🍞 ブレッド 🍞 ~フィレンツェとニューヨークとパンと恋と夢と未来の物語~【新編集版】
「今日も助けてくれてありがとう」
仕事を終えて部屋でボーっとしていた弦の耳にアンドレアの声が響いた。
アントニオに関する御礼の電話だった。
「ちょっと無理をし過ぎだと思うよ。怪我でもしたら大変だからしばらく休んでもらった方がいいんじゃないかな」
自分がちゃんとやるから復帰を急ぐことはないと告げた。
「ありがとう。でも、部屋でじっとしていられないみたいだから、明日もパンを焼くと思うよ」
「う~ん、それはちょっと。少なくとも明日は休ませた方がいいよ」
しかしすぐに返事はなかった。
何か考えているようだった。
そのせいか間が空いたが、んん、というくぐもった声のあとにちゃんとした声が戻ってきた。
「わかった。明日は学校を休んで傍にいるようにするよ」
「そうしてくれると助かるよ。でないと奥さんも店に出られないからね」
「そうだね」
そこで言葉が切れた。
沈黙が続いて何か躊躇っているような感じだったので「どうした?」と問いかけると、「どうもしないけど……」と口ごもった。
「なんだよ」
また沈黙が始まったが、少しして掠れた声が戻ってきた。
「あのさ」
「ん?」
「じいさんから聞いたんだけどさ」
「何を?」
「何かあったの?」
「何かって?」
「いや、ユズルの様子がおかしかったって言ってたから」
「そうかな」
弦はまともに取り合わなかったが、「フローラとなんかあったの?」と見透かされた。
勘のいいアンドレアにこれ以上とぼけるのは無理そうだった。
なのでフローラが日本で働き始めることを包み隠さずに話すと、「そうか……」と何か考えているような声が聞こえたが、すぐに「日本に帰りたいんじゃないの?」と本音を言い当てられた。「日本に帰ればフローラに毎日でも会えるしね」
しかし、弦の口から出たのは真意とは違う言葉だった。
「そんな気はないよ」
「無理するなよ」
「無理してないよ」
「声が無理してるよ」
弦は二の句が継げなかった。
「とにかく今は店のことが大事だから、それ以外のことは考えていない」
それだけ言って通話をOFFにした弦はベッドに寝転がって蛍光灯を見上げた。
すると、その光の中にフローラの顔が一瞬浮かび上がった。
「ブレッド、ブレッド、ブレッド」
フローラのイメージを追いだすために店の名前を何度も呟いたが、しかしそれは逆効果になってしまった。いつの間にか、「フローラ、フローラ、フローラ」に変わって、その呟きは深夜まで続いた。
仕事を終えて部屋でボーっとしていた弦の耳にアンドレアの声が響いた。
アントニオに関する御礼の電話だった。
「ちょっと無理をし過ぎだと思うよ。怪我でもしたら大変だからしばらく休んでもらった方がいいんじゃないかな」
自分がちゃんとやるから復帰を急ぐことはないと告げた。
「ありがとう。でも、部屋でじっとしていられないみたいだから、明日もパンを焼くと思うよ」
「う~ん、それはちょっと。少なくとも明日は休ませた方がいいよ」
しかしすぐに返事はなかった。
何か考えているようだった。
そのせいか間が空いたが、んん、というくぐもった声のあとにちゃんとした声が戻ってきた。
「わかった。明日は学校を休んで傍にいるようにするよ」
「そうしてくれると助かるよ。でないと奥さんも店に出られないからね」
「そうだね」
そこで言葉が切れた。
沈黙が続いて何か躊躇っているような感じだったので「どうした?」と問いかけると、「どうもしないけど……」と口ごもった。
「なんだよ」
また沈黙が始まったが、少しして掠れた声が戻ってきた。
「あのさ」
「ん?」
「じいさんから聞いたんだけどさ」
「何を?」
「何かあったの?」
「何かって?」
「いや、ユズルの様子がおかしかったって言ってたから」
「そうかな」
弦はまともに取り合わなかったが、「フローラとなんかあったの?」と見透かされた。
勘のいいアンドレアにこれ以上とぼけるのは無理そうだった。
なのでフローラが日本で働き始めることを包み隠さずに話すと、「そうか……」と何か考えているような声が聞こえたが、すぐに「日本に帰りたいんじゃないの?」と本音を言い当てられた。「日本に帰ればフローラに毎日でも会えるしね」
しかし、弦の口から出たのは真意とは違う言葉だった。
「そんな気はないよ」
「無理するなよ」
「無理してないよ」
「声が無理してるよ」
弦は二の句が継げなかった。
「とにかく今は店のことが大事だから、それ以外のことは考えていない」
それだけ言って通話をOFFにした弦はベッドに寝転がって蛍光灯を見上げた。
すると、その光の中にフローラの顔が一瞬浮かび上がった。
「ブレッド、ブレッド、ブレッド」
フローラのイメージを追いだすために店の名前を何度も呟いたが、しかしそれは逆効果になってしまった。いつの間にか、「フローラ、フローラ、フローラ」に変わって、その呟きは深夜まで続いた。