【連載中】エリート調香師は、初心な新妻を口説き落としたい。



『花が好きなことまで、ご存知だったんですね』

『華道家元の娘なら当然だと思いました』


 ああ、そういうことか。当然の推測。心彩は少し笑った。
 自分が何か特別なことを汲み取ったつもりになっていたのが、少し恥ずかしかった。

 しかし次に玲央が書いた文字で、心彩はもう一度目を瞬くことになった。


『あなたは花の香りが好きですか?』


 花の、香り。
 心彩はしばらくその問いを見つめた。調香師という職業からくる質問なのだろう。でも、その聞き方が妙に直球で、心彩の何かに触れた。


『好きです。特に、季節ごとに違う香りを確かめるのが好きです』

『どの季節の花が一番好きですか?』


 矢継ぎ早ではないが、自然に次の問いが来た。これが玲央にとっての会話の仕方なのかもしれない、と心彩は思った。



『春です。沈丁花が好きです。遠くからでも香りでわかるから』


 玲央はその返答を読んで、しばらく無言だった。

 何か書こうとして、止めたような間があった。そして。


『なるほど』


 たった二文字。それだけだった。
 でも心彩には、その「なるほど」が、なんとなく本物のように感じられた。社交辞令ではない、何か内側から来た言葉のような気がした。

 心彩はもう一度ペンを取った。今度は少し、踏み込んでみたかった。


『月森様は、華道のご家元のご甥御様でいらっしゃいますね。幼い頃は花を生けていたのですか?』


 玲央の手が、一瞬止まった。

 気づかなければ見逃してしまうほどの、ほんの小さな間だった。しかしそれが確かにあったことを、心彩の目は捉えていた。

 玲央が書く。


『少しだけ。父も同じです。父は伯父に、私は従兄に及ばないと早々に気づいた』


 淡々とした文字だった。

 しかしその一文には、諦めとも違う、何か静かに腑に落ちたような感触があった。父の綾斗が兄の才能を見てから華道をバッサリ諦めたという話を、心彩は縁談の席でわずかに聞いていた。
 その血を引く玲央もまた、同じような経緯があるのかもしれない。


『伯父様は、月森郁斗先生ですね。先生の作品は、私も拝見したことがあります』


 玲央がすぐに書き返す。


『伯父は天才です。その血を受け継ぐ従兄も同様に。俺と父は、それを誰よりも近くで知っている。彼らは本当に美しいんだ』


 自嘲でも羨望でもない。ただの事実として書かれた文字。

 心彩は、その文字をしばらく見つめた。

 天才を間近で見続けた人間の目は、どんな景色を見てきたのだろうか。




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