【連載中】エリート調香師は、初心な新妻を口説き落としたい。
式が終わり、写真を撮り終えた後、玲央さんが心彩の隣に来た。そしてスーツのポケットから、小さなものを取り出して、心彩の手のひらに置いた。
見ると、それは香水の小瓶だった。透明なガラスに、ごく淡いベージュ色の液体。ラベルには何も書かれていない。
心彩が顔を上げると、玲央さんはメモを差し出してきた。
見合いの時と同じように、ペンで書いた文字が並んでいた。
『あなたのために作った。つけなくてもいい。ただ、持っていてほしい』
心彩は小瓶を見た。それから玲央の顔を見た。
相変わらず表情は薄い。でも、その目の奥に、何か確かなものがあった。
心彩はもう一度小瓶を手のひらに乗せ、そっと蓋を外して鼻に近づけた。
香りが広がった瞬間、心彩は息を呑んだ。
沈丁花。
見合いの席で、一度話しただけなのに。「遠くからでも香りでわかるから」と書いただけなのに。
それをこの人は、覚えていてわざわざ作ってくれた。
沈丁花の甘い香りの中に、もう一つ、かすかに別の何かが混じっていた。何の花だろうと心彩は考えた。甘さの中に、ほんのわずかな苦みと、清潔な緑の匂い。
すぐにはわからなかった。でも、その香りは不思議と、目の前の人に似ていると思った。
小瓶を握る指に、力が入った。心彩は玲央さんを見上げ、小さく、でも確かに笑った。
玲央はそれを見て、ほんの少し――ほんの少しだけ、目の端が和らいだ。それが、心彩が初めて見た、玲央さんの感情の欠片だった。