怪物公女の母でしたが、子煩悩な竜人皇子様と契約再婚致します

24 破滅の始まり


 ――床に転がったミレーヌの生首はアレクシスを恨めしそうに睨みつけていた。

 大公邸に響き渡る使用人達の悲鳴と、後ずさりしながら困惑の表情を浮かべる兵士達。

 そんな状況にも関わらず、アレクシスは表情を変える事無く静かに邸宅の使用人や兵士達をじっと見つめている。

 「は……ははは……」

 ミレーヌの返り血を浴びてアレクシスの頬や指先、上着やトラウザーズは真っ赤に染まり、思わず乾いた笑いが喉の奥から込み上げてくる。

 アレクシスは鼻に纏わり付くミレーヌの血の匂いを不快に感じていた。

 (あぁ……同じ血なのに、これがマリアンヌの血だったなら……。それはどんなに美しく香しい香りだっただろう。なんて汚らしく不潔なのだ)

 そうだ。
 マリアンヌは血の色さえも美しいに決まっている。
 彼女の涙はどんな宝石よりも色褪せないのだから。

 「た……大公殿下……。ミレーヌ様は宰相閣下の弟君の大切なご令嬢です。ど、どうすれば……」


 うるさい
 うるさい
 うるさい


 こいつらが言いたい事は分かっている。
 間も無くこの邸宅には、帝国の騎士団が皇子暗殺未遂の容疑で私への取調べの為にやって来る。

 そのタイミングで、無残に殺された帝国宰相の姪の生首が転がっているこの状況を見られたら?

 「――ピレーネ公国は、間違いなく帝国への謀反の罪から逃れられないだろうな」

 ミレーヌが愛人になった時はチャンスだと思っていた。

 ――帝国の宰相ロドリゲスの姪であるミレーヌ・ロドリゲス子爵令嬢が自分の後ろ盾になってくれる。

 だからこそ、帝国の高位貴族から招待された舞踏会にはマリアンヌではなく、ミレーヌを同伴させたのだ。
 美しいマリアンヌを他の男の目に晒さない為でもあったのだが。

 ピレーネ公国は宰相閣下の姪という後ろ盾があるのだと噂が立つのに時間はかからなかった。

 それなのに……!

 「――ふん。宰相閣下の姪だと? 7番目の弟の娘なんぞ、この私の窮地に何の助けにもならなかったではないか。こんな役立たずの女を囲ってやっただけありがたく思え!」


 ――アレクシスはそう言い放ち、血の付いた頬や指先、剣をハンカチで綺麗に拭い取る。
 そして汚れたハンカチを不快そうに一瞥し、床に投げ捨てると振り返る事もなく静かに立ち去った。


 ***


 ――愛馬と共に大公邸から姿を消したアレクシスは、ピレーネ公国の中でも広大で姿を隠すのには最適な『ラコルテの森』に身を潜める事にした。

 この森は、兵士達でも知らない秘密の抜け道があり、アレクシスが幼少期に父からの厳し過ぎる訓練から逃げる為に見つけた秘密の洞穴があるのだ。

 「――大人になってからは、もうこの森を訪れる事はなかったな。マリアンヌと結婚してからは……思い出す事すら……」

 ――洞穴を見つけたアレクシスは、ぼそりと呟く。

 洞穴は『ラコルテの森』の小高い丘の中腹にあり、アレクシスは馬の手綱を木に括りつけると、大公邸が見える丘の上に登った。

 チラチラと遥か彼方から見える灯りは、帝国騎士団が自分を捜索している松明の灯りなのだろう。

 恐らく捕まれば死罪は免れない。

 帝国はかなり前からピレーネ公国の高い魔力持ちを臣下にする事を条件に、大公家の行き過ぎた行いにも目を瞑っていたのだ。

 大公家も皇族からの要望に応えるべく、恐ろしい実験を繰り返してきた。

 全てはピレーネ公国存続の為。

 しかし帝国は、大公家から高い魔力持ちが生まれなくなってからは、何らかの理由を付けては、この公国を手に入れようと目論んでいた。

 その絶好の機会を与えてしまったのはアレクシス自身だ。

 でも、そのきっかけを作ったのは……。

 「ピレーネ公国の破滅の始まりは、全て……マリアンヌ‼ 貴様と出会ってからだ! 私を惑わした悪魔め! 私達は一心同体……必ずマリアンヌを黄泉の国へ堕としてみせる! マリアンヌ……っううっ……! な……なん……だ……? か、身体……が……」


 ――無数に揺れる松明の灯を見つめていたアレクシスの視界は何故かぼやけ、ここで彼の意識は遠のいた。


 ***


 「やれやれ……。逆恨みも甚だしい。まるで思い通りにならずに駄々を捏ねる子供ですね。この様な男が夫だったとは。マリアンヌ様も男を見る目がありませんねぇ」

 ワナワナと身体を震わせ、憎しみの炎を燃やしていたアレクシスは、背後に忍び寄る物陰に気付くのが一歩遅かった。


 「ううっ……私は……何故気を失っていたのだ……。ここは?」


 ――暗闇の中で目覚めたアレクシスは、気付くと自分が身を潜める為に潜伏する筈だった洞穴の中で横たわっていた。

 ここでアレクシスは身体に全く力が入らない事に気付いた。

 「おや。気付きましたか? 成程ね……。この洞穴に隠れるおつもりでしたか。外からは見つけ難い良い場所を知っておいでだ。ここならば貴方の悲鳴も聞こえないでしょうし、遺体も見つからないでしょうね」

 真っ暗な洞穴の中から知らない声が響き、やがて洞穴に眩しい光が放たれた。

 アレクシスが突然の光に目を瞬かせていると、銀縁眼鏡を掛けた蒼く長い髪の男が、魔法陣の中から姿を現す。

 「お前は……何者だ……」

 ――男を睨みつけたアレクシスだったが、冷たく光る剣を此方に向けられ恐怖を覚えた。


 「ひいいいっ!」

 身体は麻痺して全く動かせない。
 このまま見知らぬ男に訳も分からず殺される絶望に涙が零れた。

 「く……来るなっ! 金ならある……命だけは……」


 震える指先で懐から取り出した金貨の入った革袋の紐を解く。

 しかしその瞬間、アレクシスの右脚に信じられない位の激しい痛みが走った。

 「アアァァァァァーー!」

 恐る恐る激痛が走る箇所を確認すると、右脚の腱を切られ、ドクドクと血が流れている。
 あまりの痛みに悶え苦しむアレクシスは、この男が何故自分にここまで冷酷な仕打ちをするのか理解出来なかった。

 「何故……お前は一体……」

 ――ルイスはカチャリと眼鏡を掛け直すと、ニヤリと笑った。

 「痛みますか? 脚の腱は筋肉と骨を繋ぐ強靭な組織なのです。特に私が今斬りつけた場所ですが、文献によればこの部位はアキレス腱という名で人体最大の腱だそうですよ? ここを斬られると、まともに歩行は出来ません。まぁ……貴方がエリーンお嬢様に目論んだ残酷な計画よりはマシですがね」

 エリーンの名を聞いたアレクシスの瞳がギラリと光る。

 「貴様……っ! エリーンお嬢様……だと? まさか……!」

 ルイスの瞳に憎悪の色を認めたアレクシスは、この男がマリアンヌとエリーンを囲っていたあの憎き皇子の臣下なのだと見破った。

 「おい……! あの気味の悪い呪われた赤子は死んだのか?」

 「……残念でしたね。貴方の計画は見事に失敗しましたよ。けれど……貴方にはエリーンお嬢様が体験された恐怖をしっかりと味わって頂きます。まだ歩く事も出来ない赤子に傭兵達を送り込みましたよね?」


 自分の計画が失敗した事は分かってはいた。
 しかし、こうして改めて失敗した事を告げられると、はらわたが煮えくり返る。

 悔しさに顔を歪ませているアレクシスをじっと見つめていたルイスは、森の奥から聞こえる狼の遠吠えが聞こえると冷酷に笑った。

 「――どうやら、貴方の血の匂いに狼共が反応している様です。運が宜しければ洞穴は見つけられないでしょうけれど、血に飢えた獣は獲物を見つける事が得意ですからね。まぁ……貴方の運が良い事をお祈り致します。私が先程蒔いた身体を麻痺する薬はそろそろ切れます。動かなくなったその足でどこまで逃げられるか……」

 ルイスの言葉にアレクシスはガタガタと身体を震わせた。
 そんなアレクシスの姿を冷めた瞳で見ながら、ルイスはヒラヒラと手を振った。

 「では……ピレーネ大公殿! その動かない身体で是非血に飢えた獣から逃げて下さい。簡単に死なれては困りますからね。それは、私の主も望んではおりませんので」


 ルイスが魔法陣を描き始めると、絶望したアレクシスは渾身の力で腹ばいのまま匍匐前進する。

 「ま……待ってくれ……! もう……あの赤子の命は狙わないっ! マリアンヌにも……近付かない……! だからどうか……私を連れて行ってくれ……っ」


 にじり寄るアレクシスの手はもう少しで魔法陣に届きそうだった。
 しかしルイスはにっこりと微笑むと、アレクシスの右手を踏みつけた。

 「くそ……っ! このままでは終わらせない。呪ってやる……。貴様の主もマリアンヌも……エリーンも……皆……呪ってやる!」


 アレクシスの呪いの言葉を背中で聞きながら、ルイスは転移魔法を使い洞穴の外に出た。

 「グルルルルル……」


 見ると鼻を動かしながら、狼の群れが洞穴の入り口に集まっていた。

 「――じっくり追い詰めて下さいね。あの男はお仕置きがお好きな様ですから」

 ――静かに立ち去るルイスの耳に、やがてアレクシスの恐怖の叫び声が微かに聞こえた。
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