深を知る雨
《14:00 グラウンド》遊side
約束の合同訓練の日。
薫と里緒は相変わらず東宮には近付けず、遠くで奮闘している。
東宮と比べれば持久力も薫や里緒の方が下だ。早めに終わらせた方がいい。
Sランクである東宮の最大出力は桁違い。
いくらAランクといえど、薫が東宮と真っ向から力で競い合えば当然負ける。
だが里緒による多方面からの攻撃を防御しながらなら、多少は薫に対する水圧はマシになるはずだ。
これまでの訓練で東宮の様子を見ていて思ったが、おそらく同時に操れる水塊の数と個々の水塊における水圧は反比例する。
だから里緒には多方面から全力で攻撃するよう指示した。
東宮は里緒の力を水で抑えながらもきっちり薫に攻撃しているが、全力のAランク念動力を相手にしているのだからかなり厳しいはずだ。
少しでも力を抜けさせることができれば……。
「相変わらず凄いなぁ。Aランク能力者を二人同時やもん、ほんま凄いわ」
「喋るためにその場所にいるのか?」
攻撃型ではない俺だけが東宮の近くに立っている。東宮も俺なら手を伸ばしてきてもすぐ対処できると思っているのか攻撃してこない。
「そーそ。俺お前と話がしたいねん」
「今は訓練中だ」
「訓練時間以外やったら話したがらんくせに、よう言うわ」
「……攻撃型の能力ではないせいで暇を持て余しているようだな。俺の訓練の仕方が悪い」
「あ、自覚あったん?この形式やと俺の訓練にはならんもんなぁ。まぁ指揮なんて初めてなんやろうしそんなもんやて、気にすんなよ」
「……気に障る言い方をする男だな」
「挑発しとるもん」
「……」
「そんな嫌そうな顔すんなて。機嫌直して?お前の大好きな“千端哀”の話でもしようや」
「この訓練が終われば忘れてもらう」
「あーはいはい、せやな。でもまだ訓練中やから話してもええやろ?あのチビについて、教えてほしいこといっぱいあんのやけど」
「あいつはチビじゃない。平均身長だ。お前がでかすぎるだけだ」
東宮は少しばかりムッとして言う。子供を馬鹿にされて怒る親バカのように見えた。
しかし今はそんなことについて話したいわけではない。薫や里緒のためにも、早めに終わらせなければ。
「イエスかノーで答えてくれればそれでええ。“東洋の核”と呼ばれていた“優香”さんと、あのチビは同一人物か?」
東宮の視線が僅かにこちらに向けられた。
「……その発想が出てくるということは、あいつの性別を知ったのか」
否定も肯定もしない、か。今の反応だけではどちらか分からない。
「優香さんは随分徹底して自分の情報を守っとったみたいやな。当時軍にいた俺でも名前を知らんかったくらいや」
「……」
「上層部の人間しかろくに情報持ってなくて苦労したわ。優香さんとは相棒やったらしいやん、お前」
「……」
「それどころか恋人同士やったんやろ?」
「……」
「優香さんは中国と新ソビエトの国境沿いで死んだことになっとる。やけど、死体は見つかっとらんらしいな」
あの辺り一帯は大規模な超能力衝突で一瞬にして焼け野原になったのだ。
死体が見つからなくても不自然ではない。
だが、その時優香さんが死んだふりをして身を隠し、今“千端哀”として再び姿を現した可能性も捨てがたい。
だからこの事実だけを言って東宮の反応を見ようと思ったのだが―――東宮は表情を変えない。
「この短期間でそこまで情報を集められたことは褒めてやる。だが読心能力で読めるのは人の思考であって真実ではない。お前の得た情報は所詮、“当時上層部の人間が考えたこと”に過ぎない」
……今俺が言った中に真実ではない事柄があったということか。
ほんっま、つまらん男やな。元カノの話されて能力の力加減誤るくらいの可愛げあればええのに。
まぁ、これで東宮からはろくな情報を得られんことは分かった。
薫や里緒が全力で戦える時間にも限界がある。
―――そろそろ、終わらせに掛かるか。
「悪いな、訓練中に話し掛けて」
「今更か?」
「お詫びといっちゃなんやけど、お前が驚く話したるわ」
壁に背中を預け、東宮を見る。東宮は前方を見たまま里緒や薫の攻撃を防いでいる。
これで東宮が力加減間違えへんかったら俺らの負け。
失敗したら楓に怒られるし、俺らはあのチビのことを忘れなあかんくなる。
これが最後の手段だ。……でもまぁ、多分大丈夫やろ。知らんけど。
「俺、哀ちゃんにチューしてもうた」
東宮にだけ聞こえる程度の声でそう言った瞬間、―――東宮の手が氷に包まれた。
薫の力が東宮の力に勝ったのだ。
刹那、指示していた通り里緒の能力でミニトングが飛んでくる。東宮のチェーンネックレスが、東宮の首から引きちぎられた。
「動揺しすぎやでおにーさん」
思った通り、この男はあのチビのこととなると冷静さを欠く。まさかここまでとは思わなかったが。
薫も里緒も、何が起こったのか分からないらしく顔を見合わせている。
と、そこで。
「ゆーーうーーー!」
だだだだだだっと勢いよく走ってきたチビは、俺に謎のタッパを差し出してきた。
「おめでとう!すごい!どーやったの!?」
「別に、大したことはしとらんわ。……つか、これ何やねん」
「蜂蜜レモン!さっき作った!いやー、遊が負けたら自分で食べようと思ってたんだけどね?残念ながら勝っちゃったからさ~いやーほんとびっくりした!よかったよかった!」
勝ってほしかったんか負けてほしかったんかどっちやねん。
興奮を抑えきれないといった様子のチビは、真っ先に俺のところへ来るという約束をきっちり守った。
何だか無性に撫でたくなって、チビの頭をわしゃわしゃしてやった。
「俺らはこれから休みやし、一緒に食べよか」
自分から出てきた声が思いの外優しいもので驚く。
ちらりと東宮を見ると、東宮は愕然とした顔で俺たち二人を見ている。
……ざまーみろ。
ある種の優越感を得ながら、俺はチビと休憩しに行こうとした。が。
「ぐえっ!」
「来い」
「え、ちょ、泰久、ダメだって!Sランクと話してたら目立つよ!?」
「グラウンドを横切ってAランク隊員にそんなものを渡している時点で目立っているだろう!」
「ご、ごめんて。ちょっと興奮しちゃって……。あ、ちょ、待ってよ。まだ蜂蜜レモンが……」
東宮はチビを引き摺ってでも連れていこうとする。
俺は半ば反射的にチビの二の腕を掴んだ。
「……離せ」
「そっちこそ離せや。俺らは勝ったんやぞ」
「悪いが認められない。状況が変わった」
「はぁ?どう変わったんか言ってみいや」
「お前がこいつに、」
「ちょちょちょ、何この険悪ムード!喧嘩はよくないよ!とりあえず泰久はわた…オレと話したいことがあるんだよな?ごめん遊、また後で!残念だけどこれは一人で食べてていいから!」
タッパを押し付けてくるチビは、どうやら俺より東宮を優先するらしい。ちょっとムカついたが、チビに言われては言い返す言葉も無くなり、俺はその二の腕を離した。
ずるずると引き摺られていくチビが見えなくなってから、手元のタッパに視線を移す。
その場で開けて食べていると、薫と里緒が遅れてこちらにやってきた。
「何をしたんだ?あいつの弱味でも握ったか?」
「まぁ、そんなとこや」
勝てたことがまだ信じられないらしい里緒は、地面に落ちたミニトングとチェーンネックレスを見下ろす。
「それうまそうだな。底辺にしては気ぃ利くじゃねぇか。ちょっとくれよ」
「あかん」
「は?そんなにあんのに?」
「あかんもんはあかん」
蜂蜜レモンを取ろうとしてくる薫からタッパを離す。
「……全部俺のもんや」
言ってから、いつから俺はこんな欲張りになったんだ、と思った。