失くしたあなたの物語、ここにあります
***


『ようこそ、二十日通りへ』

 ついこの間までさびついていたアーチ看板が補修されたのは、沙代子のパティスリーが完成した年明けのことだった。

「銀一さんの寄付のおかげでようやく工事ができたなぁ」

 七色に色づいた看板をなんとはなしに見上げていると、いつの間にか隣に立っていた老人に声をかけられた。見れば、二十日通りにある自転車屋のおじさんだった。

「お父さんの寄付?」
「おや、葵のおじさんから聞いてなかったかい? お嬢さんが二十日通りに店を出すようなら、看板を新しくする費用の足りない分を援助したいと、銀一さんが生前に言っていたそうだよ」
「全然。叔父さんが寄付してくれたんですね」

 新しい人生の始まりを祝うかのようなサプライズに、沙代子は胸が熱くなる。きっと父は願ってくれていた。鶴川に戻ってきた沙代子が地域に受け入れられるようにと。

「二十日通りも昔のように盛り上げねばな」

 おじさんは一歩踏み出して、何か思い出したように振り返る。

「洋菓子教室っていうのかい? 娘たちが興味があるって話していたよ。子育てが終わって、ひまを持て余してるらしい」
「教室は平日に開きますから、ぜひ。今度、チラシを持っていきますね」
「よろしくな」

 おじさんは後ろを向いたまま手を振って去っていく。

 都会の喧騒から離れた穏やかな商店街にパティスリーを開くと決めたのは間違いじゃなかった。

 別れた恋人がどことなく煮え切らなかったのは、都会で暮らす彼にとって、二十日通りは理想的ではなかったのだ。きっとあのときからすれ違いは始まっていた。別れたのは、彼がほかの女性に目移りしたせいじゃない。見ているものが違ったからだ。うまくいかなくてあたりまえだった。
< 193 / 211 >

この作品をシェア

pagetop