性悪陰陽師は今日も平気で嘘を吐く。
光はふと、眼前に広がる光景を見てこれが夢であるということを瞬時に悟った。
「光?早くしないと学校遅れるわよ?」
しかし、そんな光を他所に、母の晴は慌てた様子で朝食を机の上へと並べていく。
「…」
明らかに奇妙な状況に、光はしばらく目の前に置かれたトーストに釘付けになる。すると、突然斜め前に座る何者かに声を掛けられた。
「食べないなら、僕が食べるよ」
光はその言葉にふと顔を上げる。すると、そこにはどこかで見たことのある男が右手を伸ばして目の前のトーストを奪おうとしていた。
「覚…?」
確か名前は覚。しかし、何故彼がこの家に…しかも光と同じ制服を着て朝食を囲んでいるのだろうか。
「何?光は食べないんだろ?じゃあ、僕が貰ってやる」
そういって、覚は光のトーストを奪うとおいしそうに、ほおばり始める。すると、台所の方から再び晴の声が響いた。
「覚!あなたも早くして!兄弟揃って遅刻とか本当話にならないから!」
(兄弟?)
光は、母の言葉に目を見開く。そして、目の前でトーストに噛り付く男を見て彼が瞬時に自分の弟であることを理解した。
(なるほど…。通りで目元が…)
普通であれば信じがたい事実も、夢の中だからだろうか?何故かすんなりと理解できてしまった光は冷静に現状を分析していく。
(恐らく、ここはあの世に一番近い場所…)
光はひとまず自分の右頬をつねってみる。しかし、痛みは全くといっていいほど感じられず今度は、自分の顔を数回叩いてみる。
「…何やってんの?」
「現状確認だ…。黙ってろ」
光の不可思議な行動に、覚は首をかしげる。
「そういやさ、新しい彼女どう?」
「新しい彼女?」
「ほら、あのちょっともっさりした感じの子」
「もっさり?」
覚の言葉に今度は光が首をかしげる。
「あれ?もしかしてもう別れたの?確か…、名前は…「類」ちゃんだっけ?」
「…」
どうやら、この世界線で類と光は恋人同士であるらしい。
「今日だって待ち合わせしてから行くって言ってたじゃん」
「俺が?」
「他に誰が居るんだよ…」
覚は呆れた様子で答えると、手に付いたパンくずを舐めとる。
「まぁ光が行く気ないなら。代わりに俺が行くよ。類ちゃんいい子そうだし」
そう言って覚は椅子から立ち上がろうとする。
「お前が行くのか?」
「うん。だって待ちぼうけ食らった上に誰も来ないなんて可哀そうじゃん」
「随分とお人よしなんだな…」
「お人よしは嫌いかな?」
覚は少々意地悪そうに尋ねると、机の上に置かれたウェットティッシュで指を拭き、床に置きっぱなしの学生バックを肩にかける。
「…俺も行く」
「は?マジで?」
「マジだ。おら、行くぞ…」
光も同じように鞄を肩へとかけると、そっと台所の方へと視線を移す。
「母さん」
「なぁに?」
「行ってきます」
光はそう呟くと、弟の背中を追ってダイニングを後にした。
***
天気は快晴。
雲一つない大空はまるでここが天国なんじゃないかと錯覚させる。
(白昼夢みたいだ…)
光は道行く人々を見ながらそんなことを思う。
無邪気に笑う子供の声。
どこかの家から響く風鈴の音。
肌を撫でるような優しい風。
アスファルトの上には見たことのない花が咲き誇り、その上を蝶がユラユラと舞っている。
「いやー、いい天気だね。これなら今日の放課後はゲーセン行きたい放題だ」
「晴れてんのに、何でゲーセン?」
光は覚の少し後ろを歩きながら、よくわからない事を口走る弟に苦笑する。
「だって、晴れの日はみんな外に出たがるだろ?そうなると、室内遊技場はどこもガラガラ。まぁゲーセンじゃなくてボーリングでもいいけどね」
光の方を振り向きながら、どこか嬉しそうにそう話す姿に光は思わず目を細める。
弟が生きていたら、こんな感じだったろうか。
きっと、父が普通の人間であれば、母がもう少し生きていれば、自分がもっと強い人間であれば、こんな日常もあったのかもしれない。
「あー、でも、類ちゃんが居るなら外でバスケでもいいね」
覚は嬉しそうに空を仰ぐ。
「多分…、あいつ下手だぞ」
「それがいいんじゃん、教え甲斐がある」
「…お前はどうなの?」
「何が?」
覚はキョトンとした表情で振り返る。
「スポーツだよ、得意?」
光は視線を逸らしながら尋ねる。すると、覚は可笑しそうに声を上げて笑い始めた。
「兄さん…、今日は何か変だよ?僕らは昔からスポーツ得意だったろ?去年だって二人でインターハイ出たし、それに…」
覚はそこまで言うと、光の肩に腕を掛けた。
「うわ!突然なんだよ!」
一気に距離を詰めてきた弟に、光は素直に驚く。
「そもそも、俺にスポーツの楽しさを教えてくれたのは兄さんじゃん?」
覚はニコニコしながら呟く。どうやらこの世界線で覚と光はとても仲の良い兄弟であるらしい。
「…そうか」
光はどこか寂し気に呟く。覚が怨霊なんかになっていなければ今頃二人で楽しくバスケでもしていたかも知れない。
「そ。その代わり兄さんに勉強の楽しさを教えたのは僕だ。お陰で成績はいつも悪くないだろ?」
「はあ?俺はお前なんかに教わらなくても勉強は出来るぞ」
光は少々ムキになって答える。
「まぁ、理数系に関してはそうだけど、文系科目についてはてんで駄目だったじゃないか?」
「筆者の気持ちを答えろとか苦手なんだよ…」
光は不愉快そうにそっぽを向いて反論する。あんなの考えるだけ無駄というものだ。
「兄さんは情緒がないなぁ…、そんなんだから、いつも女の子の事泣かせちゃうんだよ」
「…」
「ま、俺達はそうやって足りない部分を埋め合ってるって訳だ。俺と兄さんは二人で一つ。だから今待たせてる類ちゃんとデートする権限も俺にはあるってことで!」
覚はそう言うと突然、光の肩から手を離して一目散に駆け始める。
「あ、おい!」
「早くしないと、僕が類ちゃん取っちゃうよー?」
「はぁ?!いきなり何言ってんだ」
覚の背中が徐々に遠ざかっていく。
「兄さん!早く!」
「おい!待て!」
光は徐々に離れていく覚の背中を必死に追いかける。しかし、何故か一向に追いつく事ができない。
光は徐々に減速していき、その場に足を止める。
競争で負けた事はない。
ましてや、弟にー。
だが、そんな事はどうでもいい。
ただ、覚が遠くに行ってしまう事がとても悲しいことの様に思えたー。
「待て、覚…」
光は覚の背中に手を伸ばす。
待ってくれー。
遠くから聞こえる覚の嬉しそうな声に光は堪らず顔を伏せる。
脳裏には断片的にではあるが、忘れかけていた記憶の欠片がパズルのピースの様に一つずつはまり始める。
・
・
・
覚は光と同じ日に産まれた。
二人は小学生になるまで一緒に育ち、母はそんな二人を愛情たっぷりに育ててくれた。
しかし、父は違った。
父は子供に遺伝した自分の力にしか興味を示さなかったのだ。
覚には陰陽師としての力が無かった。それに気がついた父は覚を無理矢理母から奪った。
そして、文字通り覚をこの世から消してしまった…。
当然、それを聞いた母は錯乱し、父に詰め寄った。
父は、そんな母に呪いをかけた。
そして、まだ幼い光にも呪いをかけた。
(覚は元々この世に存在しないと)
母はその呪いによって感情のバランスを崩し自ら首を吊った。
気づけば光は一人になった。
・
・
・
何故、自分は今この瞬間まで
こんな大事な事を忘れていたのか。
何故、死の間際になって
こんな事を思い出すのか。
何故、今更こんなにも涙が
溢れて仕方がないのか。
(俺って…、最低だ…)
母も守れず、弟の存在も忘れ、何が陰陽師だ。
このままではきっと、類の事も守れない。守れないのに、俺は彼女を言葉で縛った。呪いで縛ってしまった。
光は地面に落ちていく涙を見て思った。
(ここまでなのか……?)
今まで、何とか折れないように生きてきた。
強がって、見栄を張って生きてきた。
でも結局、何も出来なかった。
光はその場に立ち止まる。己の未熟さに、幼稚さに、ただただ涙が溢れて止まらない。
もうこれ以上は歩けない。
そんな時だったー。
【泣かないで…】
光の耳に、優しい声が木霊した。
「光?早くしないと学校遅れるわよ?」
しかし、そんな光を他所に、母の晴は慌てた様子で朝食を机の上へと並べていく。
「…」
明らかに奇妙な状況に、光はしばらく目の前に置かれたトーストに釘付けになる。すると、突然斜め前に座る何者かに声を掛けられた。
「食べないなら、僕が食べるよ」
光はその言葉にふと顔を上げる。すると、そこにはどこかで見たことのある男が右手を伸ばして目の前のトーストを奪おうとしていた。
「覚…?」
確か名前は覚。しかし、何故彼がこの家に…しかも光と同じ制服を着て朝食を囲んでいるのだろうか。
「何?光は食べないんだろ?じゃあ、僕が貰ってやる」
そういって、覚は光のトーストを奪うとおいしそうに、ほおばり始める。すると、台所の方から再び晴の声が響いた。
「覚!あなたも早くして!兄弟揃って遅刻とか本当話にならないから!」
(兄弟?)
光は、母の言葉に目を見開く。そして、目の前でトーストに噛り付く男を見て彼が瞬時に自分の弟であることを理解した。
(なるほど…。通りで目元が…)
普通であれば信じがたい事実も、夢の中だからだろうか?何故かすんなりと理解できてしまった光は冷静に現状を分析していく。
(恐らく、ここはあの世に一番近い場所…)
光はひとまず自分の右頬をつねってみる。しかし、痛みは全くといっていいほど感じられず今度は、自分の顔を数回叩いてみる。
「…何やってんの?」
「現状確認だ…。黙ってろ」
光の不可思議な行動に、覚は首をかしげる。
「そういやさ、新しい彼女どう?」
「新しい彼女?」
「ほら、あのちょっともっさりした感じの子」
「もっさり?」
覚の言葉に今度は光が首をかしげる。
「あれ?もしかしてもう別れたの?確か…、名前は…「類」ちゃんだっけ?」
「…」
どうやら、この世界線で類と光は恋人同士であるらしい。
「今日だって待ち合わせしてから行くって言ってたじゃん」
「俺が?」
「他に誰が居るんだよ…」
覚は呆れた様子で答えると、手に付いたパンくずを舐めとる。
「まぁ光が行く気ないなら。代わりに俺が行くよ。類ちゃんいい子そうだし」
そう言って覚は椅子から立ち上がろうとする。
「お前が行くのか?」
「うん。だって待ちぼうけ食らった上に誰も来ないなんて可哀そうじゃん」
「随分とお人よしなんだな…」
「お人よしは嫌いかな?」
覚は少々意地悪そうに尋ねると、机の上に置かれたウェットティッシュで指を拭き、床に置きっぱなしの学生バックを肩にかける。
「…俺も行く」
「は?マジで?」
「マジだ。おら、行くぞ…」
光も同じように鞄を肩へとかけると、そっと台所の方へと視線を移す。
「母さん」
「なぁに?」
「行ってきます」
光はそう呟くと、弟の背中を追ってダイニングを後にした。
***
天気は快晴。
雲一つない大空はまるでここが天国なんじゃないかと錯覚させる。
(白昼夢みたいだ…)
光は道行く人々を見ながらそんなことを思う。
無邪気に笑う子供の声。
どこかの家から響く風鈴の音。
肌を撫でるような優しい風。
アスファルトの上には見たことのない花が咲き誇り、その上を蝶がユラユラと舞っている。
「いやー、いい天気だね。これなら今日の放課後はゲーセン行きたい放題だ」
「晴れてんのに、何でゲーセン?」
光は覚の少し後ろを歩きながら、よくわからない事を口走る弟に苦笑する。
「だって、晴れの日はみんな外に出たがるだろ?そうなると、室内遊技場はどこもガラガラ。まぁゲーセンじゃなくてボーリングでもいいけどね」
光の方を振り向きながら、どこか嬉しそうにそう話す姿に光は思わず目を細める。
弟が生きていたら、こんな感じだったろうか。
きっと、父が普通の人間であれば、母がもう少し生きていれば、自分がもっと強い人間であれば、こんな日常もあったのかもしれない。
「あー、でも、類ちゃんが居るなら外でバスケでもいいね」
覚は嬉しそうに空を仰ぐ。
「多分…、あいつ下手だぞ」
「それがいいんじゃん、教え甲斐がある」
「…お前はどうなの?」
「何が?」
覚はキョトンとした表情で振り返る。
「スポーツだよ、得意?」
光は視線を逸らしながら尋ねる。すると、覚は可笑しそうに声を上げて笑い始めた。
「兄さん…、今日は何か変だよ?僕らは昔からスポーツ得意だったろ?去年だって二人でインターハイ出たし、それに…」
覚はそこまで言うと、光の肩に腕を掛けた。
「うわ!突然なんだよ!」
一気に距離を詰めてきた弟に、光は素直に驚く。
「そもそも、俺にスポーツの楽しさを教えてくれたのは兄さんじゃん?」
覚はニコニコしながら呟く。どうやらこの世界線で覚と光はとても仲の良い兄弟であるらしい。
「…そうか」
光はどこか寂し気に呟く。覚が怨霊なんかになっていなければ今頃二人で楽しくバスケでもしていたかも知れない。
「そ。その代わり兄さんに勉強の楽しさを教えたのは僕だ。お陰で成績はいつも悪くないだろ?」
「はあ?俺はお前なんかに教わらなくても勉強は出来るぞ」
光は少々ムキになって答える。
「まぁ、理数系に関してはそうだけど、文系科目についてはてんで駄目だったじゃないか?」
「筆者の気持ちを答えろとか苦手なんだよ…」
光は不愉快そうにそっぽを向いて反論する。あんなの考えるだけ無駄というものだ。
「兄さんは情緒がないなぁ…、そんなんだから、いつも女の子の事泣かせちゃうんだよ」
「…」
「ま、俺達はそうやって足りない部分を埋め合ってるって訳だ。俺と兄さんは二人で一つ。だから今待たせてる類ちゃんとデートする権限も俺にはあるってことで!」
覚はそう言うと突然、光の肩から手を離して一目散に駆け始める。
「あ、おい!」
「早くしないと、僕が類ちゃん取っちゃうよー?」
「はぁ?!いきなり何言ってんだ」
覚の背中が徐々に遠ざかっていく。
「兄さん!早く!」
「おい!待て!」
光は徐々に離れていく覚の背中を必死に追いかける。しかし、何故か一向に追いつく事ができない。
光は徐々に減速していき、その場に足を止める。
競争で負けた事はない。
ましてや、弟にー。
だが、そんな事はどうでもいい。
ただ、覚が遠くに行ってしまう事がとても悲しいことの様に思えたー。
「待て、覚…」
光は覚の背中に手を伸ばす。
待ってくれー。
遠くから聞こえる覚の嬉しそうな声に光は堪らず顔を伏せる。
脳裏には断片的にではあるが、忘れかけていた記憶の欠片がパズルのピースの様に一つずつはまり始める。
・
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・
覚は光と同じ日に産まれた。
二人は小学生になるまで一緒に育ち、母はそんな二人を愛情たっぷりに育ててくれた。
しかし、父は違った。
父は子供に遺伝した自分の力にしか興味を示さなかったのだ。
覚には陰陽師としての力が無かった。それに気がついた父は覚を無理矢理母から奪った。
そして、文字通り覚をこの世から消してしまった…。
当然、それを聞いた母は錯乱し、父に詰め寄った。
父は、そんな母に呪いをかけた。
そして、まだ幼い光にも呪いをかけた。
(覚は元々この世に存在しないと)
母はその呪いによって感情のバランスを崩し自ら首を吊った。
気づけば光は一人になった。
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何故、自分は今この瞬間まで
こんな大事な事を忘れていたのか。
何故、死の間際になって
こんな事を思い出すのか。
何故、今更こんなにも涙が
溢れて仕方がないのか。
(俺って…、最低だ…)
母も守れず、弟の存在も忘れ、何が陰陽師だ。
このままではきっと、類の事も守れない。守れないのに、俺は彼女を言葉で縛った。呪いで縛ってしまった。
光は地面に落ちていく涙を見て思った。
(ここまでなのか……?)
今まで、何とか折れないように生きてきた。
強がって、見栄を張って生きてきた。
でも結局、何も出来なかった。
光はその場に立ち止まる。己の未熟さに、幼稚さに、ただただ涙が溢れて止まらない。
もうこれ以上は歩けない。
そんな時だったー。
【泣かないで…】
光の耳に、優しい声が木霊した。