魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜

ベルンハルトの贈り物

「ベルンハルト様、やはり奥様もご一緒に来るべきだったのではないでしょうか?」

 ベルンハルトの為に用意された客室へ、主人が戻ってくるなり、アルベルトはそう声をあげた。
 ベルンハルトが決定したことに今更口を挟むなど、アルベルトらしくもないが、言わずにはいられないほど戻ってきたベルンハルトの表情は悪かった。

「あのような場に顔を出すのは今夜だけだ。それももう終わったこと。今更そんなことを言ってくれるな」

 アルベルトに言葉返しながら、ベルンハルトはその体をベッドに横たえた。
 着替えもせずに身体を放り出すなど、行儀の良いことではないことぐらいわかっている。
 それでもそうせずにはいられないぐらい、今夜の場はベルンハルトを疲れさせた。

「ベルンハルト様、せめて上着をお脱ぎください。衣服を緩めなければ、疲れもとれません」

 アルベルトにもそれは伝わったのだろう。ロイスナーでその様な振る舞いをすれば、すぐにでも注意が飛んできそうな態度も、今夜は見逃してくれそうだ。

「あぁ。悪いな」

 人前に出るために用意された服は、普段よりも窮屈で、堅苦しい上着を脱ぎさり、装飾品を外し、シャツの第一ボタンを外し、そこまでし終えベルンハルトは手を止めた。

「今夜はどなたも招き入れませんから」

 ベルンハルトの止まった手を見て、アルベルトは即座にそう声をかけた。

「すまぬ……」

 アルベルトの言葉を聞いて、ベルンハルトは自分の顔覆った仮面に手をかけた。
 普段であれば、アルベルトが控室へと下がるまで待ち、その後で誰にも見せぬように仮面を外す。
 朝は朝で、アルベルトの声やノックに反応し、真っ先に仮面を付ける。アルベルトですら、滅多に素顔を見ることはないのだが。
 今夜はそんな気遣いもできないほど、疲れきっているのだろう。
 数週間、いや数ヶ月振りになるだろうか。ベルンハルトが無防備な寝顔をアルベルトに晒していた。
 

 リーゼロッテを伴わずに来た春の挨拶は、覚悟の上とはいえ、例年以上に不快な場所となった。
 仮面をつけた自分のことを何と言われようとも、今更何も感じない。人間の心というのは、こうも固くなってしまうものかと、驚くほどに強固なものだ。
 ただ、今年は結婚相手を連れてこなかったことにまで、奇異の視線を浴びせられた。
 作り話とはいえ、リーゼロッテを連れてこなかった理由はきちんと存在しているのだが、ベルンハルトに直接それを尋ねる者もいなければ、その理由を語る場所もない。
 二人の関係を疑われている様な噂話は、聞いていて楽しいものではない。
 固く閉ざされたはずの心が痛めつけられていくようだった。

 (このような思いをするのは、いつ以来だろうか)

 周りの視線に、声に、傷つけられていた若き日の自分を思い出す。
 その時は途中で耐えられなくなり、用意された客室へと逃げ帰ったが、さすがにそんな真似はできない。今年も同じように部屋の隅の壁を背もたれに、その時が過ぎるのを待つだけだ。
 目を閉じれば、くるくると表情の変わるリーゼロッテの愛しい顔が目に浮かぶ。
 
 (早く、ロイスナーへ帰ろう)


「ベルンハルト様。おはようございます」

 嫌な思いから逃れるようにベッドに倒れ込み、そのまま翌朝を迎えてしまった。
 仮面を外したままのベルンハルトに気を遣って、アルベルトがこちらを向かずにいてくれるのがわかる。
 慌てて身なりを整えれば、アルベルトがいつもと同じように澄ました顔をこちらに向けた。

「おはよう。昨夜は世話をかけた」

「私はベルンハルト様のお世話をするためについてきているんですよ。当然の仕事です」

 アルベルトのその口調に、余程心配をかけたのだということが察せられる。

(昨夜は酷いあり様だったようだ)

 広間から用意された客室へとやっとの思いでたどり着き、アルベルトの顔を見た途端に張り詰めていた糸が切れたようだった。
 いくつか会話をした覚えはあるものの、いまいち記憶がはっきりしない。
 ぼんやりとした記憶の糸を手繰り寄せようとするが、思い出されるのはいつもより酷くなった絡みつく視線。
 そんなもの思い出したくもないと、首を横に振って記憶を手放そうとする。

「ベルンハルト様? どうかなされました?」

「いや、まだ疲れが取れないようだ」

「もうこちらでの用件はお済みですか? 何か買い物をするご予定だったみたいですが」

 アルベルトの言葉に、思わず息を呑む。
 王都で買いたいものがあるだなんて、誰にも言ってなかったはずだ。どこでバレてしまったのだろうか。

「何故……」

「本気で私が気づいていないとお思いですか? それとも、私を試しておられるのですか?」

「い、いや。誰にも言っていないはずだ」

「何が欲しいのかはわかっておりませんよ。わざわざロイスナーではなく、こちらで買わなければならないということは、他の城の者には知られたくないということでしょうか。奥様にも、秘密にしておきたい買い物ですか?」

 アルベルトの顔に、ニヤニヤと嫌な笑顔が浮かぶ。それは、ベルンハルトを揶揄うときの、どこかの庭師そっくりで。

「其方は、本当に父に似てきたな」

 隙を見せてはいけない相手が増えたのではないかと、痛くなるこめかみを押さえながら、傷だらけの心が少しずつ癒えていくのを感じていた。
 
 
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