ストーカー三昧・浪曲、小話、落語
人は何の為に生きるか(1)
そのような世間を、かのシェークスピアなどは「この世は謂わば劇、演劇だ。すべての人類はその中で役者として生きている」と申しております。蓋し名言かと…。
ではそのような人生の演劇・舞台で頂いたそれぞれの役どころなのですが…まあその、ある人は金持ちとして、ある人は貧乏人として、またある人はひょっとして王様として、かえらまにホームレスとして…と、まあ色々ある分けですが、ではこのような役どころを通して我々はどう生きれば(演じれば)いいのでしょうか?
えー、実はかつて不肖このわたくしは「人生・人間とは何か、何の為に我々人間はあるのか、何の為に生きるのか、万生万物はすべて偶然の産物なのか、神は存在するのか…」などと、しょうもないこと(?)を真剣に悩み、それが嵩じた余り公務員職を投げ打って、その解答を求めるべく、広く世界中を放浪をして歩いた経験があるのです。えー、しかしそのお陰で今はほぼプータロー然として居るのですが(観客笑う)…。
まあ、あれですわな、そんな、歴代の蒼々たる哲学者のお歴々が追求しても分からなかったことを、最平凡人たるわたくし如きが追求したって分かる筈がない分けです。それこそ「井の中の蛙大海を知らず」の最たるものですな。えー、しかしですな、それじゃあまんず仕方なかっぺさと云って、うっちゃってしまえるほどに、わたくしが仕出かしてしまった「人生の無駄使い」ではない分けです。それで済ませてしまっては御先祖様に、また何よりもわたくし自身に申し訳が立ちません。
えー、それで、ちょっと話が飛ぶようですが1930年代の中華民国の女流作家で蕭紅(しょうこう)という方がかつて居られました。作家紹介は避けますがその方の小説で「手」という作品がございまして、その中で蕭紅女史は「貧乏人は最後はおかしくなる」という一語を記しております。
ではそのような人生の演劇・舞台で頂いたそれぞれの役どころなのですが…まあその、ある人は金持ちとして、ある人は貧乏人として、またある人はひょっとして王様として、かえらまにホームレスとして…と、まあ色々ある分けですが、ではこのような役どころを通して我々はどう生きれば(演じれば)いいのでしょうか?
えー、実はかつて不肖このわたくしは「人生・人間とは何か、何の為に我々人間はあるのか、何の為に生きるのか、万生万物はすべて偶然の産物なのか、神は存在するのか…」などと、しょうもないこと(?)を真剣に悩み、それが嵩じた余り公務員職を投げ打って、その解答を求めるべく、広く世界中を放浪をして歩いた経験があるのです。えー、しかしそのお陰で今はほぼプータロー然として居るのですが(観客笑う)…。
まあ、あれですわな、そんな、歴代の蒼々たる哲学者のお歴々が追求しても分からなかったことを、最平凡人たるわたくし如きが追求したって分かる筈がない分けです。それこそ「井の中の蛙大海を知らず」の最たるものですな。えー、しかしですな、それじゃあまんず仕方なかっぺさと云って、うっちゃってしまえるほどに、わたくしが仕出かしてしまった「人生の無駄使い」ではない分けです。それで済ませてしまっては御先祖様に、また何よりもわたくし自身に申し訳が立ちません。
えー、それで、ちょっと話が飛ぶようですが1930年代の中華民国の女流作家で蕭紅(しょうこう)という方がかつて居られました。作家紹介は避けますがその方の小説で「手」という作品がございまして、その中で蕭紅女史は「貧乏人は最後はおかしくなる」という一語を記しております。