失くしたあなたの物語、ここにあります
「そうそう、そんなことあったわね。うららちゃんが高校生の時じゃない?」

 おばさんも思い出して相づちをうつ。

「高1の冬ですよ。あれがきっかけで、経営学部目指すことにしたんです」
「うららちゃん、大学は経営学部なんだね」
「はい。当時は漠然とだったけど、経営者になりたかったんです。志貴くんがまろう堂を出すって言ったときは先にやられたって思ったなぁ」

 冗談っぽく悔しそうに顔をしかめて、うららは笑う。

 すっかり手が止まっている彼女にグラニュー糖を測るようにお願いすると、沙代子は次にレモンの皮をすりおろした。

 そうしてすべての材料がそろうと、沙代子はボウルに入った卵黄を溶きほぐし、その中へ、刻んだローズマリーとレモンの皮を入れて混ぜていく。

「オリーブオイル入れようか」

 ローズマリーの芳醇な香りに惹かれるように隣へやってきたうららにそう言うと、彼女はオリーブオイルを少しずつボウルにくわえてくれる。彼女は手際がいい。おばさんをいつもこうやってフォローしてきたのだろう。

「メレンゲに混ぜるときは、こうやってボウルの底から大きくすくいあげてね」
「沙代子さん、すごい。私がやるとなかなかうまく混ざらなくて」
「いつでも練習に付き合うよ」

 うららにコツを教えながら作業を進め、メレンゲと合わせた生地を型に流し込む作業を終えると、おばさんが尋ねてくる。

「沙代子さんはお店、やらないの? あなたぐらい腕のいいパティシエなら、すぐにでもやれるわよ」
「……実は、考えてはいたんですけど」

 沙代子はおずおずとそう言ってみた。開業の夢を話そうと思ったのは、魔がさしたとしか言いようがないけれど、話してみたくなったのだ。

「そうなの? あっ、それで鶴川に越してきたのね」
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