魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜
「あら」

「調理場はまた今度ですね」

「えぇ。広間に行かなくては。ヘルムートさん、今年はお二人を叱っては駄目ですよ」

 ヘルムートが怒りを露わにしていたのは、ロイスナーに来てからというもの、一年前のあの冬一回だけだ。毎日の仕事に追われ疲れることもあるだろうに、他人を不快にさせる感情を表に出さないその素振りは、優秀な執事そのもの。その様に感情を抑制できるようになるには、どれだけの経験が必要なのか。

 (わたくしは、まだまだね)

 立派な貴族は、中でも王族においては、他人の前で感情を露わにしてはいけない。リーゼロッテもそう言われて育ってきた。それでも、突然襲われる心の揺れに抗えない時も多く、自分の未熟さを噛み締める。

「奥様、今年はお聞きになりたいことはございませんか?」

「ふふ。大丈夫よ」

「では、今年は穏やかに送り出しましょう」


「父上?!」

「アルベルト、討伐に向かうのですか?」

「はいっ! こ、今年はきちんと準備を整えたつもりですが、まだ何かありましたでしょうか?」

 ヘルムートが広間の扉を開ければ、前回の記憶がぶり返したのか、アルベルトが背筋を伸ばして全身に緊張感を走らせた。

「何もありません。私はベルンハルト様を見送りに来ただけです。それとも、何か言われなければならないような不備があるのですか?」

「いえ、心当たりはありませんが」

「それでは、その様に萎縮してどうするのです? 執事長たる者、一介の庭師にそのような態度では示しがつきません」

「申し訳、ありません」

「ヘルムートさん、今年はそのようなことはしないと、お約束いたしました。アルベルトさんも立派に務めを果たしてくれているのです。怖がらせてどうするのですか」

 ヘルムートを前に全身を縮こませているアルベルトを不憫に思い、リーゼロッテは思わず間に割って入る。リーゼロッテにとってはアルベルトも立派な執事で、ベルンハルトの側近として文句のない人物だ。いくら父親といえども、不必要に怖がらせることはない。

「奥様。そうですね。申し訳ありません」

「ぐ、ぐぐっ」

 リーゼロッテの声に、素直に身を引いたヘルムートを見て、ベルンハルトが声を殺して笑った。

「ベルンハルト様?」

 ベルンハルトの笑い声に、リーゼロッテが不思議そうな顔を向ける。何がそれほどまでに楽しいのか、リーゼロッテには理解ができない。

「す、すまない。ヘルムートにそのような口をきくとは、貴女は大物だな」

「変でしたでしょうか?」

「いや、素晴らしい。これからも、ヘルムートのことを頼む」

 丁寧に頭を下げたベルンハルトの気持ちがリーゼロッテには理解ができない。何一つ、変わったことを言ったつもりもないし、そもそもヘルムートには頼ってばかりで、頼まれる様なことはないはずだった。

「わたくしができることなど、たかが知れております。ヘルムートさんには、お世話になってばかりです」

「貴女はそれでいい。そのまま、変わらずにいて欲しい」

「えぇ。わかりました。努力いたしますわ」

 リーゼロッテからの返事を合図に、ベルンハルトが一層顔を引き締めた。

「アルベルト、行こうか。こんなに楽しい気持ちで出発できるのは初めてだ」

「かしこまりました」

 アルベルトは即座に扉を開きに向かう。リーゼロッテとヘルムートは、改めてベルンハルトを前に姿勢を正した。

「ベルンハルト様。ご武運をお祈りしております」

「リーゼロッテ。貴女の身に、危険が及ばないことを祈る」

「それはわたくしの台詞ですわ。ご無事でのお戻り、お待ちしております」

「あぁ。たった一週間だ。それに、この様に楽しく送り出してもらえると、何やら良いことが起こる様な気もする」

「それならば、良かったです」

「ベルンハルト様、いってらっしゃいませ」

 ヘルムートが恭しく頭を下げれば、リーゼロッテもそれを見倣う。二度目のこととはいえ、慣れるものではない。今年も、レティシア達が力を貸してくれるとは聞いたが、それでもベルンハルト一人にかかる負荷は計り知ることもできない。

 その身を翻したベルンハルトは、そのまま後ろを振り向くこともなく、アルベルトによって開けられた扉の向こうへと進んで行った。
 閉ざされた扉の向こうへ行けるのは、ロイエンタール家当主とその側近。その先で何が起こるのか、ベルンハルトの身に降り掛かるものが何か、リーゼロッテに知る術はない。

 全ての討伐を終え、レティシアがその身を無事に送り返してくれることを、この城でただ待つしかなく、力になれないもどかしさは消え去りはしない。

(ベルンハルト様。くれぐれもご無事で)

 リーゼロッテの願いは、たった一つ。 

 
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