ショパンの指先
私は最近、絵を描きながらいつも同じことを考えている。成功者になれるのは、一握りの選ばれし人間だ。成功者と同じくらい努力をすれば、同じように成功できるのか。きっと、そんな甘いものではない。何千何万と夢を叶えられなかった人間がいるからこそ、成功者は輝くのだ。今、洵が輝いているように。
描きながらいつも思う。私は成功者にはなれない。好きな絵で食べていけるほどの才能がない。それは、ネガティブな感情が生じるものではなく、客観的に自分の絵を見た時に感じる率直な意見だ。
一般人よりはもちろん上手だと思うし、描いている時は自分って天才かもしれないと錯覚するくらいのめり込む。しかし出来上がりを見ると、やはり欠陥がいくつも見えてしまうのだ。多少光るものは見出せても、輝くような神々しい光は、見当たらない。断言してもいい。私は成功者にはなれない。
けれど、だからどうしたというのだ。私のようにもがいても上に行けない人間が沢山いるからこそ、洵が輝くのなら、それはそれでいいじゃないかとも思う。成功できないからといって絵を描くことを辞めるのは、私は少し違う気がするのだ。なにが成功で、なにが成功じゃないのか。自分の立てた目標が達成できないから、夢が叶わないから、なりたい自分になれなかったから、だから不幸せだと決めつけるのは早計だ。
私は今、充実している。好きな絵では食べていけないだろう。洵のように、夢を叶えることはできないだろう。けれど、不幸せではない。
私のような夢が叶わなかった人間の方が、圧倒的に多いのだ。それでも日々の暮らしに満足して生き生きと歩んでいければ、それでいいじゃないか。
私は絵を描くのが好きだから描く。たったそれだけのシンプルな想いを大切にすれば、こんなにも楽しく暮らせる。
ハッピーエンドは、なにも大きな成果を上げられた場合にのみ通用する言葉ではあるまい。洵と結ばれなくたって、それがアンハッピーエンドになるとは、私は思わない。
結婚することだけが幸せじゃない。子供を持つことだけが幸せではない。恋人がいないから不幸せだと嘆くのは、自分を愛せていないだけなのではないか。
私は私のハッピーエンドを見つける。遠くから、洵を見つめ続ける。
描きながらいつも思う。私は成功者にはなれない。好きな絵で食べていけるほどの才能がない。それは、ネガティブな感情が生じるものではなく、客観的に自分の絵を見た時に感じる率直な意見だ。
一般人よりはもちろん上手だと思うし、描いている時は自分って天才かもしれないと錯覚するくらいのめり込む。しかし出来上がりを見ると、やはり欠陥がいくつも見えてしまうのだ。多少光るものは見出せても、輝くような神々しい光は、見当たらない。断言してもいい。私は成功者にはなれない。
けれど、だからどうしたというのだ。私のようにもがいても上に行けない人間が沢山いるからこそ、洵が輝くのなら、それはそれでいいじゃないかとも思う。成功できないからといって絵を描くことを辞めるのは、私は少し違う気がするのだ。なにが成功で、なにが成功じゃないのか。自分の立てた目標が達成できないから、夢が叶わないから、なりたい自分になれなかったから、だから不幸せだと決めつけるのは早計だ。
私は今、充実している。好きな絵では食べていけないだろう。洵のように、夢を叶えることはできないだろう。けれど、不幸せではない。
私のような夢が叶わなかった人間の方が、圧倒的に多いのだ。それでも日々の暮らしに満足して生き生きと歩んでいければ、それでいいじゃないか。
私は絵を描くのが好きだから描く。たったそれだけのシンプルな想いを大切にすれば、こんなにも楽しく暮らせる。
ハッピーエンドは、なにも大きな成果を上げられた場合にのみ通用する言葉ではあるまい。洵と結ばれなくたって、それがアンハッピーエンドになるとは、私は思わない。
結婚することだけが幸せじゃない。子供を持つことだけが幸せではない。恋人がいないから不幸せだと嘆くのは、自分を愛せていないだけなのではないか。
私は私のハッピーエンドを見つける。遠くから、洵を見つめ続ける。