ショパンの指先
 そして私は、しっかりと最後まで働いた。就業時間が終わり、優馬から「杏樹、もう上がっていいわよ」と肩にポンと手が乗せられた。

 ああようやく終わったと少し気を緩めたら、視界がぐらついて私はそのまま後ろに倒れていった。

「杏樹!」

 倒れた私を床に激突する寸での所で支えた優馬が大きな声で私を呼んだのが、なぜか遠くの方で聞こえた。早く起き上がらなくちゃと頭の奥の方で思いつつも、私の意識は遠のいていった。
 
 そして目が覚めた時、私は病室にいた。

 個室ではなく、カーテンで仕切られただけの仮眠室みたいな所だった。腕には点滴の針が刺さっていて、優馬がすぐ側の丸椅子に座り本を読んでいた。

「そんな小さなライトの下で本読んでいたら、目が悪くなるわよ」

 私が声を掛けると、優馬は驚いた表情で顔を上げて、私の顔を見て大丈夫そうなのが分かると、小さく微笑んだ。

「具合はどう? 先生呼ぶ?」

 私はそんな必要はないという意味を込めて、首を横に振った。

「今何時?」
「深夜の3時よ」
「もうそんな時間なの。帰ってくれていて良かったのに」
「もう帰るわよ」
「今日は迷惑ばっかり掛けてごめんね」
「なによ、そんな素直に言われると気持ち悪いわよ」
「私、最後まで働いたよね」
「ええ、しっかり働いたわ。明後日はどうする?」
「もちろん行くに決まっているわ」
「あんたには愚問だったわね」
「当然よ」

 優馬は少し呆れたように微笑んで、私の額をそっと撫でた。
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