薄氷の城

第 8 話 女と男

 ヴィレム王子とユリアーナの婚約が国民に発表されたのは、山々が秋色に色付く頃だった。
 社交シーズンも終わりに近づき、雪の降る地域を領地としている貴族の一部は既に王都を離れている中での発表だった。
 王族は貴族のように婚約式を行う習慣がなく、王による公式発表だけとなる。
 この発表について、ヴィレムがフェルカイク家のエリーサベトとの婚約間近と噂されていたこと、コンスタンティンと事実上の婚約関係にあったユリアーナがコンスタンティン行方不明後、半年も経っていなかったこなどもあり、様々な憶測が飛び交うことになった。
 ヴィレムとの結婚を望んでいたエリーサベトがあまりの悔しさに見境なくユリアーナに対して誹謗中傷を繰り返し、婚約に至る経緯の憶測と重なって人々の話題の中心になった。
 そんな中でもユリアーナの妃教育は始まった。

「それでは、ヤン・エパナスターシが独立宣言をするに至ったお話しは以上です。」
「ありがとうございます。」
「ユリアーナ様。大公の出生地など、覚え間違いの箇所がいくつかございました。勉強不足としか言いようがございません。貴女は、ヴィレム王子の婚約者様でございます。これから我が国の公爵家のご夫人として、国内外の方々とお話しになることもございます。今後はこの様なことがありませんように。」
「ご指摘ありがとうございます。以後この様なことがないよう、心して努めて参ります。」
「よろしいでしょう。」
「ありがとうございました。アレクサンダル先生。」

 アレクサンダルはユリアーナの方をチラリとすることなく、部屋を出て行った。
 次の所作指導が始まるまでにはしばらく時間があることを確認して、ユリアーナは部屋の窓を開けた。太陽の暖かさを冷ますような、ほんのりと冷えた風が一筋吹いてきてユリアーナの心を和らげた。城から見える山は黄金色に色付いている。一人になった部屋で、澄みきった秋の空を見上げた。
 
 あの時も、庭の木がこんな風に色付いていた。

 フェルバーン家の庭は四季折々花が咲き、紅葉(こうよう)などが楽しめる木々もある。その中でもユリアーナは、秋になると好んでポプラの木近くにあるベンチに腰掛けていた。この場所で本を読んだり、何かを考えたりすると何故か落ち着けた。
 座っている膝に色付いた葉が一枚ヒラリと落ちてきた。それを手に取ると、何故だか突然涙が溢れそうになった。
 貴族の子どもは小さな時から許嫁が決まっていることが少なくない。ユリアーナの妹のアンナも弟のヨハンも許嫁がいる。しかし、ユリアーナには決まった相手がいなかった。
 エパナスターシでは、第一子の結婚は特に重要視される傾向にある。ユリアーナが生まれた時も国内屈指の良家に生まれた惣領娘への縁談は様々な家からあった。しかしながら政治的には中庸を保っているフェルバーン家を自らの派閥に取り込もうと言う考えが垣間見える縁談ばかりで、エルンストは返事を先延ばしにしたまま歳月は過ぎていた。
 一方ユリアーナは、十五歳になり周りの令嬢の中で許嫁が決まっていないのが自分だけとなると、恐怖に近いような焦燥感を覚えていた。ユリアーナ自身、知識を蓄えることは嫌いではなかったが、一体自分は何のために様々なことを学んでいるのか、自分は人に必要とされているのか、そんなことを考え始めると、涙は堰き止めておくことが難しくなっていった。
 ユリアーナは、気分を落ち着かせる様に目を瞑り、幾度も深呼吸をする。その時誰かが隣に座った気配がして、ユリアーナはそっと隣を見た。コンスタンティンだった。
 彼は、ユリアーナの涙に気が付いている様子はなく、いつもの様に挨拶を済ませると、ユリアーナの方を見る訳でもなく真っ直ぐを見つめながら、ポツリ、ポツリと昨日父親に叱られたことなんかを話していた。ユリアーナはそんな彼の愚痴を微笑ましく聞いた。彼も、名門エイクマン家の一人息子として日々厳しい教育を受けていた。前に、ここに来るのは親公認の唯一の息抜きだと言っていた。

「僕の心の拠り所は、フェルバーン家の立派な庭と飼っている犬のイーフォだけ。この庭は、四季どの季節に来ても綺麗で、特にポプラの木々と噴水があるこの場所は()()大好きだ。夏はちょうど木陰で。」

 そう言うと穏やかに笑い、ユリアーナの膝にハンカチを置いて去ってしまった。しばらく放心していると自分を呼ぶボーの声が聞こえた。

「お嬢様、そちらにいらしたのですか?ずっと?なぜ、見つけられなかったのかしら?別館にいらっしゃるかと思って探しに行ったので、通ったはずですのに。」

 慌てたように、ボーが近寄ってきた。この場所は、本館と別館を繋ぐ渡り廊下の目の前で良く目立つ場所だ。ユリアーナは、握ったハンカチを見つめていた。
 初めてコンスタンティンと会ったのは、アンナ八歳の誕生日パーティーだった。その頃ユリアーナとコンスタンティンは十歳。ユリアーナの方が背丈は高かった。それがいつの間にか、コンスタンティンの体格はユリアーナをまるっと隠してしまえるほどになっていた。ユリアーナは自分に芽生えた気持に動揺した。

「ユリアーナ様。ユリアーナ様?」

 ユリアーナは驚いて、声の方を振り向いた。所作指導のミランダがこちらを窺うように見ている。

「大変失礼致しました。ミランダ先生。」
「では、お妃教育を始めます。」
「お願い致します。」

 ユリアーナは、綺麗に折りたたまれたハンカチをそっと鞄に忍ばせた。刺繍されたイニシャル“C.E.”はもう誰にも知られてはいけないから。


∴∵


 十一月中旬、ユリアーナ十七歳の誕生日パーティーが行われた。
 彼女が着ているドレスは、王都で流行っている最新デザインのもの。ヴィレムからの贈り物だ。

「流石、ユリアーナ様。そちらのドレス、王都で一番の人気デザインのものですわね。」
「このドレスは、殿下が今日のために贈って下さったものなんです。」
「とっても、お似合いでございます。」
「ありがとうございます。シーラ様。」
「シーラ嬢のお父上は国内政策担当の文官で、父とも交流があるんだ。」

 アンナとヨハンはユリアーナとヴィレムを少し離れた所で見ていた。

「あのデザイン、流行りなのはわかるけど、ユリアーナには似合わないのよね。色も…ユリアーナの肌がくすんで見えちゃう。」
「アンナが勧めたものじゃなかったんだ。一番最新のドレスだって聞いたから、アンナが教えたのかと思ってた。」
「確かに、流行ってはいるけど。流行ってるものが似合うかどうかは別の話しでしょ。それに、ユリアーナはあのデザイン好きじゃないと思う。」
「ヴィレム殿下に教えて差し上げれば良かったのに。」
「聞かれないもの、どう教えろって言うのよ。秘密のプレゼントって言っても普通は、親や弟妹(きょうだい)、一番近いメイドとかに趣味や好みを聞くものでしょう?実際にサイズは確認したのだから、その時に聞こうと思えば聞けたでしょう。二人一緒で何処かに出向くとき、男性側がドレスをプレゼントすることは珍しくないし、こちらだって確認ありましたよって報告するような無粋なことしないんだから。」

 例年の誕生日は、ユリアーナの希望でごく親しい友人と家族だけの(ささ)やかな会だが、今年の誕生日は、先日ヴィレムとの婚約が正式に発表された事で、ヴィレムの意向もあってヴィレムの幼なじみなども招待した大規模なものになった。それに伴い、別館では収容できなくなり、本館の大広間で行われた。
 ユリアーナには自分の友人と話す時間はなく、ヴィレムの友人たちが引っ切りなしに挨拶しにくるので、その相手をしている。

「ユリアーナの誕生日なのに、ユリアーナの気持は完全無視のこの会は何のためなの?」
「ヴィレム様は内心焦っているって話しだよ。姉さんに何度か縁談を断わられていたから。正式に発表した今、我が家からはもう破談には出来ないと言うのにね。」
「国王陛下から話しがあった時点で我が家に断わるなんて選択肢はなかったのに。」
「だから余計なんじゃないの?王子殿下は選びはしたけれど、選ばれた訳ではないから。どこか、劣等感みたいなものがあるんじゃない?」
「それで、ああして自分の領域にユリアーナを引っ張り込んで、ユリアーナとの関係の主導権を握ったように見せかけたいと?」
「まぁ、公爵としては、面子も必要でしょ?夫人に主導権を握られたままではいられないと思っていらっしゃるんじゃない?」
「だったら、ユリアーナの誕生日を使わないで自分でお茶会か何かを催せば良いのに。」
「姉さんの領域を自分の領域にしたって事が重要なんだよ。」
「公爵だなんて、見かけは大きいけど、中身は小さいのね。」
「みんなそんなものだよ。」
「みんなそんなもんなら、結婚に希望を失うよね。」
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