ストーカー三昧・浪曲、小話、落語

ランボーの詩論(1)

そのような妹の指向を重々知りつつも結局は彼女の熱意に打たれたのでしょうが、しかしそれでもまだ彼は内心では業腹だったことでしょう。『なんとお前は敬虔一途な女であることか。お前は俺が神や人間についてどれほど思索したか、俺が持つ感性のありったけを使って迫ろうとしたのか、それを全然わかっていない。しかし…今はもう…いいよ。わかったよ。可愛い妹よ、俺は…』とばかりに洗礼を受けたのではないでしょうか。
 えー、それで実際のところ(なんと僅か)19才時までに彼が為した詩作(及び思索)活動だったのですが、そこには過去に類を見ないような実に斬新で鋭い、〝詩人たるものへの指摘〟が見て取れます。えー、〝再び〟それで(観客笑う)、ちょっと難解になりますがネットから引いた彼のその言説を次に置いてみましょう。
「私は考える、と言うのは誤りです。人が私を考える、と言うべきでしょう。洒落を言っている訳ではありませんが。私とは一個の他者なのです」
「詩人たらんと望む者が第一に行うべき探求は、自己を認識すること、完全に認識することであり、このためには、自己を拘束するすべての既成概念、常識、因習を捨て去り、意味に反する意味を模索し、未知を体系的に探求し、精神・道徳・身体の限界を超えるべきである」
 とまあ何やら哲学書のような、面倒臭い語句を連ねて自分と同じ(しかしだいぶ年上の)高踏派詩人たちへのレクチャーらしきものをやらかしてしまっているんですね。彼ランボーは。「まあ、なんと生意気なこのガッキャあ19才(※正確にはこの時はまだ18才)の分際で…」と詩人仲間たちが反発したかどうか定かではありませんが(※史実にはランボーは仲間内の写真家で、カルジャという人物と口論となり、仕込み杖で彼の手を傷つけた…とあります)、彼らは概ねその斬新なレクチャーに驚いたとあります。
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