恋人時代 コーヒーカップに映った君へ
適当な時間に目を覚まし、適当な時間にチャンネル動画を撮影し、適当な時間に喫茶店に行ってコーヒーを飲みながらホロホロと時間を過ごす。
そうなると曜日の感覚なんて忘れてしまって今日が何曜日なのか確かめる気さえ無くなってしまう。 不思議なもんだね。
月曜日でも水曜日でも関係ない。 お日様が昇って沈めば一日が終わるんだ。
なんとまあ投げやりな生き方なんだろう? 人間なんて環境が変われば生き方も変わるもんだね。
俺たちが中学生だった頃、涼子はバドミントンをやっていた。 俺もその姿がかっこいいって思ったから一緒にラケットを振ったもんだ。
でもさあ、涼子と試合をするまでには至らなかった。 なかなか上手くならなくて。
そんな俺たちの姿を由美子はぼんやりと眺めていた。 部活を終わって昇降口に来ると先に立って歩いていくんだ。
「姉ちゃんも咽乾いたでしょう?」なんて言いながら自販機でジュースを買ってくれたりしたんだよな。
あの当時、松田聖子とか河合奈保子とかけっこう個性的なアイドルがブームだった。 聖子ちゃんカットは女の子の定番で、、、。
涼子は「可愛いでしょう?」っていつも俺に聞いてきてたっけ。 由美子は(また始まった)って顔をしてたんだよ。
その頃だよなあ。 涼子がギターを練習してたのは。 高校生になってから教室で弾くようになったんだって。
なんでも中島みゆきのlpを聞きながら練習したんだそうだ。 「長渕剛でもいいんじゃないのか?」って言ったら「あの人は上手すぎるからダメだよ。」って苦笑いしてたっけ。
涼子が3年の時、初めて文化祭でライブをやった。 「一緒に歌おう。」って誘われたから俺も一緒に並んだ。
緊張したよ。 劇はよくやったけど歌うなんて初めてだったしさ、学芸会でやっただけだから。
ステージに立ったら一番前に母ちゃんが座ってて、、、。 ニコニコしながらシャッターを切るんだ。
あれほど恥ずかしい思いは無かったねえ。 そんな涼子が死んじゃったんだ。
3月の終わりごろ、涼子が珍しく真面目な顔でうちに来た。 大学に行っちゃうと家を離れるからって。
その時にさ「由美子とは仲良くしてやってね。」って頼まれたんだ。 でもその後、俺も大学に行ったから、、、。
その年、夏だったかな。 涼子と同じく仲良くしてた先輩から電話が掛かってきた。
「大変なんだ。 すぐに来てくれよ。」 声から焦っていることは分かった。
「何が有ったの?」 「いいから速く来てくれ。」
同じ県内ではあるけど大学までは1時間半くらい掛かるんだよなあ。 いきなり言われても困ったよ。
それでも何とかして由美子と二人で大学にすっ飛んで行った。 先輩は真っ蒼な顔をして歩き回っていた。
「おー、由美子ちゃんも来たのか。 こっちだ。」 先輩が連れて行ってくれたのは寮の屋上だった。
かなり大きめの寮でね、5階くらいまで有るのかなあ? その屋上から下を見下ろしながら先輩が言った。
「あいつが、、、。 涼子が、、、ここから飛び降りた。」って。 信じられなかったよ。
「何が有ったんですか?」 「いや、俺にも分からない。 涼子は文学部だし、俺は経済学部だから、、、。」
下では警察官がウロウロしていた。 飛び降りた現場で捜査しているらしかった。
もちろん現場そのものはシートで覆われているから見ることは出来ない。 先輩は俺に言った。
「涼子 今は病院に運ばれてる。 会いに行くか?」 「もちろん。」
とは言ったものの不安でもあった。 飛び降りた以上は惨いことになってるだろうから。
病院、というかどっかの施設に俺たちは入った。 案内されるままに涼子が寝かされているベッドに近付いていく。
頭には訪台がグルグル巻きにされ、さらに袋がかぶされている。 「顔を見たい。」
「それはやめとけ。 後悔するぞ。」 「見ない方が後悔する。」
俺はなぜか意地を張って見せるように懇願した。 「いいんだな? 後悔しても弁償はしないからな。」
検視官はそう言って他の人たちを外に出してから袋を外した。 そこにはグチャグチャニ潰れた涼子の顔が有った。
後悔したというよりは「これが人間なのか?」と疑問を持っただけだった。 どう解釈したらいいのか複雑な思いが交錯していた。
それからしばらくして涼子の葬儀が執り行われたんだが俺は出棺を待たずに飛んで帰ったのを覚えている。 涼子が焼かれるのを見たくはなかったんだ。
その後、半年ほど経って二人の男が逮捕された。 何でも涼子に付きまとって交際を迫っていたらしい。
その一人は覚醒剤にやられていた。 もう一人は暴力団の下っ端だった。
何処にでも起きる恋愛感情の縺れ、、、なんだろうか? その話を聞いた時、悍ましいことだなと俺は思った。
あれは1980年代のこと。 日本がバブル景気に向かって突進していた時のことだ。
もちろん、それまでにはオイルショックとか鉄鋼不況とか乗り越えなきゃいけない嵐はたくさん有った。
それでも朝鮮戦争以来、好景気の暴風が吹き荒れていたんだ。 円相場は固定相場制が解かれて250円くらいだったかな。
それが面白くないアメリカは100円以上切り上げることを日本に求めてきた。 すごい時代だったんだ。
1985年以降、好景気はさらに進んであっちでもこっちでもお札が飛び交うような異常な時代になった。 バーやスナックではドンペリが毎晩飛ぶように売れた。
企業は破格の値段を付けて新卒者を買いまくった。 これでもかってくらいに争奪戦はすごかった。
おまけにあの時代は終身雇用が当然の時代だったから入ったら最後 定年までその会社を離れられなかった。
離れようとすればあの手この手で道を塞がれたもんだ。 今みたいに退職代行業者なんて居ないから全てが体当たりだったんだ。
離れたってさ、周りに情報が行き渡っていてどの会社も知らぬ存ぜぬを決め込むんだ。 一瞬で敗者に転落するわけね。
今とはえらい違いだよ。 親父たちの世代は会社に尽くすことが社会に尽くすことだったんだね。
今は簡単に首を切れない。 切ったら最後、事によっては裁判を起こされてしまう。
こちらの筋道が正しければいいが、感情論だけじゃあ負けてしまうから。
というわけで俺も銀行に勤めたわけさ。 定年まで居るつもりでね。
でも定年前に辞めてしまった。 もう少しだったのに、、、。
50を過ぎると人は何故か冒険をしたくなる。 在り来たりな毎日に満足できなくなるらしい。
nttで働いていたってシルバー退職する人も居る。 役所勤めでもそうらしい。
別に希望退職を募られたわけでもないのに、、、。
nttを辞めた人がどっかの仏壇屋で働いてるって聞いたことが有る。
市役所を辞職した人がミネラルウォーターを売って歩いてるって聞いたことも有る。 俺は熟れないユーチューバーだけどな。
試しに他のやつがどんな動画を上げているのか見てみようか。 フムフム、なるほど。
面白いだけの動画もたくさん上がってる。 音の無い動画もたくさん上がってる。
お願いの動画も有れば文句を言う動画も有る。 それに最近はショート動画も大流行らしいね。
俺は何かつまらなくなって床に寝転がった。 以前ならこうやってると「風邪ひきますよ。」って由美子が毛布を持ってきたもんだ。
でも今、その由美子は居ない。 何処で何をしてるんだろう?
そうなると曜日の感覚なんて忘れてしまって今日が何曜日なのか確かめる気さえ無くなってしまう。 不思議なもんだね。
月曜日でも水曜日でも関係ない。 お日様が昇って沈めば一日が終わるんだ。
なんとまあ投げやりな生き方なんだろう? 人間なんて環境が変われば生き方も変わるもんだね。
俺たちが中学生だった頃、涼子はバドミントンをやっていた。 俺もその姿がかっこいいって思ったから一緒にラケットを振ったもんだ。
でもさあ、涼子と試合をするまでには至らなかった。 なかなか上手くならなくて。
そんな俺たちの姿を由美子はぼんやりと眺めていた。 部活を終わって昇降口に来ると先に立って歩いていくんだ。
「姉ちゃんも咽乾いたでしょう?」なんて言いながら自販機でジュースを買ってくれたりしたんだよな。
あの当時、松田聖子とか河合奈保子とかけっこう個性的なアイドルがブームだった。 聖子ちゃんカットは女の子の定番で、、、。
涼子は「可愛いでしょう?」っていつも俺に聞いてきてたっけ。 由美子は(また始まった)って顔をしてたんだよ。
その頃だよなあ。 涼子がギターを練習してたのは。 高校生になってから教室で弾くようになったんだって。
なんでも中島みゆきのlpを聞きながら練習したんだそうだ。 「長渕剛でもいいんじゃないのか?」って言ったら「あの人は上手すぎるからダメだよ。」って苦笑いしてたっけ。
涼子が3年の時、初めて文化祭でライブをやった。 「一緒に歌おう。」って誘われたから俺も一緒に並んだ。
緊張したよ。 劇はよくやったけど歌うなんて初めてだったしさ、学芸会でやっただけだから。
ステージに立ったら一番前に母ちゃんが座ってて、、、。 ニコニコしながらシャッターを切るんだ。
あれほど恥ずかしい思いは無かったねえ。 そんな涼子が死んじゃったんだ。
3月の終わりごろ、涼子が珍しく真面目な顔でうちに来た。 大学に行っちゃうと家を離れるからって。
その時にさ「由美子とは仲良くしてやってね。」って頼まれたんだ。 でもその後、俺も大学に行ったから、、、。
その年、夏だったかな。 涼子と同じく仲良くしてた先輩から電話が掛かってきた。
「大変なんだ。 すぐに来てくれよ。」 声から焦っていることは分かった。
「何が有ったの?」 「いいから速く来てくれ。」
同じ県内ではあるけど大学までは1時間半くらい掛かるんだよなあ。 いきなり言われても困ったよ。
それでも何とかして由美子と二人で大学にすっ飛んで行った。 先輩は真っ蒼な顔をして歩き回っていた。
「おー、由美子ちゃんも来たのか。 こっちだ。」 先輩が連れて行ってくれたのは寮の屋上だった。
かなり大きめの寮でね、5階くらいまで有るのかなあ? その屋上から下を見下ろしながら先輩が言った。
「あいつが、、、。 涼子が、、、ここから飛び降りた。」って。 信じられなかったよ。
「何が有ったんですか?」 「いや、俺にも分からない。 涼子は文学部だし、俺は経済学部だから、、、。」
下では警察官がウロウロしていた。 飛び降りた現場で捜査しているらしかった。
もちろん現場そのものはシートで覆われているから見ることは出来ない。 先輩は俺に言った。
「涼子 今は病院に運ばれてる。 会いに行くか?」 「もちろん。」
とは言ったものの不安でもあった。 飛び降りた以上は惨いことになってるだろうから。
病院、というかどっかの施設に俺たちは入った。 案内されるままに涼子が寝かされているベッドに近付いていく。
頭には訪台がグルグル巻きにされ、さらに袋がかぶされている。 「顔を見たい。」
「それはやめとけ。 後悔するぞ。」 「見ない方が後悔する。」
俺はなぜか意地を張って見せるように懇願した。 「いいんだな? 後悔しても弁償はしないからな。」
検視官はそう言って他の人たちを外に出してから袋を外した。 そこにはグチャグチャニ潰れた涼子の顔が有った。
後悔したというよりは「これが人間なのか?」と疑問を持っただけだった。 どう解釈したらいいのか複雑な思いが交錯していた。
それからしばらくして涼子の葬儀が執り行われたんだが俺は出棺を待たずに飛んで帰ったのを覚えている。 涼子が焼かれるのを見たくはなかったんだ。
その後、半年ほど経って二人の男が逮捕された。 何でも涼子に付きまとって交際を迫っていたらしい。
その一人は覚醒剤にやられていた。 もう一人は暴力団の下っ端だった。
何処にでも起きる恋愛感情の縺れ、、、なんだろうか? その話を聞いた時、悍ましいことだなと俺は思った。
あれは1980年代のこと。 日本がバブル景気に向かって突進していた時のことだ。
もちろん、それまでにはオイルショックとか鉄鋼不況とか乗り越えなきゃいけない嵐はたくさん有った。
それでも朝鮮戦争以来、好景気の暴風が吹き荒れていたんだ。 円相場は固定相場制が解かれて250円くらいだったかな。
それが面白くないアメリカは100円以上切り上げることを日本に求めてきた。 すごい時代だったんだ。
1985年以降、好景気はさらに進んであっちでもこっちでもお札が飛び交うような異常な時代になった。 バーやスナックではドンペリが毎晩飛ぶように売れた。
企業は破格の値段を付けて新卒者を買いまくった。 これでもかってくらいに争奪戦はすごかった。
おまけにあの時代は終身雇用が当然の時代だったから入ったら最後 定年までその会社を離れられなかった。
離れようとすればあの手この手で道を塞がれたもんだ。 今みたいに退職代行業者なんて居ないから全てが体当たりだったんだ。
離れたってさ、周りに情報が行き渡っていてどの会社も知らぬ存ぜぬを決め込むんだ。 一瞬で敗者に転落するわけね。
今とはえらい違いだよ。 親父たちの世代は会社に尽くすことが社会に尽くすことだったんだね。
今は簡単に首を切れない。 切ったら最後、事によっては裁判を起こされてしまう。
こちらの筋道が正しければいいが、感情論だけじゃあ負けてしまうから。
というわけで俺も銀行に勤めたわけさ。 定年まで居るつもりでね。
でも定年前に辞めてしまった。 もう少しだったのに、、、。
50を過ぎると人は何故か冒険をしたくなる。 在り来たりな毎日に満足できなくなるらしい。
nttで働いていたってシルバー退職する人も居る。 役所勤めでもそうらしい。
別に希望退職を募られたわけでもないのに、、、。
nttを辞めた人がどっかの仏壇屋で働いてるって聞いたことが有る。
市役所を辞職した人がミネラルウォーターを売って歩いてるって聞いたことも有る。 俺は熟れないユーチューバーだけどな。
試しに他のやつがどんな動画を上げているのか見てみようか。 フムフム、なるほど。
面白いだけの動画もたくさん上がってる。 音の無い動画もたくさん上がってる。
お願いの動画も有れば文句を言う動画も有る。 それに最近はショート動画も大流行らしいね。
俺は何かつまらなくなって床に寝転がった。 以前ならこうやってると「風邪ひきますよ。」って由美子が毛布を持ってきたもんだ。
でも今、その由美子は居ない。 何処で何をしてるんだろう?