「君を絶対愛さない」と言ったクールな警視正に滾る愛を刻まれました
「まさか犯人がなにも覚えていないとは、誰も想像しないよ」

 声の調子を落とした矢沢は小さく溜め息をついた。

 そう、長い時間と膨大な労力をかけて捕まえた犯人は事件当時の記憶が一切なかった。

 アルツハイマー型認知症を発症していて、しかもかなり進行していたのだ。

 現在八十六歳なので、事件当時は七十一歳。奥さんは他界しており、現在は施設に入所している。

 娘にも会って話を聞いたが、夜遅くに高速道路を使ってどこに出掛けていたのか、まったく見当がつかないという。

 もしかしたら、温泉が好きなので日帰りでふらっと行ったのかもしれない、と。

 人を殺めた自覚はあったのか、後悔はしていたのか、苦しんでいたのか、聞きたいことがなにひとつ問えない。

 病気なのだから現状を受け入れるしかないのは頭では理解している。しかし行き場を失った叫びが、出口を探して心を引っ掻き回しながら暴れている。

 悔しくて、苦しくて、腹の底から黒い油みたいな汚いものがぬらぬらと光りながら湧いている。
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