引きこもり婚始まりました〜Reverse〜
『……ですけど』
帰りの車中でぼんやりしていると、めぐの急に敬語になる癖が思い出された。
未だにそれが抜けないのは、初めて付き合ったのが年上の男だったから。
(……違う。それだけじゃなくて)
傷ついたのは確かなのに、それを彼女は嫌な経験だと思っていないから、だ。寧ろ――……。
(大切な、初恋)
どうして、それは春来ではなかったのだろう。
幼いめぐも、何となく奴の最低なところを感じ取っていたんだろうか。
彼女に言ったことは嘘じゃない。
そんな経験を経て今の彼女が存在していることは、理解している。
あの頃のめぐも可愛いかったけど、大人になった彼女は更に綺麗で可愛くて――今はもっと、愛しい。
だからこそ――……。
「してやったり、という顔ではありませんね」
「必要なことは、全部やる。……それだけのことだ」
運転席から、バックミラーを通して言われて顔を背ける。
だが、それすら予想どおりだったのだろう。
「それを楽しげに言わないあたりが、大きな差ですよ」
何がどう想定内なのか、彼こそ随分楽しそうだ。
溜息を吐き、窓から外を眺め、今度こそ視界から脱出する。
誰とのどういう差なのかなんて、わざわざ口にするのも不愉快だ。
「……比べられたいのは、彼女だけだ」
――女神様が天界から俺の側へと堕ちる、その理由をたくさん準備してあげたいから。
・・・
「……優冬くん……」
彼女を迎えに、いったん会社に戻って。
俺を見つけた途端、絶望に近いほど困り果てた表情をしている彼女に慌てて駆け寄った。
「どうしたの……? 誰、何かされた? 」
なるべく矢継ぎ早にならないようにゆっくり話そうとすると、肝心の内容がかなり短絡的になってしまった。
「ち、違う。さっき、優冬くん宛に電話あったのに……よく分からなくて、伝言控えるしかできなくて落ち込んでただけ」
「なんだ、そんなこと。代わりに出てくれただけでも助かるのに」
(嫌な仕事は意図的に教えてないのに。きっとそれすら知ってるのに、そんなことで落ち込んじゃうなんて。この女神様は女神すぎるんだから)
何もしなくていい。
ただ、ここにいて俺を好きでいてくれたら、俺の幸せは完成するのに。
ふんぞり返っていられるだけの舞台は整っているのに、そうはしない彼女だからこそ好きなんだけど。
(それにしても、スケジュール確認もしないで連絡してくるって誰だ)
「ありがと。メモ、貰うね。……って、なんで拗ねるの」
「……だって、要らないくせに」
廊下で頭を撫でられて、抗議するように顔を背けてしまうのも可愛い。
「めぐ……」
「……っ、ごめん。役に立てないの、当の優冬くんに八つ当たりするなんて……」
(え、何言ってるんだろう……。意味不明すぎて可愛い……可愛い可愛いかわ……)
「しなよ、八つ当たりくらい。生きてれば嫌なことくらいあるでしょ。それを取り除くのが俺の役目なのに、それでも嫌な思いしてるのなら俺のせいだよ」
「……な、何言ってるの。そんなわけ……」
「あーるの」
染まった頬を隠すように、さらりと髪が流れ落ちてくる。
相変わらず綺麗で指通りがいいなと思った次には、めぐのどこに触れたって、俺の指が気持ちいいと感じないわけはないなと思い直した。
「……人が見てる……」
「かもね。でも、もうからかわれることすらなくなったから、気にならないでしょ? 」
「……なるよ!! 」
奥さんじゃなければ、まだ御曹司に口説かれている社員にしか見えなかったかもしれないけど、今や奥さんになってもなお、執着され続けているからそりゃそうか。
「華子さんあたりには、いつも大変ですねって気遣われるけど」
「女神様だっていうのに、めぐは大変なお仕事してるよね。ほら、役に立ててないなんて間違ってるよ」
異常性すら然程隠していないせいか、やっかみより同情の方が多いようで。
もちろん、彼女自身が頑張り屋なのもある。
「……でも、羨ましいって言われることも多いよ。きっと、これからもそれは減らない」
盛大にスルーしたくせに、必要のない「ありがとう」をしっかりとくれた。
「俺こそ」
本当は、お礼こそいらないんだ。
「……ゆ、ゆっ、とく……」
俺はそれ以上にたくさんのものを貰って、奪っているから。
不意打ちというにはあまりにゆっくりとしたキスに驚いて、名前にはならなかったかもしれない彼女の声がひどく愛しかった。