魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜
「リーゼロッテ、ここがロイスナーの市場だ」
馬車の中から覗く街並みは数年前に来たときと変わっておらず、小さな街の中で領民達が穏やかに暮らしているのがわかる。
「これが、市場なのですね。皆が笑顔で、何やらわたくしまで楽しい気分にさせられます」
「それなら良かった」
「あの奥は、どうなっているのですか?」
馬車からでは見通すことのできない路地の先。その先を指差しながら、リーゼロッテがベルンハルトに問う。
「もう少し先まで、商店が並んでいるはずだが……」
ベルンハルトの返事がはっきりしないのも仕方ない。ベルンハルトが領内の視察に来る時はいつだって馬車の中から、街を見て回るだけだ。その先など、知るはずもない。
「はい。ロイスナーの市場は今ここから見える範囲が一番栄えています。ですが、その先にも小さな店が並んでおります」
「ここから見える商店は大きく、品数も多いのですが、少し高級なんです。その奥の商店ではもう少し手に取りやすいものを取り扱ってくれているので、私も日常的に使うものはそちらで買うことが多いですね」
ベルンハルトが知らないことまで、アルベルトやイレーネが言葉を添えてくれる。
「わたくし、歩いてみたいです!」
リーゼロッテがイレーネの言葉に目を輝かせていた。
「そ、それならばイレーネと行ってくるが良い。荷物持ちにアルベルトかヘルムートを連れて行っても構わない。私は馬車で待っているから」
「どうしてですか? ベルンハルト様も市場に来るのを楽しみにしていたではありませんか。一緒に参りましょう?」
市場に着けばリーゼロッテがそう言い出すとは思っていた。言い出さなければ『行っておいで』と背中を押すつもりでもいた。そのためにイレーネやヘルムートを連れてきたのだし、城内に閉じこもっているより楽しいだろう。
だが、一緒に歩くことなど考えてもいなかった。
王都の市場に行くのも抵抗があった。仮面をつけた顔を白い目で見られるのは間違いないし、気にならないわけがない。ただ、彼らに会うことは今後ないだろう、そう自分に言い聞かせて街へ出た。
しかし、今回は違う。目の前にいるのはロイスナーの領民達で、今後も会うことだってあるだろう。リーゼロッテにそんな顔をされるのは耐えられないが、だからといって領民達なら平気だということではない。
大切な人達だからこそ、遠くで見るだけで良い。敢えて近寄って、自ら傷つく必要などない。
「いや、私はここで」
「ベルンハルト様もご一緒でないならば、わたくしも参りません」
ベルンハルトの気持ちも知らずに、リーゼロッテがフイと顔を背ける。その様は何とも愛おしいが、先程の様子を見れば本音は簡単に知れる。
「リ、リーゼロッテ? そんなことを言わずに行ってくると良い。歩いてみたいと言ったではないか」
「えぇ。歩いてみたいです。市場、初めてなのですよ」
リーゼロッテはそう言いながら、もう一度ベルンハルトの方に向き直り、その白い手をベルンハルトの手に重ねた。
「ですから、ベルンハルト様と一緒に行きたいのです。心配事も楽しいことも一緒にしましょう。悩みごとは半分にして、幸せは二倍にするのです」
「二倍……」
「そうです。ね? 一緒に行きましょう?」
ベルンハルトの顔を覗き込むように下から見上げたリーゼロッテの顔が可愛らしくて、その愛おしさに自分の顔に熱が上がるのがわかる。
「そっ、そうだなっ。わかっ、わかった」
顔を赤く染めながら、つっかえつっかえ言葉を返すベルンハルトの様子に、リーゼロッテが嬉しそうに笑った。
「ベルンハルト様。あちらのお店に行ってみましょう」
馬車から降りて市場内を歩き始めれば、先程まで穏やかに笑っていた領民の顔がぎこちなくなり、こちらを伺うような視線を痛いぐらいに感じる。
(だから、嫌だったのだ)
その視線は全て自分の仮面に注がれているような気がして、そんな男の隣をリーゼロッテに歩かせてしまうことに、罪悪感が広がる。
「あちらは焼き菓子を扱うお店のようですよ」
リーゼロッテの言葉に、俯いたまま返事をしないベルンハルトの代わりに、アルベルトが言葉を返した。
返事もできず、アルベルトに下らぬ手間をかけさせる自分のみっともなさや情けなさが、さらに重くのしかかる。
「ベルンハルト様は、焼き菓子はお好きですか? 今度のお茶菓子を選びに行きましょう」
ベルンハルトの今にも立ち止まってしまいそうな体の横に垂れ下がった手が、リーゼロッテの手で握られる。
そしてそのまま、強く引かれた。
「ちょっ。待ってくれっ」
その華奢な体のどこからそんな力が出るのだろうか。突然の強い力に、つんのめるようにベルンハルトが足を進めた。
「ベルンハルト様のお好みを教えて下さいな。そしたら、これからご用意するのが楽しくなりますから」
「わたっ、私は、何でも」
「何でも良いはダメです。これが良いと仰って下さいね」
ベルンハルトの口から出てくる言葉を先に汲み取って、被せるようにリーゼロッテが告げた。
強く引かれたままの体は徐々に目当ての店に近づいていて、その店の主人が体を固くしているのがわかる。
(怖がらせているではないか!)
そんな領民の姿を見たくなくて、その視線を下に向け、思わずぐっと目を瞑る。
(焼き菓子など、何でもいいんだ)
何を思ったって止まらない足、引かれるままの手。ただただ、自分に近寄られることの恐怖を感じさせてしまうその店の主人に、申し訳なさだけが強くなる。
「貴方様が領主様でいらっしゃいますか?」
リーゼロッテよりもイレーネよりもかん高く、それでいて幼さを感じさせる声が、どこからともなく耳に届いた。
その声に驚き、思わず足を止めた。それはベルンハルトだけではなく、リーゼロッテの手の力も抜いた。
「領主様でしょうか?」
もう一度飛び込んできた声は、ベルンハルトの視界の下の方から聞こえてきた。
ベルンハルトが下を向き辺りを見回せば、アルベルトの後ろ、まるで隠れるように男の子が立っていた。
馬車の中から覗く街並みは数年前に来たときと変わっておらず、小さな街の中で領民達が穏やかに暮らしているのがわかる。
「これが、市場なのですね。皆が笑顔で、何やらわたくしまで楽しい気分にさせられます」
「それなら良かった」
「あの奥は、どうなっているのですか?」
馬車からでは見通すことのできない路地の先。その先を指差しながら、リーゼロッテがベルンハルトに問う。
「もう少し先まで、商店が並んでいるはずだが……」
ベルンハルトの返事がはっきりしないのも仕方ない。ベルンハルトが領内の視察に来る時はいつだって馬車の中から、街を見て回るだけだ。その先など、知るはずもない。
「はい。ロイスナーの市場は今ここから見える範囲が一番栄えています。ですが、その先にも小さな店が並んでおります」
「ここから見える商店は大きく、品数も多いのですが、少し高級なんです。その奥の商店ではもう少し手に取りやすいものを取り扱ってくれているので、私も日常的に使うものはそちらで買うことが多いですね」
ベルンハルトが知らないことまで、アルベルトやイレーネが言葉を添えてくれる。
「わたくし、歩いてみたいです!」
リーゼロッテがイレーネの言葉に目を輝かせていた。
「そ、それならばイレーネと行ってくるが良い。荷物持ちにアルベルトかヘルムートを連れて行っても構わない。私は馬車で待っているから」
「どうしてですか? ベルンハルト様も市場に来るのを楽しみにしていたではありませんか。一緒に参りましょう?」
市場に着けばリーゼロッテがそう言い出すとは思っていた。言い出さなければ『行っておいで』と背中を押すつもりでもいた。そのためにイレーネやヘルムートを連れてきたのだし、城内に閉じこもっているより楽しいだろう。
だが、一緒に歩くことなど考えてもいなかった。
王都の市場に行くのも抵抗があった。仮面をつけた顔を白い目で見られるのは間違いないし、気にならないわけがない。ただ、彼らに会うことは今後ないだろう、そう自分に言い聞かせて街へ出た。
しかし、今回は違う。目の前にいるのはロイスナーの領民達で、今後も会うことだってあるだろう。リーゼロッテにそんな顔をされるのは耐えられないが、だからといって領民達なら平気だということではない。
大切な人達だからこそ、遠くで見るだけで良い。敢えて近寄って、自ら傷つく必要などない。
「いや、私はここで」
「ベルンハルト様もご一緒でないならば、わたくしも参りません」
ベルンハルトの気持ちも知らずに、リーゼロッテがフイと顔を背ける。その様は何とも愛おしいが、先程の様子を見れば本音は簡単に知れる。
「リ、リーゼロッテ? そんなことを言わずに行ってくると良い。歩いてみたいと言ったではないか」
「えぇ。歩いてみたいです。市場、初めてなのですよ」
リーゼロッテはそう言いながら、もう一度ベルンハルトの方に向き直り、その白い手をベルンハルトの手に重ねた。
「ですから、ベルンハルト様と一緒に行きたいのです。心配事も楽しいことも一緒にしましょう。悩みごとは半分にして、幸せは二倍にするのです」
「二倍……」
「そうです。ね? 一緒に行きましょう?」
ベルンハルトの顔を覗き込むように下から見上げたリーゼロッテの顔が可愛らしくて、その愛おしさに自分の顔に熱が上がるのがわかる。
「そっ、そうだなっ。わかっ、わかった」
顔を赤く染めながら、つっかえつっかえ言葉を返すベルンハルトの様子に、リーゼロッテが嬉しそうに笑った。
「ベルンハルト様。あちらのお店に行ってみましょう」
馬車から降りて市場内を歩き始めれば、先程まで穏やかに笑っていた領民の顔がぎこちなくなり、こちらを伺うような視線を痛いぐらいに感じる。
(だから、嫌だったのだ)
その視線は全て自分の仮面に注がれているような気がして、そんな男の隣をリーゼロッテに歩かせてしまうことに、罪悪感が広がる。
「あちらは焼き菓子を扱うお店のようですよ」
リーゼロッテの言葉に、俯いたまま返事をしないベルンハルトの代わりに、アルベルトが言葉を返した。
返事もできず、アルベルトに下らぬ手間をかけさせる自分のみっともなさや情けなさが、さらに重くのしかかる。
「ベルンハルト様は、焼き菓子はお好きですか? 今度のお茶菓子を選びに行きましょう」
ベルンハルトの今にも立ち止まってしまいそうな体の横に垂れ下がった手が、リーゼロッテの手で握られる。
そしてそのまま、強く引かれた。
「ちょっ。待ってくれっ」
その華奢な体のどこからそんな力が出るのだろうか。突然の強い力に、つんのめるようにベルンハルトが足を進めた。
「ベルンハルト様のお好みを教えて下さいな。そしたら、これからご用意するのが楽しくなりますから」
「わたっ、私は、何でも」
「何でも良いはダメです。これが良いと仰って下さいね」
ベルンハルトの口から出てくる言葉を先に汲み取って、被せるようにリーゼロッテが告げた。
強く引かれたままの体は徐々に目当ての店に近づいていて、その店の主人が体を固くしているのがわかる。
(怖がらせているではないか!)
そんな領民の姿を見たくなくて、その視線を下に向け、思わずぐっと目を瞑る。
(焼き菓子など、何でもいいんだ)
何を思ったって止まらない足、引かれるままの手。ただただ、自分に近寄られることの恐怖を感じさせてしまうその店の主人に、申し訳なさだけが強くなる。
「貴方様が領主様でいらっしゃいますか?」
リーゼロッテよりもイレーネよりもかん高く、それでいて幼さを感じさせる声が、どこからともなく耳に届いた。
その声に驚き、思わず足を止めた。それはベルンハルトだけではなく、リーゼロッテの手の力も抜いた。
「領主様でしょうか?」
もう一度飛び込んできた声は、ベルンハルトの視界の下の方から聞こえてきた。
ベルンハルトが下を向き辺りを見回せば、アルベルトの後ろ、まるで隠れるように男の子が立っていた。