失くしたあなたの物語、ここにあります
「ルッカのケーキ、甘くておいしかったね。贅沢なケーキって感じ」
ルッカを出ると、城下町に向かって歩く天草さんについていきながら、気まずくならないように沙代子はつとめて明るく振る舞った。
天草さんには情けない姿を見せてしまったことがある。それでも彼は普段通りに接してくれたから、今回もその関係に戻れると思っている。
「祖母のケーキはどっちかっていうと、甘さ控えめの素朴な味だからね」
彼が穏やかに微笑むから、ほら、いつも通り、と沙代子はあんどする。
「私、そういう味の方が好き」
「そうだと思った。祖母の味と葵さんの作るケーキは親和性があるかもしれないね。俺さ、葵さんに祖母のレシピをこれから先もずっと作り続けてもらえたらなって思ってるんだ」
それはうれしい申し出だった。だけれど、それは違うとも思ってる。
「葵さんがよければ、だよ」
黙っていると、彼は頼りなげに眉を下げてそう言う。
「おばあさんのレシピは、うららちゃんが継いでいくと思う」
沙代子の居場所は天草農園にはない。そう思うからこそ、天草さんの申し出は引き受けられない。
「うらら?」
「将来はカフェやりたいって言ってたから」
「……そっか」
「ごめんね。せっかくのお話だけど、私は私で夢を追いかけたいって思ってる」
はっきりとその意志を告げるのは初めてだった。すんなりと言えたのは、そのときが来てるからだと思える。
「パティスリー開く決心がついた?」
「今ね、以前に作った設計書を開業場所に合わせて詰めてるの」