失くしたあなたの物語、ここにあります
 沙代子が眺める雑誌に、天草さんもひょいとのぞき込んでうなずく。そのまま目をあげた彼の顔が間近に近づくから、沙代子はどきりとしてあわてて離れる。彼も何食わぬ様子ですぐに体を起こす。意識してるのは自分だけみたいで恥ずかしくなる。

「あ……、フィナンシェなんだね」

 沙代子は雑誌を指差す。紹介されているのは、フィナンシェとホットミルクティーだ。

「祖母は作るのも食べるのも焼き菓子が一番好きだったよ。ミルクティーもね」
「そうなんだ。このフィナンシェ、レモングラスが入ってるみたい」
「ミルクティーにはカモミールが入ってるんじゃないかな」
「ほんとだ。カモミールの苦味をミルクティーにしておさえてるって。美味しそう」

 細かな説明書きに一生懸命目を通していると、彼は穏やかに言う。

「ミルクティー、作ろうか?」
「うん。飲んでみたい」
「ホットにする? それとも、アイス?」
「今日は暑いから、アイスにする」
「すぐに作るよ」

 キッチンに入っていく天草さんの背中を見送ったあと、沙代子は誰もいない店内を見回す。そろそろラストオーダーの時間だ。

 まろう堂の閉店時間は早く、夕方には閉まってしまう。この時間は客足が遠のき、閑散としていることが多いと気付いてから、沙代子は彼との会話を楽しみたいばかりに夕方に来るようになっていた。
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