早河シリーズ第一幕【影法師】
制服組の最後のひとりが出ていくまで頭を下げ続けていた早河達は再び閉ざされた扉と共に頭を上げた。
『警部、これはどういう……』
『急に悪かった。順を追って話す』
上野は一枚の写真を机に置いた。花壇の前に立つ小学校低学年くらいの少女が写っている。
『門倉唯、八歳。門倉警視総監の孫だ。この子が昨日誘拐された。犯人からの身代金要求は五千万。早河、お前に身代金の受け渡しを頼む』
『俺が? どうして……』
『それが犯人の指示なんだ。これが警視庁宛に届いた脅迫状のコピーだ』
上野は四つ折りにしたコピー用紙を広げて早河に見せた。
脅迫状の差出人はイイジマユウスケ。おそらく偽名だろう。
身代金受け渡しには警視庁捜査一課の早河仁を指名する、早河以外の者とは取引は行わないと明記されていた。
『イイジマユウスケの名前に心当たりはあるか?』
脅迫状のコピーを見た香道が早河に尋ねる。早河はかぶりを振った。
『まったく。よくある名前ですし偽名かもしれません。どうして俺が指名されるのかも見当がつきません』
『お前を指名した理由はわからない。が、従わなければ門倉唯の命の保証はない。早河、やってくれるか?』
誘拐犯に名指しされる理由もイイジマユウスケの名にも心当たりはない。だがやらなければ門倉唯の身が危険だ。これは刑事としてやらなければならない仕事。
『わかりました。やります』
『香道には早河のサポートを頼む』
『はい』
早河と香道はバディを組んでいる。早河の補佐は香道にしかできない。
『犯人についてわかっていることは?』
『門倉唯が通う私立小学校は昨日が一学期の終業式で普段よりも帰宅時間が早い日だった。しかし唯は午後になっても帰宅せず、警察に通報があったのは午後5時になってからだ。帰り道に誘拐されたと思われるが目撃証言はない』
机に広げられた地図には門倉唯が通う小学校と唯の通学路が蛍光ペンでマークされていた。
『この一件はマスコミには伏せている。警視総監の孫の誘拐となればマスコミが騒ぎ立てて厄介だからな』
『それで警察のお偉い方が勢揃いしていたってことですね。今の警視総監の門倉さんって確か去年の人事で総監に上がった人ですよね。俺、顔よく知らないんですけど……』
香道はもぬけの殻となった会議室を見渡した。上野が苦笑して机に腰掛ける。
『捜査本部の会議でも総監に会う機会はめったにないから仕方ないよな。あの上座にいた人が門倉警視総監だ』
早河も香道もろくに見ていない警視総監の顔は思い出せないが、あの高圧的な口調は思い出せる。
『門倉総監は昔、捜査一課にいたことがあるから俺はあの人のことはよく知ってるよ。俺と早河の親父さんの上司でもあった』
『親父の?』
早河の父親はかつて警視庁の刑事だった。上野は早河の父親の部下だ。
『上司と言ってもあの頃は警視だった総監と早河警部補は当時かなり対立していて険悪な仲ではあったんだ。もちろんあちらもお前が早河警部補の息子だと承知しているだろう。その人の孫の身代金受け渡しに早河が指名されるとは因果なものだな』
過去に父親と対立していた男の孫娘の写真を早河は見つめる。門倉警視総監と父親の仲がどうであれ、この少女には何の罪もない。
助けてあげたいと心底思う。
『身代金受け渡しは明日の午前10時。場所はお台場海浜公園』
『また人の多いところを狙ったものですね。休日の台場なんて』
香道がメモをとる。明日は土曜日、それも関東周辺の学校は夏休みに入り、人で溢れかえることは予想がつく。
門倉唯誘拐事件の捜査会議が午後7時開始と告げられた時、早河の脳裏にある女性の顔が浮かんだ。
『警部、これはどういう……』
『急に悪かった。順を追って話す』
上野は一枚の写真を机に置いた。花壇の前に立つ小学校低学年くらいの少女が写っている。
『門倉唯、八歳。門倉警視総監の孫だ。この子が昨日誘拐された。犯人からの身代金要求は五千万。早河、お前に身代金の受け渡しを頼む』
『俺が? どうして……』
『それが犯人の指示なんだ。これが警視庁宛に届いた脅迫状のコピーだ』
上野は四つ折りにしたコピー用紙を広げて早河に見せた。
脅迫状の差出人はイイジマユウスケ。おそらく偽名だろう。
身代金受け渡しには警視庁捜査一課の早河仁を指名する、早河以外の者とは取引は行わないと明記されていた。
『イイジマユウスケの名前に心当たりはあるか?』
脅迫状のコピーを見た香道が早河に尋ねる。早河はかぶりを振った。
『まったく。よくある名前ですし偽名かもしれません。どうして俺が指名されるのかも見当がつきません』
『お前を指名した理由はわからない。が、従わなければ門倉唯の命の保証はない。早河、やってくれるか?』
誘拐犯に名指しされる理由もイイジマユウスケの名にも心当たりはない。だがやらなければ門倉唯の身が危険だ。これは刑事としてやらなければならない仕事。
『わかりました。やります』
『香道には早河のサポートを頼む』
『はい』
早河と香道はバディを組んでいる。早河の補佐は香道にしかできない。
『犯人についてわかっていることは?』
『門倉唯が通う私立小学校は昨日が一学期の終業式で普段よりも帰宅時間が早い日だった。しかし唯は午後になっても帰宅せず、警察に通報があったのは午後5時になってからだ。帰り道に誘拐されたと思われるが目撃証言はない』
机に広げられた地図には門倉唯が通う小学校と唯の通学路が蛍光ペンでマークされていた。
『この一件はマスコミには伏せている。警視総監の孫の誘拐となればマスコミが騒ぎ立てて厄介だからな』
『それで警察のお偉い方が勢揃いしていたってことですね。今の警視総監の門倉さんって確か去年の人事で総監に上がった人ですよね。俺、顔よく知らないんですけど……』
香道はもぬけの殻となった会議室を見渡した。上野が苦笑して机に腰掛ける。
『捜査本部の会議でも総監に会う機会はめったにないから仕方ないよな。あの上座にいた人が門倉警視総監だ』
早河も香道もろくに見ていない警視総監の顔は思い出せないが、あの高圧的な口調は思い出せる。
『門倉総監は昔、捜査一課にいたことがあるから俺はあの人のことはよく知ってるよ。俺と早河の親父さんの上司でもあった』
『親父の?』
早河の父親はかつて警視庁の刑事だった。上野は早河の父親の部下だ。
『上司と言ってもあの頃は警視だった総監と早河警部補は当時かなり対立していて険悪な仲ではあったんだ。もちろんあちらもお前が早河警部補の息子だと承知しているだろう。その人の孫の身代金受け渡しに早河が指名されるとは因果なものだな』
過去に父親と対立していた男の孫娘の写真を早河は見つめる。門倉警視総監と父親の仲がどうであれ、この少女には何の罪もない。
助けてあげたいと心底思う。
『身代金受け渡しは明日の午前10時。場所はお台場海浜公園』
『また人の多いところを狙ったものですね。休日の台場なんて』
香道がメモをとる。明日は土曜日、それも関東周辺の学校は夏休みに入り、人で溢れかえることは予想がつく。
門倉唯誘拐事件の捜査会議が午後7時開始と告げられた時、早河の脳裏にある女性の顔が浮かんだ。