早河シリーズ第一幕【影法師】
 それから2日後の4月4日。

『また来たか……』

 早河は溜息混じりに呟いて事務所の扉を開けた。扉の前には赤いキャリーケースを提げるなぎさの姿。

 一昨日に追い返したにもかかわらず、なぎさは昨日も事務所に来てタダ働きでいいから雇ってくれと直談判してきた。彼は呆れの眼差しを彼女に向ける。

『なぎさちゃんがここまで諦めが悪いとは思わなかったよ』
「私、思い立ったが吉日タイプなので」

それは使う意味が違う気がするが……。早河はその言葉を飲み込んでなぎさを事務所に入れた。どちらかと言えば、正しいのは猪突猛進の方だ。

『昨日はどこ泊まったの? ネットカフェ?』
「新宿駅前のカプセルホテルに……。ネットカフェよりは眠れるんです」
『女ひとりで危ないことするなぁ。あの辺りは宿泊にはオススメできないよ。それにカプセルホテルじゃなくてもっとちゃんとしたホテルじゃないとダメだ。何かあったらどうするんだ?』

 元刑事だからこそ知っている街の闇がある。できれば新宿界隈の夜を女性ひとりで出歩かせたくはない。

「だって仕方ないじゃないですか。ビジネスホテルはお財布的に厳しいし、友達も新年度始まってみんな忙しくて、家に泊まらせてもらえる雰囲気じゃないんです」

なぎさは口を尖らせて反論する。早河はやれやれと首を横に振り、彼女と向かい合った。

『昨日なぎさちゃんのお母さんから電話が来たよ。出版社の仕事辞めたんだって?』
「……先月いっぱいで」

 途端になぎさの歯切れが悪くなる。友達が新年度で忙しいと言うのなら、なぎさも社会人2年目の仕事に追われているはずだ。
家出をしてネットカフェやカプセルホテルに寝泊まりして、こんな場所を訪問している場合ではない。

『それでお父さんと喧嘩して家を飛び出して来たと』
「まぁ……。父が怒るのも無理もないですけどね。社会人1年目の新人がたった1年で仕事を辞めるなんてとんでもないっ! って。だけど辞めることは半年前に決めていました。辞めた後のことも考えて貯金もして、考えなしのように見えますけどこれでも少しは考えているんです」

 なぎさは履歴書を早河の前に差し出した。早河はそれを受け取って目を通す。昨日も履歴書を渡されたがろくに読まずに突っ返した。

なぎさとの攻防戦も3日目ともなると抵抗するにも疲れてきた。この厄介な家出人への対応は少し、いや、かなり、面倒くさい。
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