薄氷の城
第 9 話 女と女
四月、春の訪れと共に辺境伯御三家の一つマッティス辺境伯家の嫡子ヴォルテルと、ブラウェルス辺境伯家のヘンドリカの結婚お披露目の会が行われた。
会場になったマッティスの庭には色鮮やかなアネモネの花が咲き、花も二人をお祝いしているようだった。
マッティス家のアルベルティナも一足先にフェルカイク辺境伯の嫡子ピーテルと結婚し、二人の結婚を祝いに来ていた。そして、幼なじみとして、エリーサベトも招待されていた。彼女は、従兄弟をパートナーとして伴って出席していたが、他の出席者がまるで腫れ物に触るように接してくることを疎ましく思っていた。しかし、ここでも一番注目を集めたのは、ヴィレムに伴われたユリアーナだった。
ヴィレムは、誕生日の時と同様にユリアーナを伴い、参列者に次々と挨拶をする。そこに近寄って来たのは、ヴィレムの一つ下の妹、ウィルヘルミナ。
「お義姉様、あちらに紹介したい私の友人がおりまして…兄上、お義姉様をしばしお借り致しますわね。」
ウィルヘルミナは彼の返事を待たずにユリアーナを引っ張っていった。ウィルヘルミナもヴィレムとユリアーナの結婚を待って来年ブラウェルス辺境伯家の嫡子トーマスと結婚する予定になっている。
ウィルヘルミナは屋敷の庭をユリアーナを連れ、ぐんぐんと進んでいく。ユリアーナは彼女の歩く速さに着いていくのがやっとだった。
「兄上は融通がきかないでしょう?社交の場では隅から隅まで律儀に挨拶して回らないと気が済まないの。今日は友人の結婚式だと思って楽しめば良いのに。」
「殿下は、婚約者のトーマス様を放っておいてよろしいのですか?」
「えぇ。トーマスは私の人脈を当てにしているようですけど、夫婦といえども、そこはきっちりと分けないとね。お義姉様も、分けて考えて良いのですよ。兄上の友人だからと言って、仲良くしなくてはいけない道理はありませんから。さぁ、座りましょう。」
ウィルヘルミナがユリアーナを連れてきたのは、小ぶりなガゼボだった。そこには人気はない。
「この屋敷には小さな頃から良く来ていましたの。お屋敷の使用人の方々も良く出来た方たちばかりで。お義姉様とお話したかったので、ガゼボをお借りしましたの。」
「そうでしたのね。それで、お友達は?」
「あぁ。あれは嘘ですよ。ああ言えば兄上もお義姉様の人脈作りを邪魔立てするわけにはいきませんし、私の友人となれば、知り合った方が良いと考えるでしょうから。」
ウィルヘルミナは片目をつぶって笑った。
「とは言え、城の中で生きていくには、人脈も必要になりますわ。情報の豊かさは最大の助けになりますし、それには人脈の豊かさが重要でございますから。私が結婚する一年の間に、お義姉様には有益な人脈をご紹介します。お義姉様ご自身ももちろんお知り合いはいらっしゃると思いますが。取るに足らない人間も然も自分は立派だみたいな様子で近寄って来ますし、そのような有象無象を近寄らせない為にも正しい人脈作りはやはり重要ですわね。」
「殿下。まだお義姉様と呼んで頂くには…」
いつ頼んだのか、屋敷のメイドがガゼボにティーセットを用意し始めた。
「結婚はもう再来月の話しですよ。私の方が年上ですからそう呼ばれるのには違和感があるのかも知れませんが、そこは慣れて下さいませね。それとも、兄との結婚やはり嫌になってしまわれました?」
「いいえ、そのような…。」
「冗談です。でも、正直言いますと妃教育の大変さについていける人間は本当に少ないと思います。ヘンドリック兄上の妃、アントーニア様は体調を崩されて、結婚式自体が遅れてしまったのです。ですから、お義姉様のように何ともない事のように妃教育を受けているお方はとても貴重なのです。お義姉様ほど王家へ嫁ぐに相応しい方はいらっしゃらないと思います。」
「第一王子妃のアントーニア殿下は、後に国母になられる方。私よりずっと内容が難しく指導も厳しかったのだと思います。」
「いいえ。学ぶ事が習慣になっているかどうかはとても大きな事なのですよ。この国では婦女子に知見を広める必要はないと考える人が多くいます。特に貴族の娘たちは所作の勉強や刺繍などを習っていても、歴史や語学を学ぶことはございません。祖母の時代などは書ける文字は自分の名だけ。しかし、それが富の象徴だなんて言う貴族の娘も多かったようです。祖母はその常識に正面からぶつかり、一年の殆どを社交ではなく勉学に費やし様々な事を学び、実の親でさえも変った娘だと言っていたそうでございます。」
ウィルヘルミナはニッコリ笑って、紅茶を一口飲んだ。
「しかし、今は王妃として、病気がちな祖父に変わり政務や公務を行う事も度々ございます。祖母は、自らの経験から婦女子にも勉学は必要と考えていて、私にも兄たちと変らない教育を施してくれました。そう言えばお義姉様、この前は、ヤン・エパナスターシの出生地を覚え間違いをしていると言われていましたけれど…」
「なぜ、それを?」
「扉は開け放たれていましたからね。あれは、覚え間違いではなく、お義姉様は古い地名で答えただけではありませんか。出生地なのですから、出生当初の古い地名で答えても私は間違いだとは思いませんけれど。」
「今の時代に聞かれていたのですから、やはり新しい地名で答えるのが正解だったのです。」
ウィルヘルミナは、ため息を吐いた。
「人を作るのは、良い面も悪い面もその人の周りにいる人でございましょう?」
「えぇ。」
「ヴィレム兄上は、執務においては優秀な父や兄に囲まれて育ったせいか、努力を怠らないと言う面ではとても能力がある人なのですけれど、人の心の機微に関しては…妹としてももう少し学ぶべきところがあるのではと思う時が多々あります。」
ユリアーナは、どんな話になるのか分からず、相づちに困る。
「自分が出来るのだから、他人も同じ様に努力をすべきだと考えているところがあり、王子として生まれたために、周りの人々が兄に心を配るのであって、自分が人に対して心を砕くことを覚えずに来てしまったようです。」
ウィルヘルミナは大げさにも見えるような困った表情を作る。
「なので、お疲れの時は正直に、率直にそう言わないと兄上は何も感じ取ってはくれないし、わかりません。お義姉様、連日の妃教育に社交界でお疲れでしょう?こちらで少し休んでいて下さい。また、お迎えに参りますから。」
ニッコリと笑って、足早に去って行った。
∴∵
ウィルヘルミナがお披露目会のメイン会場に戻ると、近寄って来たのは、ヘンドリカだった。
「ご挨拶はよろしいの?」
「えぇ。一通り終わりました。お義姉様、しばらくお見かけしていませんでしたけど、どちらへ行っていらしたのですか?」
「ちょっとね。」
「ユリアーナ様も見かけないのですけれど、ご存じありませんか?ヴィレム様とご一緒の時に少し挨拶させて頂いただけで…。」
ヘンドリカは思案顔をする。
「実は…彼女の今日の態度には苦々しい思いをしておりましたの。今日は、私たちのお披露目会ですのに、この庭を我が家の様にあちらこちらへ行って四方八方へ良い顔をして…。エリーサベト様も同じ様に申しておりました。それに、こう言っては何ですけれど、婚約者だったコンスタンティン様の事があったのに、忌み明けもしないうちにヴィレム様との婚約。私、コンスタンティン様が不憫で…。」
ウィルヘルミナはヘンドリカに向って口角を少し上げて微笑んで見せた。それに気を良くしたヘンドリカは更に何かを話し出す。
「そう考えると、ヴィレム様も…」
「兄上は、もう正式な婚約者のいる身です。そうでなくても、王の孫。敬称なしで呼ぶのは相応しくありませんね。これからはご夫人となられる身ですから、社交界ではお気を付け下さいね。私がブラウェルス家に嫁げば、あなたは私の可愛い義妹。だからこその忠言だと思って耳を傾けて頂戴ね。」
「はい。心得ました。」
「それと…コンスタンティン様はまだ、亡くなったと決まったわけではございません。そのような言葉は、帰りを信じて待っている、エイクマンの皆さまにも失礼になるのではなくて?言葉には十分お気をつけなさいませね。」
ウィルヘルミナの微笑みは先ほどと同じ様な気がするのに、ヘンドリカは何故か冷気に絡みつかれている気がした。
会場になったマッティスの庭には色鮮やかなアネモネの花が咲き、花も二人をお祝いしているようだった。
マッティス家のアルベルティナも一足先にフェルカイク辺境伯の嫡子ピーテルと結婚し、二人の結婚を祝いに来ていた。そして、幼なじみとして、エリーサベトも招待されていた。彼女は、従兄弟をパートナーとして伴って出席していたが、他の出席者がまるで腫れ物に触るように接してくることを疎ましく思っていた。しかし、ここでも一番注目を集めたのは、ヴィレムに伴われたユリアーナだった。
ヴィレムは、誕生日の時と同様にユリアーナを伴い、参列者に次々と挨拶をする。そこに近寄って来たのは、ヴィレムの一つ下の妹、ウィルヘルミナ。
「お義姉様、あちらに紹介したい私の友人がおりまして…兄上、お義姉様をしばしお借り致しますわね。」
ウィルヘルミナは彼の返事を待たずにユリアーナを引っ張っていった。ウィルヘルミナもヴィレムとユリアーナの結婚を待って来年ブラウェルス辺境伯家の嫡子トーマスと結婚する予定になっている。
ウィルヘルミナは屋敷の庭をユリアーナを連れ、ぐんぐんと進んでいく。ユリアーナは彼女の歩く速さに着いていくのがやっとだった。
「兄上は融通がきかないでしょう?社交の場では隅から隅まで律儀に挨拶して回らないと気が済まないの。今日は友人の結婚式だと思って楽しめば良いのに。」
「殿下は、婚約者のトーマス様を放っておいてよろしいのですか?」
「えぇ。トーマスは私の人脈を当てにしているようですけど、夫婦といえども、そこはきっちりと分けないとね。お義姉様も、分けて考えて良いのですよ。兄上の友人だからと言って、仲良くしなくてはいけない道理はありませんから。さぁ、座りましょう。」
ウィルヘルミナがユリアーナを連れてきたのは、小ぶりなガゼボだった。そこには人気はない。
「この屋敷には小さな頃から良く来ていましたの。お屋敷の使用人の方々も良く出来た方たちばかりで。お義姉様とお話したかったので、ガゼボをお借りしましたの。」
「そうでしたのね。それで、お友達は?」
「あぁ。あれは嘘ですよ。ああ言えば兄上もお義姉様の人脈作りを邪魔立てするわけにはいきませんし、私の友人となれば、知り合った方が良いと考えるでしょうから。」
ウィルヘルミナは片目をつぶって笑った。
「とは言え、城の中で生きていくには、人脈も必要になりますわ。情報の豊かさは最大の助けになりますし、それには人脈の豊かさが重要でございますから。私が結婚する一年の間に、お義姉様には有益な人脈をご紹介します。お義姉様ご自身ももちろんお知り合いはいらっしゃると思いますが。取るに足らない人間も然も自分は立派だみたいな様子で近寄って来ますし、そのような有象無象を近寄らせない為にも正しい人脈作りはやはり重要ですわね。」
「殿下。まだお義姉様と呼んで頂くには…」
いつ頼んだのか、屋敷のメイドがガゼボにティーセットを用意し始めた。
「結婚はもう再来月の話しですよ。私の方が年上ですからそう呼ばれるのには違和感があるのかも知れませんが、そこは慣れて下さいませね。それとも、兄との結婚やはり嫌になってしまわれました?」
「いいえ、そのような…。」
「冗談です。でも、正直言いますと妃教育の大変さについていける人間は本当に少ないと思います。ヘンドリック兄上の妃、アントーニア様は体調を崩されて、結婚式自体が遅れてしまったのです。ですから、お義姉様のように何ともない事のように妃教育を受けているお方はとても貴重なのです。お義姉様ほど王家へ嫁ぐに相応しい方はいらっしゃらないと思います。」
「第一王子妃のアントーニア殿下は、後に国母になられる方。私よりずっと内容が難しく指導も厳しかったのだと思います。」
「いいえ。学ぶ事が習慣になっているかどうかはとても大きな事なのですよ。この国では婦女子に知見を広める必要はないと考える人が多くいます。特に貴族の娘たちは所作の勉強や刺繍などを習っていても、歴史や語学を学ぶことはございません。祖母の時代などは書ける文字は自分の名だけ。しかし、それが富の象徴だなんて言う貴族の娘も多かったようです。祖母はその常識に正面からぶつかり、一年の殆どを社交ではなく勉学に費やし様々な事を学び、実の親でさえも変った娘だと言っていたそうでございます。」
ウィルヘルミナはニッコリ笑って、紅茶を一口飲んだ。
「しかし、今は王妃として、病気がちな祖父に変わり政務や公務を行う事も度々ございます。祖母は、自らの経験から婦女子にも勉学は必要と考えていて、私にも兄たちと変らない教育を施してくれました。そう言えばお義姉様、この前は、ヤン・エパナスターシの出生地を覚え間違いをしていると言われていましたけれど…」
「なぜ、それを?」
「扉は開け放たれていましたからね。あれは、覚え間違いではなく、お義姉様は古い地名で答えただけではありませんか。出生地なのですから、出生当初の古い地名で答えても私は間違いだとは思いませんけれど。」
「今の時代に聞かれていたのですから、やはり新しい地名で答えるのが正解だったのです。」
ウィルヘルミナは、ため息を吐いた。
「人を作るのは、良い面も悪い面もその人の周りにいる人でございましょう?」
「えぇ。」
「ヴィレム兄上は、執務においては優秀な父や兄に囲まれて育ったせいか、努力を怠らないと言う面ではとても能力がある人なのですけれど、人の心の機微に関しては…妹としてももう少し学ぶべきところがあるのではと思う時が多々あります。」
ユリアーナは、どんな話になるのか分からず、相づちに困る。
「自分が出来るのだから、他人も同じ様に努力をすべきだと考えているところがあり、王子として生まれたために、周りの人々が兄に心を配るのであって、自分が人に対して心を砕くことを覚えずに来てしまったようです。」
ウィルヘルミナは大げさにも見えるような困った表情を作る。
「なので、お疲れの時は正直に、率直にそう言わないと兄上は何も感じ取ってはくれないし、わかりません。お義姉様、連日の妃教育に社交界でお疲れでしょう?こちらで少し休んでいて下さい。また、お迎えに参りますから。」
ニッコリと笑って、足早に去って行った。
∴∵
ウィルヘルミナがお披露目会のメイン会場に戻ると、近寄って来たのは、ヘンドリカだった。
「ご挨拶はよろしいの?」
「えぇ。一通り終わりました。お義姉様、しばらくお見かけしていませんでしたけど、どちらへ行っていらしたのですか?」
「ちょっとね。」
「ユリアーナ様も見かけないのですけれど、ご存じありませんか?ヴィレム様とご一緒の時に少し挨拶させて頂いただけで…。」
ヘンドリカは思案顔をする。
「実は…彼女の今日の態度には苦々しい思いをしておりましたの。今日は、私たちのお披露目会ですのに、この庭を我が家の様にあちらこちらへ行って四方八方へ良い顔をして…。エリーサベト様も同じ様に申しておりました。それに、こう言っては何ですけれど、婚約者だったコンスタンティン様の事があったのに、忌み明けもしないうちにヴィレム様との婚約。私、コンスタンティン様が不憫で…。」
ウィルヘルミナはヘンドリカに向って口角を少し上げて微笑んで見せた。それに気を良くしたヘンドリカは更に何かを話し出す。
「そう考えると、ヴィレム様も…」
「兄上は、もう正式な婚約者のいる身です。そうでなくても、王の孫。敬称なしで呼ぶのは相応しくありませんね。これからはご夫人となられる身ですから、社交界ではお気を付け下さいね。私がブラウェルス家に嫁げば、あなたは私の可愛い義妹。だからこその忠言だと思って耳を傾けて頂戴ね。」
「はい。心得ました。」
「それと…コンスタンティン様はまだ、亡くなったと決まったわけではございません。そのような言葉は、帰りを信じて待っている、エイクマンの皆さまにも失礼になるのではなくて?言葉には十分お気をつけなさいませね。」
ウィルヘルミナの微笑みは先ほどと同じ様な気がするのに、ヘンドリカは何故か冷気に絡みつかれている気がした。