間として何かが欠けてる…」」



 確か、光はあの時自分の父親についてこう語っていた。人間として何か欠けていると。

 「そうか…、だから光さんのお母さんも…」

 類は何となく光の母親が命を絶ってしまった理由がわった様な気がした。そして、それを機に光の心が空っぽになってしまったことも、情緒が安定しないことも、人の愛し方さえもわからなくなってしまったことも、全てが一つに繋がったような気がした。

 「…覚」

 類は再び覚に声をかける。

 「少し前に、私の母親は優秀な言霊使いだといったわよね?」

 「あぁ、言ったね…」

 「そして、光さんはそんな言霊使いは貴重で、協会が最も欲しがる逸材だと言っていた」

 「どうやら、そうらしいね…」

 「それって、要するに私のお母さんは陰陽師協会に在籍していたことがあって、光さんのお父さんと何かあったから呪われてしまったってことですか…?」

 「…」

 「覚…、お願い、黙らないで…」

 「言ったろ。イエスとは言えないんだ…」

 類はその言葉に、一つの可能性を確信する。やはりそうだ。母は光の父親との間に何か問題を抱えていた。そして、それが理由で呪い殺されてしまった。

 「…光さんの言ってたとおり」

 そう。光は嘘などついていなかった。彼は誠実に類に向き合ってくれていた。自分が嫌われてしまうのを覚悟で類に真実を伝えようとしてくれていた。

 (それなのに…、私は疑ってばかりだったな…)

 類は心の中で小さく反省する。もしかしたら光の囁いた言葉の中には真実の愛もあったのかもしれない。

 「…覚」

 「なんだい?」

 「貴方も被害者の一人だったのね…」

 類は背を向ける覚の背中に抱き着く。

 「私は、被害者でも加害者でもないよ。私は唯の怨霊…。ただ人を呪い殺すために生まれた哀れな存在…」

 「そんなことない…、覚はいつだって私を救ってくれたわ…」

 「…」

 「覚、貴方は人間だった。だから私をここまで生かしてくれた」

 類は力強く、覚の体を抱きしめる。

 「それは違うよ類…。私はお前を呪い殺そうとしていたただの怨霊だ…」

 「だとしたら、何故あの時助けたの?」

 「…」 

 「今までだってそう。私が困っているとき、私が寂しいとき、いつも覚は私の傍に居てくれた…。本当の怨霊ならそんなことしない。本当の怨霊なら私に憑いた瞬間に悪さをする。でも覚はそんなことしなかった。いつでも私の意志を尊重してくれた…。それは何故?」

 類の言葉に覚は思わずその場に振り返る。

「…それは、わからない。私は怨霊だからね。でも、もし答えるとするなら、君の中に映る弱い部分や駄目な部分が、私の中に残る人間的な部分に似ていたからかもしれないね」

 覚はそう言うと、再び類の体を優しく抱きしめる。

 「…多分私は弱かったのだと思うよ?だから、こんな姿になってしまった」

 覚は朧げな記憶を手繰り寄せるように、類の耳元で呟く。

 「多分って…、覚えていないの?」

 類は覚の首に手をまわして尋ねる。

 「最初はきっと覚えていたんだろうね…。でも今は君が居た世界を霊視してようやく少し思い出せたくらいだ。現に光だって何も覚えていないだろう?まぁ彼の場合は何か術を掛けられていて、そもそも知らないといった方が正しいかもしれないけどね」

 類は今までの覚に対する光の言動を思い出す。確かにもし兄弟としての記憶が残っていれば覚にあんな札を投げたり、祓おうとはしないはずである。

 「とにかく、類。今はここから出よう。さもないと本当にあの世へと行ってしまいかねない」

 「でも、どうすれば?」

 心配そうに顔を上げる類に、覚は優しく微笑む。

 「大丈夫。そのために私はここに居るのだから。今から君を光のところへ連れて行ってあげるよ」

 そういうと覚は、類の手を引いて暗闇の中を歩き始める。

 その背中がとても心強く感じたのは、きっと彼が光の兄弟であるからに違いない。

 「覚…」

 「なんだい?」

 「…ありがとう」

 類の言葉に覚はその小さな掌を力強く握りしめた。

 (この子の傍は、いつも心地よい…)
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