ショパンの指先
洵が私の視線に気が付き、顔をこちらに向けた。洵は私のパジャマ姿を視線に捉えると、ふっと笑みを零した。

「コートの下、パジャマだったのか。そりゃ寒いよな」

 銀色のシルクのパジャマ。肌に触れる滑らかさが気に入っていた。

 気に入っているといっても寝巻きだ。好きな男に会いに行く格好ではなかったと今さら後悔した。

「急に思いたっちゃって。私って本能のまま動くとこあるから」
「だろうな」
「だろうなって何よ。私のこと分かっているような言い方ね」
「杏樹の考えることは、何となく分かるよ」

 さらっと私の顔が一瞬で赤くなるようなことを言い放ち、洵は私から目を逸らして、再びピアノと向かい合った。

どうしてカッと赤くなってしまったのだろう、私は。

杏樹と呼び捨てにされたことが嬉しかったからか、私のことを分かると言われたことが嬉しかったからか、一瞬綻んだ優しい口元に対してか。

きっと全てに対して嬉しかったからだろう。

「……俺と、似ているから」

 洵はポロリと零すように呟いて、再び演奏を始めた。

 バラード第3番。とても美麗で情緒的な曲だ。

 ……似ているから私のことが分かるって言いたいの? どういう所が似ているの?

 私は今すぐ問いたい気持ちを抑え、ピアノの脚に背中をもたれかけ床に座った。

 洵が真剣な表情で練習しているので、邪魔するのは悪いなと思ったのだ。

 瞳を閉じて、洵の演奏に心を寄せる。

 オクターブがエコーをこだまし、和音を繰り出す情緒溢れる爽快さは、陰鬱だった私の心を晴らしてくれるようだった。
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