『46億年の記憶』 ~命、それは奇跡の旅路~   【新編集版】
 今日最後の外来患者を診察した時のことだった。
 30代前半の初診患者だった。
 妊娠という結果を伝えて喜んでくれたまでは良かったが、そのあとに話したことをまともに聞かなかった。
 その話とは、妊娠中の注意事項としてアルコールやタバコを控えるようにという内容だったが、その女性は「アルコールとタバコを止めるくらいなら死んだほうがましです」と言ったのだ。
 新はびっくりしてあんぐりと口を開け、10秒くらいはその状態のままでいたが、ふと我に返って、呟くように問うた。
 
「死んだほうがましって……」

「だから、アルコールとタバコは止められません!」

 キッという目で睨まれたが、睨まれたことによって新は医師の顔に戻った。

「アルコールとタバコが胎児にどんな影響を及ぼすか、よく考えてください」

 新は胎盤の機能を詳しく説明した。

「胎盤はお腹の中の赤ちゃんに酸素や栄養を届けるという大事な役目を果たしています。免疫も伝えています。しかし、赤ちゃんに有益なものだけを通すわけではありません。有害なものも通してしまうのです。その代表的なものがアルコールとニコチンです。あなたが酒を飲んで酔っ払うと赤ちゃんも酔っぱらってしまいます。あなたが煙草を吸うと赤ちゃんもタバコを吸ったことになります。その時、赤ちゃんは喜んでいると思いますか? 喜んではいません。嫌がっているのです。赤ちゃんの顔は歪んでいます。ひきつっています。『ママ、アルコールとニコチンは嫌いだよ』って訴えているのです。そんな赤ちゃんの訴えを無視するのですか? 無視して赤ちゃんが大嫌いなものを与え続けるのですか!」

 そして医学書を開いて、『胎児性アルコール症候群』の説明をした。
 妊娠中の母親の飲酒が胎児や乳児の低体重、顔面奇形、脳障害などを引き起こす可能性があることを伝えた。
 それから、喫煙によって子宮内発育遅延が起こる可能性があること、流産や早産、前置胎盤(ぜんちたいばん)胎盤早期剥離(たいばんそうきはくり)などの異常が増加することを伝えた。
 早産率が喫煙本数と明らかな相関関係があることも伝えた。
 それだけでなく、妊娠早期に禁煙すれば胎児の体重は正常に近くなり、早産率も減少するので、一日も早く禁煙した方がいいことも伝えた。
 しかし、納得するどころか、「アルコールとタバコは夫婦共通の趣味だからやめることはできないの!」と頬を膨らませた。

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