魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜
「あ、あのような視線と声の行き交う場所は、あまり行きたいところではありませんね」

 リーゼロッテの頭の中には、婚約披露と結婚式の二日間で嫌というほど味わった視線と声がはっきりと思い出される。

「そうか……フッ。貴女は素直だな」

 ベルンハルトの言い方を突き放されたように感じてしまうのは、リーゼロッテの心の奥底にくすぶるベルンハルトへの不信感だろう。
 レティシアのことを『世話になっている相手』だと滅多に見ることのできない笑顔を浮かべていた。
 リーゼロッテが怯える『その時』はもうすぐそこまで近づいているのだろうか。

(結婚して一年は我慢されるのかもしれないわね)

 隣に座ることさえ緊張して、ほんの僅かな触れ合いに心を躍らせ、それなのにその相手のことを信じることができない。
 自分の中に混在するちぐはぐな感情に、リーゼロッテの心は少しずつ疲弊して、そこへ飛び込んできた気の重い挨拶の話。
 隠しごとばかりの口から、本音がこぼれ落ちた。

「申し訳ありません」

 口からこぼれ落ちてしまったものを、今更取り消すことはできない。
 リーゼロッテは否定することもなく、潔く謝罪の言葉を口にする。

「謝ることではない。私も正直行かなくて良いのならばそうしたいぐらいだ」

 フッと笑ったベルンハルトの顔は、いつか見た本心からの笑顔。
 その笑顔につられて、リーゼロッテの顔にも笑みが浮かぶ。

「あ、貴女にとっては、生まれ育った場所。い、行きたくないと言うとは、思わなかった」

 リーゼロッテと目が合った途端に、逸らされるベルンハルトの視線。
 リーゼロッテの心の奥に、小さな棘が刺さる。

「色々ありましたから……」

「そうだな……挨拶のことはまた連絡する。今日はレティシアのことだけを伝えにきたんだ」

「そうでしたの。わざわざありがとうございます」

「また、こちらへ訪れてもいいだろうか」

 緊張感と愛しさに心を弾ませた、ベルンハルトとの時間は間もなく終わろうとしていた。
 レティシアの帰郷と春の挨拶、リーゼロッテの心を軽くさせるものと重くさせるもの。
 それでも、ベルンハルトに握られた手と隣に座った時間は、リーゼロッテの疲弊した心をそっと包み込んでくれるようだった。

「はい。次回までには、もう一脚椅子をご用意しておきますね」

 隣同士に座った時間は、リーゼロッテにとっての幸せな時間ではあるが、ベルンハルトには狭い思いをさせてしまっただろう。
 次回があるのであれば、その時にはあるべき形を整えるべきだ。
 あの幸せな時間がなくなってしまったとしても、部屋を訪ねてくれなくなるよりは良い。そして紡ぎ出されるリーゼロッテの言葉は当たり前のもの。

「あ、貴女が嫌でなければ、ま、またソファに」

「えぇ。もちろんです。座り心地、お気に召していただけたのですね。そしたら、ソファはベルンハルト様が、新しい椅子にはわたくしが座るお約束にしましょう」

 自分のお気に入りのソファをベルンハルトにも気に入ってもらえたと、残念な気持ちがこの一言で洗われる。
 ベルンハルトにくつろいでもらえる様に、次回はきちんとお茶も用意しよう。
 そんな風に決意して、ベルンハルトと約束を交わそうとした。

「いや、そうではなくて」

「お嫌、ですか?」

「い、嫌ではなくて……」

「良かった。それではお約束です」

 煮え切らない態度のベルンハルトと、何とかして約束を取り付けようとリーゼロッテは言葉を重ねていく。
 狭い思いをさせないことを伝えれば、この次が少しでも近い未来になることを信じて。

「で、できない……約束は、できない」

「あ……申し訳、ありません」

 言い寄り過ぎた。
 今日のこの時間が嬉しくて、また、と言ってくれることに浮かれて、近づき過ぎた。
 ベルンハルトが人を寄せたくないと思う気持ちを知っていたのに、距離を詰め過ぎたと、瞬く間に後悔が襲いかかる。

「ち、違……」

「お気になさらないで下さい。また、ベルンハルト様の思うときに、お立ち寄りください」

 ベルンハルトの顔を見ることができなくて、ソファから即座に立ち上がる。
 この時間がもう終わるのであれば、見送らねばならない。
 ベルンハルトに背を向けたまま、部屋の扉へと近づいていく。

「と、隣でっ」

 リーゼロッテの後ろから追いかけてきたベルンハルトの声。
 何を言われたのかをすぐに理解できずに、ベルンハルトの方を振り返れば、ソファから少しずつ近づいてくる。
 耳まで赤く染めたベルンハルトの目は、リーゼロッテと目線を合わせては逸らし、慌ただしく泳ぎまわる。

「こ、今度もまた、あ、貴女の隣で。い、い、嫌でっなければっ」

(隣? またあの様に狭いところに?)

 ベルンハルトの求めるものが理解できずに、返事のできないリーゼロッテの横を通り過ぎ、ベルンハルトは扉の取っ手に手をかける。

「よろしく、頼む」

 まるで言い捨てて逃げ出す様に、ベルンハルトが部屋を出て行った。
 扉を開けたその手が離れれば、目の前で静かに閉じる扉。
 その扉を見つめながら、ベルンハルトに言われた言葉を思い返す。

(わたくしが嫌でなければ、また隣に? そう仰ったの?)

 もう一度訪れるかもしれない幸せな時間。
 それを与えてもらえると、直接聞くことができた。
 驚きと嬉しさで目の前の景色が滲む。
 いつもとは違う、暖かな涙がリーゼロッテの頬を濡らした。
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