怪物公女の母でしたが、子煩悩な竜人皇子様と契約再婚致します
23 アレクシスの誤算
私は間違っていない。
いや……。
もしも間違ったとすれば、それは……マリアンヌに出会い、狂った愛に溺れた事なのかもしれない。
真っ白な何色にも染まっていない純真無垢な少女を娶った筈だった。
その真っ白なマリアンヌを自分の色に染め上げ、私無しではいられない可愛い女に育てた筈だった。
この私に不満を言ったり
この私に逆らったり
この私を非難したり
この私を無視したり
ましてや、この私を裏切るなど……!
――そんな事はあってはならぬ事なのだ。
私はただ、あの気味の悪い赤子が生まれる前の幸せな日々に戻りたかっただけなのに。
私は……どこから間違ってしまったのか。
***
――大公邸のアレクシスは、自ら雇った傭兵達からの報告をひたすら待っていた。
我が子を殺された可哀想なマリアンヌが愛人に逃げられ、結局はこの私を頼って戻って来るに違いないのだ。
絶望に打ちひしがれた、恨みの籠もった瞳を涙で濡らし、けれどその瞳は夫である自分以外もはや映る事は無い。
そう……。
子を殺され少し恨んだとしても、今度こそ私との子をすぐに作ればよいのだ。
子供好きのマリアンヌの事だ。
きっとすぐに元気になって、また幸せな日々に戻れる!
――そんな事を妄想していたアレクシスだったが、その日エリーンが死んだという報告を聞く事は無かった。
「くそっ! 一体傭兵たちは何をしているのだ! 小さな赤子の命を奪う事も出来ないのか!」
激高するアレクシスの元に、兵士達が真っ青な顔で駆けつけたのは翌日の午後の事だ。
「た……大変です! 大公様……先程、帝国から謀反の疑いありとの書信が! 既に帝国の騎士団がピレーネ公国へ向かっていると……」
寝耳に水の報告はアレクシスを困惑させた。
ピレーネ公国は帝国の属国の様なものだ。
大人しく異能持ちを何人か帝国に差し出しさえしていれば、今まで何も問題は無かった。
だからこそ、歴代大公は公国の安寧の為に帝国からの多少強引な取引にも応じて来たのだ。。
アレクシスも帝国に敵国と思われる様な馬鹿な事はしていない筈だった。
(まさか……カレンとその両親を虐待した事が皇帝に知られたのか……?)
アレクシスは震える手で帝国からの書信を受け取る。
「なっ……何故……っ!」
カタカタと身体の震えを止める事が出来なかった。
帝国からの書信には第三皇子暗殺未遂の黒幕として、ピレーネ公国の大公アレクシスが名指しされていたのだ。
更に帝国との過去の盟約を破棄し、今後はピレーネ公国の大公を皇家から選出する、という信じがたい一文が記されており、アレクシスは目の前が真っ暗になった。
そもそも皇帝は第三皇子を疎ましく思っている筈で、逆にその皇子を害する人間がいれば感謝されるのではないか。
これはピレーネ公国から過去の盟約を破棄する為に仕組まれた罠かもしれない。
しかし、アレクシスが金を払い各国から流れて来た大量の傭兵を雇った証拠がある、とも書かれている。
ピレーネ公国は敗戦国の国境近くに位置する小国なので、各国の傭兵達が滞在する宿屋が点在しており、貴重な収入源となっていた。
時には宿を提供する恩もあり、傭兵達は安値でも大公の依頼を請け負う事がこれまでにもあった。
異能の人材を皇帝に献上しているピレーネ公国にとって、傭兵は有事に必要な人材なのだ。
決して皇家に謀反を働く目的で傭兵を囲っているつもりは無かった。
「そんな……あり得ない! あの野蛮な帝国の人喰い皇子を暗殺する理由など私には……」
そう呟いたアレクシスは、ハッとした。
まさか
まさか
まさか!
アレクシスは離婚式の時にマリアンヌと一緒にいた黒髪の男を思い出していた。
***
マリアンヌが産んだ赤子と同じ黒髪の、目立たない容貌の男……。
あの冴えない男が帝国の第三皇子だと?
正直、あの男を見た瞬間……いつでもマリアンヌを取り戻す事は出来ると確信した。
どこにでもいる、何の特徴も無い男。
美しいこの私の容貌には程遠い、すぐに覚える事すら出来ない顔の……。
どうせ、どこかの貧しい貴族令息なのだろう。
そう思っていたからこそ、傭兵を大量に雇い、マリアンヌの赤子だけでなく屋敷の使用人達全員を殺しても構わないと命じた。
叶うなら屋敷も燃やしてしまえ、とも命じた。
私のマリアンヌを囲う事が不可能になる様に。
私のマリアンヌに近付く気力も失くなる様に。
他人のモノを奪う行為がどれ程の罪なのかを思い知らせる為に。
もしもマリアンヌの愛人が帝国の第三皇子だったなら、あの赤子の父親は皇家の血筋という事になるのか?
「そんな馬鹿な! あの男が皇子の筈がないっ……」
ガクリ、と膝から崩れ落ちた私におずおずと兵士の1人が声を掛ける。
「あの……大公殿下、帝国の騎士が間も無く大公邸に到着致しますが……我々はどうすれば……」
言い淀む兵士達が何を言いたいのかはすぐに分かった。
つまり帝国の騎士にこの私を売り渡すのか、それとも騎士達相手に戦うのかを聞いているのだ。
しかし、どの顔を見ても士気が無い事が明らかだった。
帝国騎士団は戦地でも活躍する実力と魔力持ちが集まっている
その半数がこれまでピレーネ公国が帝国に売り渡した異能の持ち主だ。
あの者達はこの公国出身でもあるが、恨みも持っている筈だ。
かつての同胞に本気で戦い、大公である私を助ける人間がいるとは思えない。
「長老達は既に知っているのか……?」
私の質問に、兵士達は一斉に視線を逸らす。
なるほど……。
そういう事か。
既にこの書信はいち早く長老達にも届けられているのだ。
そして、奴らの考えは一致している。
この輝かしい歴史ある大公家を失う事になったとしても
皇家の正式な従属国になったとしても
このピレーネ公国だけを、守りたいのだ。
おぞましい血の代償を強いられてきた大公家を……見捨てるのか!
「――裏切者は……どちらなのか……」
――自嘲する様に笑ったその時だった。
「アレクシス様ぁ~! この前注文していたドレスが届きましたわ! 似合いますかぁ?」
甘ったるい鼻にかかった様な可愛らしい声と、それに似合わぬ完璧な身体のミレーヌが嬉しそうに私に近付いて来た。
贅沢なドレスや宝石も、ミレーヌがこの邸宅に来てからは惜しげもなく買い与えた。
そうする事でマリアンヌが悲しみ、泣き出しそうな顔をしていたから。
「ミレーヌ……フフフ……そうか……私にはまだ貴女がいた……」
「――え? アレクシス様?」
***
――ミレーヌは、この大公邸で暮らし始めてから初めてアレクシスが自分に跪き手の甲にキスをする姿に驚き戸惑っていた。
(まあっ! 一体どうしたのかしら。あ……もしかして、プロポーズ……とか? それは少し困るのよね……面倒くさい事は御免なのに。でもまぁ、離縁してしまったのだから仕方無いわよね。これからも贅沢な暮らしが保障されるなら……)
頭の中で、面倒な大公妃として生きていく事と、贅沢で煌びやかな社交の場に出られる事への計算を素早く始める。
「アレクシス様ったらどうされたのですかぁ? わたくしは、どんな事があっても離れませんわよ?」
マリアンヌに裏切られ、失意に墜ちた男の痛い所を突き、蠱惑的な顔で微笑む。
アレクシスは跪いたまま、ミレーヌに懇願した。
「ミレーヌ、今こそ私を助けて欲しいのだ。実は皇帝陛下から謀反の疑いを掛けられていてね……。父君は皇帝陛下の側近の弟だろう。何とか口添えをして貰えないだろうか」
(は? この男……今度は何をやらかしたの?)
ミレーヌは呆然として、皇帝からの書信を手に取った。
それを読んだミレーヌは、今が引き際なのだと悟った。
(冗談じゃない……。このクズ男と運命を共に出来るほどお人好しじゃないわ! 逃げなきゃ……! 只の異能持ちの偵察で潜り込んだだけなのに……。大公妃の美味しいとこだけを堪能出来ればそれで良かっただけなんだからっ)
ミレーヌは持っていた扇子で口元を隠すとにっこりと笑みを作った。
「あら……。わたくしの父にそんな権限はありませんわ! アレクシス様は、今大変お取込みの様ですわね。わたくし……暫く落ち着くまでは子爵家に戻ろうかと思いますわ。何かきっと……誤解が生じただけなのでしょ? ミレーヌは子爵家でアレクシス様の無事をお祈り致しますね」
そそくさと、この場を去ろうとしたミレーヌはアレクシスに乱暴に腕を掴まれた。
「ミレーヌ! 待ってくれ! この私を見捨てるつもりか? ずっと私から離れないと言ったばかりではないか! このビッチめ!」
生まれて初めて乱暴に扱われたミレーヌは激怒した。
「はあっ? 何を言っているのかしら。あなたみたいなクズ男、本気で好きになる筈無いでしょ? 馬っっ鹿じゃないの? マリアンヌ様はあなたみたいなクズ男を早々に見限って正解でしたわね! 裏切られて当然でしょ? この自意識過剰のサディスト! あなたなんか……」
――最後まで言い終わる前にアレクシスが振り下ろした冷たい刃がミレーヌの首筋を貫き、まだまだ言いたい事が沢山あったのに……と床の上に転がり落ちたミレーヌの首は恨めし気にアレクシスを見上げていた。