引きこもり婚始まりました〜Reverse〜




さて、そろそろ支度しないと。
ちゃんとそう思ってたのに、いい加減にしろというように部屋の内線が鳴った。


「はい」

『書類、ありがとうございました。随分遅いですが、奥様が喜んでいらしたのでよかったです』


華子さんと呼んで、彼女が親しくしている女性――いや、きっと俺の思惑なんて女神様にはお見通しで、知らないふりして合わせてくれているんだろう。


「でも、期限には十分間に合ってるでしょ? どうせ、予定より早めに伝えてくれたんだろうから。奥さんとイチャつく時間まで見越してるなんて、さすがだね」

『それをご存じで、ギリギリを狙う方に言われたくないですね。それより、そろそろお出になる時間では? 』

「分かってる。大事な予定だから、遅刻なんてしないよ。そんなことより、彼女のことを頼むよ。くれぐれも、傷つけないように」

『承知しております』


言われなくても分かってると、少しムッとしたのが電話でも伝わって笑ってしまう。
最初こそ命令だったからとか、その方が都合がいいとか、今後のことを考えてとかがあったんだろうけど。
今や、めぐはみんなにとっても女神様になりつつあるのかも。
恋愛感情がないのなら、それはもちろん構わないし寧ろ当然だ。


(……でも、数人気になる奴いるんだよな)


せっかく喜んでるところを悲しませたくないし、派手なことをしなくて済むように芽は摘んでおかないと。


「そろそろお時間です」

「うん」


ドアをノックされ外に出ると、こちらも時間ぴったりまで待ってくれていたのか部下が控えていた。


「それにしても、よろしいのですか? もっと好条件で支配下に置くことも、貴方ならできたのでは」

「傘下ね。それはそうだけど、買収するのは会社であって人間じゃない。それなりの条件じゃないと、人は離れるよ。ああ、でも、あの人が上じゃダメだ」


こりゃダメだとしか言えないような役員ばかりだった。
きっと、社員にとってもましになるだろうし、俺たちはそうしなければならない。


「同じ意味でしょう。まあ、それだと好感度は上がりますね。恨まれるより、崇められた方が扱いやすいのは確かです。それとも、やはり支配下に置きたい男でもいますか」

「何のことだろう。物騒な話は(つつし)んで」

「失礼いたしました。年を取ると、何でも邪推してしまっていけませんね。何もかも偶然ですし、ご温情は先方にも伝わりますよ」


それは苦笑に留め、返事はしないことにした。
昔からの知り合いが部下だと、やりにくいことこの上ない。
部下というより、お目付け役の意味での配置なのだろう。

待たせていた車に乗り込み、どうしても不安になる。
この偶然(・・)の出来事に、めぐはいつ気がつくだろう。
買収した会社に、あの初恋の先輩がいるって。


(悔しいけど、いい奴だった)


『あなたは、萌ちゃんの……あ。す、すみません。失礼なことを』


何度目かの話し合いの時に、これは本当に偶然声を掛けられた。


『いえ。彼女の先輩……でしたよね』

『……はい。昔のことですし、萌ちゃんはすっかり忘れてたみたいですけど。だから、安心してください』

『ご結婚されたんですね』


萌ちゃん――春来とも戸村とも、他の誰とも違う呼び方は苛々する。
だからつい、脈略のない言葉を返すと面食らったようにこっちを見て、やがてその続きとは裏腹に首を振った。


『はい。萌ちゃんも、すごく幸せそうでした』

『よかった。幸せにする気しかないので。それに、こちらの皆さんにとっても、いい方向に進められるよう善処します』

『ああ、やっぱり。噂は本当だったんですね。現状がとても酷いので、みんな内心期待してますよ』


「これから、よろしくお願いします」と頭を下げて、再び上がった顔は爽やかな笑顔を浮かべていた。
大人の余裕なのか、今では自分の家庭を愛しているから心配するなという牽制なのか、何にしても格好いい。

――きっとそれで、幼かっためぐを奪ったのだと確信できるほど。






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