ショパンの指先
 でも私は興味あるふりをして聞いてあげることにした。今日は気分が良かったのだ。

 絵もだいぶ進んだし、お料理は美味しいし、目の前の男は知識をひけらかすプライドの高そうなタイプに見えるが、悪い男ではなさそうだ。

 少々話はつまらないが、会話から知性は感じられるし、うん、悪くない。悪くないというのは、私にとって褒め言葉である。

 話がワインの名産、ブルゴーニュ地方のことにまで飛躍した時、店内に流れていたBGMがピタリと止み、静寂が訪れた。

 そして突然、ピアノの弾けるような音が店内に響いた時、私は全身に鳥肌が立った。

 ショパンの革命のエチュード。

 誰もが聴いたことがあるだろう名曲中の名曲で、ショパンの数ある曲の中でも私が特に好きで何度も聴いたことがある曲だ。

「素晴らしい」

 亀井さんは薀蓄を止め、目を閉じ音に聴き惚れていた。

 周りの人も食べることを忘れたように、ピアノに魅入っている。

私は目を見開き、指先一つ動くことができず固まってしまった。

 青ざめ、全身の震えを止めることで精一杯だった。

 鼓動が不自然な程大きく耳に届く。

こんなショパン、聴いたことがない。

彼の表現する絶望が、私の鼓膜を伝って身体の中に入ってくる。

孤独。そして、首を絞められるような圧迫感。

革命のエチュードは、ポーランド出身のショパンが、故郷ワルシャワで起きた革命が失敗し、ロシアに侵攻されたことを深く嘆き、その怒りの感情をぶつけるように作曲したといわれている。

演奏者は、ショパンのその時の悲しみを代弁するかのように、戦争の激しさと敗戦の悲しみ、怒りを表現する。

 しかし、彼の「革命」は、ショパンの感情を表現したものではなかった。
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