深を知る雨



「それでな、」
「――もういい。分かった。お前が何を言いたいのかも、何を怪しんでいるのかも。だがそれは違う。一也はスパイじゃない」
「根拠は」
「あいつはそんなことをする奴じゃない。あいつは元々戦争になんて興味がないんだ。売国なんてリスクを犯してまで向こうサイドの勝利を願う理由が思い浮かばない」


思わず舌打ちしてしまった。何やねんコイツ。


「俺が確証のない信用とか思い込みとか、そういうん嫌いなん知っとるか?」
「さぁ。お前の性質など知らないな」
「人間は疑ってかかるべきもんやぞ。信用することが優しさやと思てんのやったら大間違いや。過度に信用することで取り返しつかんことになったらどうする気やねん」
「でも、一也はスパイじゃない」
「じゃあ、今回の、前例のないよう分からん特別訓練に関してはどない説明すんねん。いつ帰ってくるかも分からんのやぞ」
「特別訓練に関しては調べる。俺は上層部との接触の機会が多い」
「そこまで言うんやったら、きっちり調べて一ノ宮の無実を証明してくれるんやろなあ?」


そう聞くと東宮は黙り込み、俺から視線を外して数秒、再び口を開く。


「もしもだ。万が一、一也があいつの失踪に関わっているようなことがあったとしたら。俺が責任を持って対処する」


妙に真剣みを帯びたその言葉に対し、並々ならぬ思い入れを感じた。

……何や?この、執着の表れにも似た言葉の強さは。


「あいつの身に何かあったとしたら俺の責任だ。俺の不行き届きだからな」
「は、保護者やあるまいし」
「――頼まれてるんだ、あいつのことは。あいつの姉から」


……あぁ、そういうことか。いつだったかあのチビから、東宮は姉を今でも慕っていると聞いたことがある。

こいつ、女心分かってへんなぁ。チビはそんな風に扱われたって嬉しないやろ。

自分の好きな人の好きな人が自分を守れ言うたからって守られてもなぁ。


「哀ちゃんかわいそ」


俺の方が哀ちゃんの気持ち分かったれるわ、という気持ちで言葉を吐き出すと、東宮の声音が僅かに不機嫌さを孕んだ。


「は?」
「いーや?何でも。つうか、ほんまに一ノ宮が関係しとった場合、その対処てのは何する気ぃやねん。どーせ一ノ宮も大切なんやろ」
「……」


考え込むように黙る東宮は、俺が思っているよりもずっと人間味のある男らしかった。

……ま、気持ちは分からんでもないわ。

間を置いて俺は端末を取り出し、連絡先を交換する意思を示す。


「進展があったら連絡せえ。俺もする。チビの安否を確認したいんは同じやろ」


そう伝えれば、東宮も端末を取り出して俺の端末に翳した。

〈連絡先の交換が完了しました〉という文字が浮かぶ。


「間違っても探ってること一ノ宮にはバレんなよ。警戒されたら終わりや」
「分かってる」


最後に忠告をして、それきり会話をしなかった。

端末をポケットに仕舞い、曇った空を見上げる。


……俺も覚悟を決めなければならない。

俺が確認したいのは、チビの安否だけじゃない。



もしも。

もしも一ノ宮がスパイではなかったとしたら。


残る可能性は――――……。




 《21:00 Eランク寮》麻里side


一般部隊の女子寮がすっかり建て直され、自分の部屋に戻って数週間が経つわたしが今日またEランク寮に来たのは、千端さんの部屋に忘れ物をしてしまっていることに気付いたからで。

千端さんはわたしが寝泊まりできるよう部屋の指紋認証にわたしの指紋を登録してくれてあるから、わたしならまだ入れるはずだ。

そう思って千端さんの部屋の階まで行くと――嬉しい偶然があった。

サラサラな黒髪と、モデル並みにスラッとした身体。

遠目にも分かる。

SランクNo.4東宮泰久――わたしの好きな人だ。


「この部屋に用事ぃ?」


声をかけると、東宮さんは驚いたようにわたしを凝視した。

こういうちょっと間抜けた顔も好きなのよねぇ。


「……何故お前がここにいる?ここは超能力部隊の寮だぞ」
「千端さんに暫く部屋借りてたんだけどぉ、忘れ物しちゃってることに今日気付いたのよねぇ」
「部屋を借りていた?」
「千端さんの性別については知ってたしぃ、泊めてもらうにはちょうどいい人材だったのよ」


わたしが千端さんが女だと知っていることにも驚いたらしく、東宮さんは瞠目する。

……ていうかこれ、聞かれたらまずい話よね。指紋認証でドアのロックを解除して中へ入ると、東宮さんも入ってきた。

すっかり慣れてしまった空間のソファに腰を下ろし、ロボットに頼んでミルクココアを持ってきてもらう。

東宮さんがキョロキョロと辺りを見回していたので、「本人不在のレディの部屋をジロジロ見るもんじゃないわよぉ」と注意しておいた。

ついでに何のためにこの部屋の前に立っていたのか聞こうとしたのだが、先に質問されてしまう。


「いつからいつまでだ?部屋を借りていたのは」


ココアを一口飲んだ後、カップをテーブルに置いて答えた。


「あの爆発事故があってから1ヶ月くらいかしらぁ?途中から千端さんが特別訓練か何かでいなくなっちゃったから、わたし1人で使わせてもらうことになったけど。いなくなるなら一言くらい残しておいてくれてもいいじゃないねぇ」


ぷりぷりしながら言ってみせると、東宮さんが真剣な表情で一歩わたしに近付いてくる。


「お前、あいつがいなくなる前日、あいつと一緒にいたのか?」
「一緒にいたっていうか、部屋にいただけね。あの日は……確か千端さん、1度帰ってきてすぐ出掛けちゃったしぃ」
「その時、何か言ってなかったか?どこへ行くとか、何をしに行くとか」


……これ言っていいのかしらぁ?

一ノ宮さんに会いに行くと言って出ていったっきり帰ってこなかった――そう答えるのは簡単だけれど、一ノ宮さんとのセフレ関係、千端さんは東宮さんに隠したいみたいだったし……ここは話を逸らした方が良いわよね。


それに。

部屋に2人きりのこの状況で、他の子の話ばかりされるのはいい気がしない。


立ち上がり、東宮さんにこちらからも一歩近付く。


「目の前にこぉんな美人がいるのに、あの子のことばっかなのぉ?嫉妬するわね。そんなにあの子が大事?」


挑発的な笑みを向けてみる。

この状況で手を出してこない男はいなかった。

適当な言葉を投げ掛ければ、誰だってその気になり乗ってきた。


けれど。


「大事だ」


やっぱり東宮さんは、その辺の男とは違うらしい。

誘いに応じてくれないことにがっかりしたと同時に、わたしの惚れた男なのだからそうでなくてはと満足する自分がいる。


「ふふ、わたしのことフッた男初めてよぉ。ふぅん、千端さんのこと好きなんだ?」
「――そうなのかもしれないな」


あっさり認めたことが、少し意外だった。


「それって凄く強い気持ちなの?わたしに付け入る隙ってもうないのかしらぁ?」
「少なくともお前を好きになることはない」
「薄情な男ねぇ、わたし結構本気なのに」


歩く国家機密であるSランク能力者について、能力と人脈を使って真剣に探り回るくらいには、本気だったのに。


「すまない」
「謝られると惨めになるからやめてもらえるぅ?……ま、相思相愛の2人の邪魔するほど愚かじゃないわぁ。表面上はあなた達の幸せを願ってあげる」
「いや。その必要はない」


何故か言い切った東宮さんを見上げると、東宮さんはわたしではなく何処か遠くを見ていた。


「俺のあいつに対するこの気持ちが例え恋情であったとしても、俺はあいつにそれを伝えようとは思わない」
「……どうしてよぉ。千端さん凄くあなたのこと好きよ?」
「死者に対してそこまで無礼な真似はできない」



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