ショパンの指先
「店長も最初そう思ったらしいけど、名刺は見せないし、警察関係でもなさそうだし、なんだか怪しかったから、お客様の個人情報はお伝えできませんって言ってはっきり断ったらしい」
「店長ナイスだわ!」
「この前怒って帰った男と関係あるのか?」
「ううん、あれはもう解決したの。ただちょっと上司がね……」
「上司? 怒って帰った男って仕事関係だったのか?」
「まあね。でも話すと長くなるから気にしないで」

 洵はなぜか気まずそうに下を向き、ぼそぼそと話し出した。

「俺さ、この前曲が終わっても休憩入れることなく立て続けに演奏しただろ? 演奏続けていれば杏樹と連れの男との会話邪魔できるかなと思ってわざと弾いていた。あの男が不機嫌になっていくのも分かっていたし、分かっていたからこそ弾き続けた」
「なんでそんなこと」
「分からない、自分でも。杏樹と男が一緒にいるのがなんとなく嫌だった。だからあの男が怒って帰った時、ざまあみろって思った」

 私は言葉を返すことができなかった。それってやきもちじゃないの? でも、その言葉は発することができなかった。

「あの男が怒ったのは俺のせいでもあるから。もし杏樹にそのことで迷惑かけたなら、謝る。ごめん」

 私は面食らってしまった。あの洵が私に謝っている?

「どうしたの? 熱でもあるの?」
「人が素直に謝っているのに」
「なんか、びっくりしちゃって……。でも洵が謝る必要はないの。あのことは本当に解決済みだし、悪いのは仕事中に洵ばかり見ていた私だから」
「仕事だったのに邪魔していたとかって、俺すげーマヌケ」

 胸がナイフで刺されたかのように、ズキンと痛んだ。男と寝るのが仕事だと分かったら洵はどう思うのだろう。

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