薄氷の城

第 7 話 婚約内定

 六月の中旬、マッティス領での討伐を終えて帰って来た討伐特別編成隊の中に、コンスタンティンの姿はなかった。解隊式が終わり、王太子のマウリッツから先触れがあった後、いつもは内務長官という激務で帰りが遅いレネが帰って来たことで、ルイーセは最悪な報告を覚悟した。
 屋敷に訪れたマウリッツは、堅苦しい挨拶を省き、エイクマン夫妻と三人だけで話したいと、自分の護衛の騎士や、侍従を部屋から出した。

「皆で食事を摂ったあと、第二小隊と一緒に仮眠の時間に入ったらしいが、ブラウェルス家のトーマスが騎士同士の略語について教えて欲しいと言われていたのを思い出して、コンスタンティンのテントへ行ったが見当たらず、用を足しに行ったのかと、しばらくしてもう一度見に行っても戻っていなかったらしい。その後第二小隊で付近を捜索したが、発見に至らずにその日は日が暮れた。翌朝、第一小隊で探したところ、これが発見された。」

 マウリッツがスッと差し出したのは、認識票だった。しかし、二枚ある。
 レネがマウリッツの顔を真っ直ぐに見た。

「魔獣が現れていた場所近くの草むらに落ちていたらしい。」

 その日、コンスタンティンの捜索をしていたのは、第一小隊だった。本当ならば、休憩のはずの時間を捜索に当てられても、文句を言う者は一人もいなかった。陣の付近から探し始め、魔獣が出現した辺りになった時、隊員のアードルフが声を上げた。駆けつけたヒルベルトは彼が指した先を見た。そこには、認識票が落ちていた。ヒルベルトが拾い上げると、間違いなく、コンスタンティンの物だった。しかし、認識票は二枚一緒で、腕にくくりつける為に使われている植物の蔓まで付いて落ちていた。 “魔獣に引きちぎられたのか…” アードルフはヒルベルトに問いかけたでもなく、独り言のように言った。ヒルベルトは、何も言わずそれを自分のハンカチーフに包みポケットにしまった。

「そう言う経緯らしい。結局、次の日も落ちていた付近を重点的に捜索したが、コンスタンティンは見つからず、現場の指揮官の判断で捜索は打ち切られた。今回は魔獣討伐が目的だ。騎士を捜索作業で疲弊させるわけにはいかなかった。言いたいこともあるだろうが、事情を理解して欲しい。」

 
∴∵


 ユリアーナが事情を聞いたのは、マウリッツがエイクマン家を訪れた一週間後だった。
 そんなにも遅くなったのは、報せを聞いたルイーセが寝込み、レネは目が離せるような状態ではなかったからだ。
 コンスタンティンが訪れた時にいつも通していた客間で、ユリアーナはレネと向かい合って座った。赤いベルベットの布に包まれているものを、彼は胸元からゆっくりと出した。広げると、認識票が入っていた。

「殿下も、騎士を一隊捜索にと現地へ派遣してくれた。私の領地で警護をしている私兵も現地へ行かせている。マッティス家の私兵も捜索に参加してくれている。私たち夫婦は、あの子の帰りを待っている。この先養子を取るつもりもない。」
「ならば、私も一緒にエイクマン家で待たせて下さい。一緒にコンスタンティンの帰りを待ちます。」

 普段、貴族としても、この国の大臣としても、どんな状況でも殆ど疲れた表情を見せないレネだが、流石に疲れ果てているように見える。ユリアーナは自分でできる限りの優しい顔で笑うように努めた。
 レネは彼女の笑顔に釣られるように笑った。

「いいや。君は私たちのように、人生の山を過ぎた人間とは違う。これからの人生が君にはあるんだ。今は、新しい人生など…と思うかも知れないが、君が私たちの年齢になった時、新しい人生を歩んで良かったと、振り返る日が来ると思う。君はこれからの人間なのだから、あの子のことはもう忘れなさい。いいね?」

 レネが馬車に乗り込み、帰る姿をユリアーナは客間の窓から見ていた。コンスタンティンと最後に会った日と同じように。


∴∵


 王家から結婚の申し込みがあったのは、そんな報せがあってから半月も経たない時だった。ヴィレムの側近からの非公式な形での申し込みであったため、そんなことを考えられる時ではないと断わる事が出来たが、四度目の申し込みの時にはとうとう国王ヨハンの名前で正式な申し込みが来てしまい、断わる事が難しくなってしまった。
 そして、八月。ユリアーナはヴィレムとの面会を受け入れた。こうして、二人の婚約は内定した。

「ようやく、内定までこぎ着けた。」
「ありがとうございます。母上。」
「暢気に待っていたら、また横から掠われる所だったもの。これで、クリストッフェルとアンナとの結婚もなくなった。これが、一番丸く収まる方法だったのよ。」

 アンドレーアはシデリティスのハーブティーを満足げに飲んでいる。
 
「あなたも、良く頑張ったわ。」

 そう言って、少し微笑んだ。何の事だか分かっていないヴィレムに、

「あの特別編成の討伐隊にコンスタンティンを入れるように言ったのはあなただと聞いたものでね。」
「彼は文官でしたが、国防について色々と学んでいたようなので。今の課題である、エシタリシテソージャに頼らない防衛組織の構築のため、現場を見ておくのも良いと思ったもので…。」
「そう。戦闘経験も訓練もしていない若い彼をいきなり戦地に送ったのは、彼の成長を願っただけで、彼の万が一の不幸を願った訳ではないのね?」

 彼女の言葉に、ヴィレムの顔は少し歪んだ。
 
「私だって彼の不幸を望んでいたわけではなかったけれど…。リッティパゴウの討伐が終わるまでエリーサベトとの婚約は控えたいと言っていたから、この結末を予期していたのではないかと。私たちには良い方へ転んだと思ったものだから、つい考えすぎてしまったのね。分かったわ。国王陛下がお力添えを下さったおかげで、内定までこぎ着けたのだから、婚約を布告するまではユリアーナに断わる隙を与えないように、こまめに連絡をして贈り物などなさいね。これで断わられたら、あなたには先がないものだと心得なさい。」

 部屋を出て行けと言う、アンドレーアの合図に黙って従い、ヴィレムは部屋を出る。

「殿下、ハーブティーのお差し替えをお持ち致しますね。」
「いらないわ。ねぇスザンネ。ヴィレムが心配だわ。今は、クリストッフェルの頭を私が押さえつけて居られるけれど、ヴィレムは良くも悪くも正しくあろうとする。いつか、自分よりクリストッフェルの方が有能だと気が付いたら、自分の立場を譲ってしまうのではないかと…気掛かりなのよ。」
「ヴィレム様は大変優秀なお方です。ご心配には及びませんよ。」
「そうならば良いけれど…。まぁ、フェルバーンのような大きな家が後ろに付けば、あの子も下手な振る舞いはしないでしょうから、これで一つあの子の足枷が出来たことは良かったと思うわ。例え傷物令嬢だとしても、フェルバーン家と縁になることは有り余る成果ってところね。」

 アンドレーアは軽く笑った。
 
「殿下の侍従、ヘールトを呼んでちょうだい。」
「はい。畏まりました。」


∴∵


「アニカ様、そんなに気を落とさないで下さい。」
「ヴィレムとユリアーナの婚約が内定したことで、忖度して婚約を待っていた貴族たちが続々と婚約や縁組みを発表しているわ。名家であなたと年齢の合う令嬢たちもね。ブラウェルス家のヘンドリカはマッティス家のヴォルテルと。ヘンドリカの妹のドロテアには許嫁にフェルバーン家のヨハンがいる。ヴィレムの王子妃候補だったフェルカイク家のエリーサベトではまるで兄のお古をもらったみたいじゃない。やられたわ…アンドレーアに。」

 アニカは、そう言って窓の外を睨んだ。
 息子の結婚が上手くいかない悲しみ。自分が上手く立ち回れない悔しさ。愛しているのにそれを表現できない寂しさ。それを言葉に出来たなら、心はどんなに軽くなるのだろう。しかし、真実を言葉にしたらきっと崩れ落ちて、私はここで生きてはいけなくなるだろう。嘘が私をここに留め置いてくれている。

「あなたの結婚のことは、王太子殿下に一任しようと思うわ。私が関わったせいで、余計な心労をかけて悪かったと思ってる。もうあなたのことから私は手を引くから。」

 その表情はクリストッフェルの立ち位置からは窺う事はできない。

「アニカ様、今月のお誕生日に、」
「もうここへは来てはだめよ。花や手紙もいらないわ。私の存在は今日限りで忘れなさい。」
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