失くしたあなたの物語、ここにあります
「それでも、電話ぐらい」
「会えなかったら出直せばいいと思ってさ。それより、葵さん、マフラーないの?」
「あっ、うん。忘れちゃった」

 天草さんは自分のマフラーをはずし、沙代子に差し出す。

「使っていいよ」
「すぐ帰れるから大丈夫だよ」
「ゆっくり話しながら帰りたいからさ」

 彼がそう言うから、沙代子はマフラーを受け取り、そっと首に巻いた。優しくて甘い香水がふわっと薫る。どきりとした。天草さんの匂いに包まれてるみたいで、なんだか恥ずかしい。

 ありがとう、と沙代子は言うと、ちょっとうつむいて、彼の顔が見れないままに二十日通りを北へ進む。

「最近、あんまりまろう堂に来ないなって思ってさ」

 一歩遅れて追いかけてきた彼が声をかけてくる。

「そうだっけ。先週、行かなかった?」
「先週だっけ? ずっと会ってない気がしてた」

 確かに、以前のようには行ってないかもしれない。沙代子が来るのを待ち遠しく思ってくれてたんだとわかると、やっぱり気恥ずかしくて話をそらす。

「今日ね、詩音さんに会ったよ」
「詩音?」
「詩音さんね、結婚するんだって」
「そうなんだ」

 知らなかったみたいだ。拍子抜けしたような顔で、彼はさらに、「へえ」とつぶやいた。

「まだ天草さんを好きなんだって思ってたけど、違ったみたい」

 人として天草さんが好き。そういう彼女の気持ちは妬けてしまうから伏せておく。

「違うって言ったよ」
「うん、ごめんね。あんなこと言わせちゃって」
「あんなことって?」
「詩音さんを好きになるんじゃなかったなんて言わせて、ごめんね」
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