【連載中】エリート調香師は、初心な新妻を口説き落としたい。
食事を始めてしばらくして、玲央がメモを書いた。
【明日、工房に来ますか】
心彩は顔を上げた。驚いていると、玲央はペンを紙に走らせる。
【お嫌ならいいんですが、案内がしたいんだ。父には許可をもらっている。】
玲央は少し止まってから、続けた。
【それにあなたに見せたいものがある】
見せたいもの。
心彩は胸の中で、その言葉をゆっくり転がした。
見せたいもの、と言った。見てもらうべきもの、でも、見せるべきもの、でもなく。その主語は、明らかに玲央自身の意志だった。
『……はい。ぜひ』
心彩が書き返すと、玲央はそれを確認してまた豚汁を口に運んだ。
それ以上の言葉はなかった。でも、その短いやり取りが、心彩の中に小さな灯りをともした。
食べた後、心彩は食器は自分が洗うとジェスチャーで言うと玲央は理解したようで少し考えてから、頷いた。
そして玲央はソファに腰を下ろし、書類か何かを広げた。仕事の続きをしているのだろう。
心彩はキッチンに立ち、お湯を出して、食器を洗い始める。
水が流れる感触が、手のひらに伝わる。心彩には音は聞こえないが、水の流れる感触と、泡の手触りと、食器が滑らかになっていく感覚は、ちゃんとわかった。
洗いながら、心彩はガラス越しにリビングの玲央をちらりと見た。
書類に向かう横顔は、集中している時の顔だった。昼間の無表情とも少し違う。何かを考えている、内側に向かっている顔。
ペンを走らせている。仕事の書類なのか、手帳なのか、ここからでは見えなかった。でも、真剣に何かと向き合っている顔だった。
この人には、内側がちゃんとある、と心彩は思った。表に出てこないだけで、何かがそこに確かに存在する。
それは言葉にしないことと、何もないこととは、全然違う。
洗い物を終えて、心彩は手を拭きながらリビングへ戻った。玲央は顔を上げて、心彩を見た。
書類を一時中断して、こちらを向いてくれた。
それが、この人なりの気遣いなのかもしれない、と心彩は思った。仕事中でも、誰かが入ってきたら顔を上げる。それだけのことだけれど。