第一幕、御三家の桜姫
「にーちゃん」
ぱち、と目を開ける。体が横を向いていたせいで、目頭と目尻から涙が滑り落ちた。
「朝飯出来たよ。今日兄ちゃんの番だったのに」
「……わり」
返事をする。見慣れた天井、見慣れた壁、見慣れた扉。どれもこれも知っている景色と光景で、それでもどこか、水面の下から眺めるように、じんわりと歪んでいる。
「……すぐ、起きる」
パタン、と部屋の扉が閉まった。体を起こす。残った涙が頬を伝って滑り落ちた。それを確認するように指先で拭った。濡れた指先と、くっきりと開けた視界。
「……透冶」
布団に押し付けた視界の中で、ゆっくりと記憶を探る。
夢の中の透冶は、笑うだけで何も言わなかった。思い出せないんじゃない、確かに何も言わなかった。そう都合の良いことなんてない。死んだ人間の言葉を知りたがるなんて、贅沢にもほどがある。
そうだ、死んだんだ。もう透冶の声なんて聞こえない。顔なんて見えない。触れない。ずっと前から、そんなこと分かってた。夢で聞いた透冶の言葉は、全部、あの手紙の中にあるもので、本当にもう透冶は喋ることはないんだと、知ってしまった。ふ、と口の端から笑みが零れる。
最期の最後に、あんなものを遺されたら、そんなの、お前が死んだって理解らないわけないじゃないか。そんなことまで含めて、お前の思惑通りだったということか。全ては、お前が死んだ後、いつまでもお前の幻影を追いかけかねない俺達に施された仕掛け。
だったらもう、何も言えることなんてないじゃないか。ふ、と口の端から笑みが零れた。本当に、アイツは馬鹿野郎だ。
「……さよならだな、透冶」
僅かに残っていた涙は、静かに頬を滑り落ちた。


