深を知る雨
《18:00 北京》麻里side
中国人は、机以外の4本足のものと、飛行機以外の空を飛ぶものは、何でも食べると言われている。
そんな世界の食文化の一大中心地である大中華帝国に――わたしはあのマカオでの出来事を除いて、初めて来た。
特に北京は畑作地域であることから小麦粉を使った料理が多く、寒いために濃いめの味付けだ。これがなかなかわたしの好みに合っている。
……こんなの太るわぁ。
「大中華帝国では虎は猫、龍は蛇なのねぇ」
『……お前、本来の目的忘れてへんやろな?』
もぐもぐしていると、耳元のスピーカーから相模くんの声がしてきた。
「何よう、失礼ね。ちゃんと調べてるし、主要な軍事基地は1個1個回ってるわよ?ちょっとくらい寄り道したっていいじゃなぁい」
大中華帝国の軍事施設は多すぎると言えるほど多い。
どこも軍事都市なんじゃないの?って思えるくらい。
千端さんがどこにいるか分からない以上、1個1個潰していくしかない。
入れ違いになったら洒落にならないけどねぇ。
端末を翳して店の人にお金を払い、満腹満腹とお腹を擦りながら店を出る。
……さて。次は北京軍事施設に潜入だ。
ミネラルウォーターを購入し、早速透明化能力を使って軍事施設まで徒歩で移動した。
日本帝国ほど超能力研究が進んでいない分、大中華帝国の軍事施設はどこも同じ。
見えない者に対してろくに警戒しない。
昨日の夜と昼間に潜入した施設と同じく、入り口はあっさりと突破することができた。
でもどんな仕掛けが施されてるか分かんないし、注意しなくちゃいけないのはここからよねぇ。
それに、1つの軍事施設と言えどすっごく広いから、ここにいたとしても千端さんを探すのは一苦労だ。
これ戦争が始まる前にちゃんと見つけられるのかしらぁ?と少し不安を覚えながらも廊下を歩く。
――――すると。マッシュルームカットの、どこかで見たような面の男が、遠くからこちらの方向を見ているのに気付いた。
……?
不審に思って後ろを振り返るが、何もない。
わたしを見てる?いやいや、まさかね。
ちゃんと透明化能力は発動してる。
虚空を見つめる趣味がある人なんだろうと自分を納得させて通り過ぎようとした――――が、
強い力で二の腕を掴まれ、振り返らされた。
…………あ。コイツ。道理で見たことあると思った。
「お前、何で私服でウロウロしてんだ?」
運が悪すぎる。
――――大中華帝国軍上校の、透視能力者じゃない。
透視能力と透明化能力は相性が悪い。
いくら透明になったって見破られてしまう。
「指定の服装があるだろ」
わたしを大中華帝国の軍人だと勘違いしているのだと理解するのに、数秒。
……あぁ、なるほどねぇ。まだセーフだ。
「ごめんなさい。友達と喧嘩しちゃってぇ、服盗られちゃったんです。私服で探すと目立つから恥ずかしくって、能力使って探してて……すぐ見つけ出すので許してくれませんかぁ?」
目をウルウルさせながら見上げれば、上校はハッと息を呑んだ。よしよし、チョロいチョロい。
わたしの涙目に反応しない男なんていな……
「何だそれ!イジメじゃねぇか!!」
思いの外デカい声を出されたのでビビった。
「…………あ、い、いえ、本当にただ喧嘩しただけでぇ、その子とは友達だしぃ、わたしにも悪い部分はあったっていうかぁ~」
「本当に友達か!?お前が友達だって思ってるだけじゃねぇのか!?」
「…………えーっとお……」
「一緒にいて辛い友達は友達じゃねぇんだぞ!?分かってんのか!?」
「いや、でも……」
「おれも一緒に探してやる!今後も物隠されるようなことが続くようであれば縁を切れ!友達の形は人それぞれとはいえ、そんなことする奴は友達って呼ばない!」
「……」
…………熱血教師ですかぁ?
思い出した、こいつの名前。ミンヤンだ。
大中華帝国軍上層部の中では年長者だけど、1番バカっぽい奴。
…………うまくやれば、利用できるんじゃないかしらぁ?
気を取り直してとびきりの笑顔を浮かべ、礼を言った。
「ありがとうございます!わたしすっごく困っててぇ~、ミンヤンさんが手伝ってくれるなら助かりますぅ」
「おう!任せとけ!!」
「……」
何コイツ?わたしの笑顔に全然反応してなくない?
下心の類いも全く感じられないしぃ……。
…………あぁ。精神年齢が小学生レベルなのか。
それなら男としての反応が鈍っていても納得できる。
でもこんな風に色仕掛けが通用しなさそうな相手って、いざとなった時面倒なのよねぇ。
利用する相手としては適切じゃなかったかもしれない、と少し後悔しながらも隣を歩く。
「実はわたし最近来たばかりの新人でぇ、施設内のマップもまだ覚えられてないんです」
「それは大変だ!ポォォォウ!よく1人で探そうと思ったな!」
ポ、ポォォォウ…………?
意味の分からない言葉に戸惑ったが、飲まれてはいけないと自分に言い聞かせて質問をした。
「ここって北京軍事施設のどこ辺りに位置するんですかぁ?端の方?ぐるぐるしてたら中心部に行ける感じですかぁ?」
「まぁ端の方だな!中心部に関しては不審者には教えらんねぇわ!」
――一瞬“不審者”と呼ばれたことを聞き流しそうになるくらい、ミンヤンはそれまでと何ら変わりないトーンで言った。
「ほら、やっぱ教えられることと無理なことってあんじゃん?」
――しまった。人気のない場所に誘導されてる。
「特にお前が気になってるであろう“橘哀花”については教えらんねぇなぁ」
反射的に逃げ出そうとしたが、それよりも早く腕を掴まれた。
「ごめんな?怪しい奴がいたら一応取り締まるってことになってっからさ。」
わたしとしたことが見誤った。
こいつはただのバカじゃない。バカそうに見えて色々考えてるタイプの奴だ。
「んで、お前何の用でここ来たの?日本人だよなあ?」
腕から逃れようとする前に、もう片方の手で首を捕らえられた。
「――――うちの上将連れ戻しに来たんなら今すぐにでも殺すぞ?」
……わたしが日本帝国軍の人間ってことは、最初からお見通しだったってわけねぇ。
「……あの人に会わせて」
「んー?やっぱ連れ戻す気?でもそれっておれらの国の戦力の損失に繋がるからさ、ごめんな?」
口調こそ優しいが、わたしの首を掴む手に力が籠ってきている。これ以上やられたら声を出せなくなる。その前に伝えなければ。
「聞、きなさい。あの人を連れ戻す気はない。あなたたちからあの人を奪う気なんてないわぁ。ただ話がしたいの」
「話?」
「どうしても伝えたいことがあるのよ」
「伝えたいこと、なあ」
聞いているのかいないのか、ミンヤンはどうでもよさそうにわたしを見下ろしている。
腹立つ。こんな美人の首躊躇いもなく絞めるってどういうことよぉ?
ここまで眼中に入れられてないと、いっそ落としてみたくなっちゃう。まぁ今はそんな場合じゃないけどねぇ。
「いいんじゃねェの?連れてってやれば?」
それまで全く気付いていなかった分、体がびくりと反応してしまった。
声のした方に視線を向けると、そこには金髪の男が立っていた。見るからに若い。
「……ティエン」
ミンヤンがわたしから手を離す。
咳き込みながらティエンと呼ばれた男の方をもう一度見た。
見たところまだ10代だろう。
ってことは、この子が大中華帝国の中将……?
何でこう上層部ばっか集まってくんのかしらぁ?わたし運悪すぎじゃない?
「鈴はこの施設にいるよォ?わざわざこんなところまで1人で来たその度胸に免じて、話くらいならさせてあげる」
「……お、おい。こいつが鈴を連れ戻そうとしたらどうする気なんだよ」
「は、ミンヤン、それ本気で言ってるゥ?」
心底バカにしたような口調で言った中将は、自信たっぷりに嗤った。
「――――鈴がボクたちを置いていくわけねェじゃん」
それはきっと、置いていかれたわたし達に対する嘲りだった。
《19:30 北京》
ティエンと一緒に麻里が部屋に入ってきたのは、いつもの椅子に座ってお茶を飲んでいた時だった。
最初入ってきた時はびっくりしたけど、まぁほぼ1ヶ月経ってるんだし、リューシェンの能力分析から穴を見つけ出しても不自然ではない期間だ。
あの場にいなかった人間には結界が効かないということがそろそろ分かってきたということだろう。
「……久し振り、麻里。何の用?」
そっか、麻里が来たか。予想とは違ったなぁ。てっきり私とは関係ない人が来ると思ってた。
「伝言を伝えにきたわぁ。一ノ宮さんと、東宮さんから」
「へぇ、その2人?わざわざ来なくても、戦争が始まれば電話には出るつもりだったのに。そのために連絡先教えてるんだし」
「……でも戦争が始まれば、あなたは心を閉ざしてしまうでしょお?」
「……」
麻里は髪を結んでいたゴムを取り、私を見上げる。
「……ティエン、ごめん。2人にして」
私の一言で、ティエンは唇を尖らせながら「はァい」と言って部屋を出ていく。
「正直聞きたくないな。その2人からの伝言は」
「あら、どうして?」
「……怖いからだよ」
そう、怖い。
私がお姉ちゃんを裏切ったことを知ったうえで、彼らが私をどう思っているのか――知るのが怖い。
「……“あなたは僕がどんな人間でも受け入れてくれた。僕があなたを受け入れないはずがない”」
カップの中の液体が揺れた。
「“僕はあなたが過去に何をしていようと軽蔑しない”」
「……」
「一ノ宮さんからよ」
へぇ、と興味なさげに答えることができなかった。
動揺してはいけない、もうあの人たちは私に関係ないと思うのに、声が出てこない。
お茶を一口飲み、喉を潤してから口を開く。
「……泰久、は?」
自分の声が震えていた。
「――――“好きだ”」
「……、……………は……?」
「“戦争が終わったら生きて帰ってこい”」
聞き間違えかと思った。
でも見下ろした麻里が真剣な表情をしていたから、すぐにそうではないと分かった。
「……なん、で」
「“優香はとっくに、お前のことを許してる”」
「……っ」
ぐらりと視界が揺れる。気分が悪くなった。
「――――出ていって」
がしゃん、と、中のお茶が溢れるくらいの勢いでカップをテーブルに置いた。
「今すぐ出ていって!!!!」
ヒステリックに叫び、麻里を睨み付ける。
麻里は少し怯んだようだったが、すぐに冷静な表情に戻り、出口へ向かって歩いていった。
そして、最後に振り返って。
「わたしの大好きな東宮さんの恋心を独り占めしてるんだから、死ぬなんて贅沢なこと許さないわよぉ?」
「……」
「あなたが死んだら東宮さんのこと、わたしがガンガンに攻めて落としちゃうんだからぁ。それはイヤでしょお?」
「……」
「死んだら確かに楽でしょうねぇ。でも罪を犯してしまったのなら、生きて苦しむ方がよっぽど、罪滅ぼしになると思うわぁ」
「……」
「あとはあなた次第よ。自殺志願者を無理に止める気はないわぁ。……でも、あなたが死んで悲しむ人間は、一体何人いるでしょうねぇ?」
お姉ちゃんが死んだ時に感じた、胸が張り裂けそうな痛み。
大切な人が死ぬ悲しみは、私だってよく知っている。
部屋から麻里がいなくなった後、私は机に突っ伏した。
考えるな。
考えるな。
考えるな。
死ぬって決めたじゃないか。
この8年、それだけのために。
私は罪人だ。
罪人だ。
罪人だ。
許されていいはずがない。
嬉しい。
喜んでいい立場じゃない。
生きていいのかなって思えてくる。
これ以上クズにはなりたくない。
泰久が好きって言ってくれた。
思い上がるな。
お姉ちゃんも許してるって。
許してくれているはずがない。
泰久がそう言ってる。
泰久にお姉ちゃんの気持ちが分かるはずない。
もしかしたら、生きててもいいんじゃないか?
自分のしたことを忘れるな。
気持ちがぐちゃぐちゃになって吐きそうだ。
胸を押さえながら絞り出すように、絶対に返事をしてくれない人を、自分が殺した人を、呼んだ。
「――――……お姉ちゃん……」
あなたに会いたい。
会いたいよ。