第一幕、御三家の桜姫



 ──夢を、見たんだ。


「透冶」


 名前を呼ぶ。見慣れた校舎の前。見慣れた中庭。見慣れた相手。どれもこれも知っている景色と光景で、それでもどこか、フィルターがかかったように、セピア色に染まったそれに違和感を抱くこともなく、いつもの時を過ごしているのだと勘違いしている。


「透冶」


 手を伸ばす。手の先にいる相手はいつだって無表情で、真一文字に引き結んだ唇を開くことはない。確かにいつだって笑っているようなヤツではなかったけれど、いつだって何かを堪えるような仏頂面をしているわけではなかった。コイツにそんな表情(かお)をさせたのは誰なんだ。ふざけるな。


「とう──」


 口を噤んで、静止した。


「……透冶」


 透冶が、笑った。

 不意にぼろぼろと瞳から零れたのは、涙と、何だっただろう。言葉にできない嗚咽を漏らしながら、その友達の肩を掴んで、ぼろぼろ泣いた。


「……遼」


 その声に、顔を上げた。あぁ、そうだ、忘れていた。透冶の声は、こんな声だった。この声で、いつも俺達を呼んでいたんだ。いつだって、馬鹿なことばかりする俺達を笑って。本当に危ないときは、親よりも凄い剣幕で叱って。怒り慣れない透冶は声を張り上げることにも慣れていなくて、そんなときは少しだけ声が高くなるんだった。全部、忘れていた。

 笑うお前の顔さえ、ずっと忘れていたんだ。


「……お前らは、本気で怒るんだろう」

「……あぁ」

「……自惚れかな」

「……まさか」

「……遼」


 透冶が、きっと、家族の次に沢山呼んだ名前の一つ。その声を、もう忘れないから。


「──……」


 忘れない。どんなに寂しくても、お前がいなくなったことを忘れたりしない。ずっとずっと──……、

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