氷と花
ことのなりゆき 〜 "This is me. Open the door"
ディクソンに案内された部屋は、二階の左端にあって、白いレースのカーテンがかけられた大きな窓と桃色のバラをあしらった壁紙が綺麗な小部屋だった。
いつのまにか従僕がひとり、マージュの皮トランクを持ち込んで部屋の入り口に置いていく。
「ありがとう」
マージュが礼を口にすると、中年を超えた小柄な従者は照れて、隠れるようにいそいそと部屋を出ていった。黒いベストを着たその従者の後ろ姿を眺めながら、マージュはしばらくなにも言えずに佇んでいた。
「他になにがご入り用がありますか、マージュ様。女中に紅茶と菓子を運ばせましょうか?」
ディクソンの優しい声かけにハッとして、マージュは顔を上げた。
「い、いいえ。必要ないわ。ありがとう……今は、少しひとりで休みたい気分なの」
「そうでしょうとも」
それだけ言うと、ディクソンは「では」と言ってマージュを残して部屋を去ろうとした。しかし、なぜかマージュは急に焦りと寂しさを感じて、ディクソンを引き止めた。
「待って、ディクソン」
それまで出したことがないような、かすれた声がマージュの口をついて出た。「ネイサン……ミスター・ウェンストンはどこにいらっしゃるのかしら?」
「たぶん、書斎におられると思います。たいていのお仕事はそこでなされるので、工場に出ていない時の若旦那様は、いつも書斎におられます」
ディクソンはなにげなさを装っていたが、言葉の端々に感じられるマージュへの同情の響きは消せていない。
──玄関をくぐった後のネイサンは、婚約者に屋敷を案内することも、使用人にマージュを紹介することもなく、すべてをディクソンに任せてふらりと消えてしまっていたのだ。
いつのまにか従僕がひとり、マージュの皮トランクを持ち込んで部屋の入り口に置いていく。
「ありがとう」
マージュが礼を口にすると、中年を超えた小柄な従者は照れて、隠れるようにいそいそと部屋を出ていった。黒いベストを着たその従者の後ろ姿を眺めながら、マージュはしばらくなにも言えずに佇んでいた。
「他になにがご入り用がありますか、マージュ様。女中に紅茶と菓子を運ばせましょうか?」
ディクソンの優しい声かけにハッとして、マージュは顔を上げた。
「い、いいえ。必要ないわ。ありがとう……今は、少しひとりで休みたい気分なの」
「そうでしょうとも」
それだけ言うと、ディクソンは「では」と言ってマージュを残して部屋を去ろうとした。しかし、なぜかマージュは急に焦りと寂しさを感じて、ディクソンを引き止めた。
「待って、ディクソン」
それまで出したことがないような、かすれた声がマージュの口をついて出た。「ネイサン……ミスター・ウェンストンはどこにいらっしゃるのかしら?」
「たぶん、書斎におられると思います。たいていのお仕事はそこでなされるので、工場に出ていない時の若旦那様は、いつも書斎におられます」
ディクソンはなにげなさを装っていたが、言葉の端々に感じられるマージュへの同情の響きは消せていない。
──玄関をくぐった後のネイサンは、婚約者に屋敷を案内することも、使用人にマージュを紹介することもなく、すべてをディクソンに任せてふらりと消えてしまっていたのだ。