薄氷の城

第 10話 春一番の舞踏会

 毎年恒例の王妃主催の春の舞踏会。ブラウェルス辺境伯家のドロテアがデビュタントとしてユリアーナの弟ヨハンと現れた。その後ろには、ヨハンの妹アンナがマッティス辺境伯家の次男フリッツに伴われ入って来た。
 今年、十六歳になるアンナの本来のデビューは来年の舞踏会だが、通例より早くアンナが社交界デビューを果す事になったのは、社交界デビューをしないと来月に行われるユリアーナの結婚式へ出席出来なくなるからだった。
 アンナは、舞踏会のあとに正式に婚約者となるフリッツと一曲、兄のヨハンと一曲それぞれ踊り、フリッツと共に参加者へ挨拶して回ってから、王妃陛下に祝いの言葉をもらい、その後は柱の陰となっていて人々からは完全に死角になっているところを利用して、一息ついていた。同い年のフリッツは自分の友人たちと話しに花を咲かせている。

「ほら、今日も来ているわよ、ユリアーナ様。」
「あらっ、ヴィレム様の婚約者だと触れ散らかすことに今日も大忙しでございますわね。」

 アンナはその声に、少しだけ上体を反らし、声の主の後ろ姿を見た。
 そこに立っていたのは三人。両端の二人は、最新デザインのドレスを身につけてはいるが、布地は最高級とはほど遠い。真ん中の娘が着ているドレスはとても丁寧に良く仕立てられたドレスで、しかも王都で昨シーズンに大流行(おおはや)りしたデザイン。大流行(だいりゅうこう)してしまったために、今シーズンでの流行遅れ感が悲哀に満ちている。更にヘッドアクセサリーは流行が何回転もしていそうなむかし懐かしいデザインだが、何代も受け継がれ大切にするほどの宝石は付いていない。アンナは三人を値踏みしながら、きっと直接会話もした事もないであろう彼女たちを相手にするのも馬鹿らしいと心内に思った。

「婚約が破棄されたあんな傷物とヴィレム様が縁組みなさるなんてね。」
「コンスタンティン様に特別部隊に加わって勉強をしてはどうかと話したのが、ヴィレム様だった事もあって、責任を感じてしまわれたって話しよ。」
「それにしたって、一度でも正式に婚約を交わした女性は王家とは縁組みできないはずでは?」
「フェルバーン家としては婚約式を終えたわけではないから正式な婚約はまだと言う理屈なんですって。」
「まぁ、なんてずうずうしい。」
「あれほど聡明だと噂になっておりましたけれど、小賢しいの間違いでしたわね。」

 三人の嘲った笑い声がアンナを苛立たせる。
 フェルバーン家としては、ヨハン王から縁組の申し出が来た時、一度は王妃陛下から婚約の祝いの言葉を頂戴していたことを理由に縁談を断わった。しかし、あれはエイクマン家、フェルバーン家が正式に婚約式を行う前にしたただの談話であって、布告や声明の類いではないので正式な婚約とはならず、なんら問題はないと言ったのは王家の方だった。

「そもそも、ユリアーナ様がコンスタンティン様の婚約者になったのも、元々の許嫁、アンナ様があまりにも出来が悪く、エイクマン家から破談にすると言われたのを、エイクマン家との繋がりを絶ちたくないフェルバーン家がユリアーナ様に替えると申し出たそうですよ。」
「アンナ様との挨拶は質を下げないと理解出来ないだろうと皆様気を使って話されているご様子ですものね。」
「どんなに相手が不出来でも、フェルバーン家に恥を掻かせるわけにはいきませんしね。」

 アンナは持っていた扇子を手のひらに一定のリズムで叩く。
 挨拶回りをしていた時の話の内容があまりにも顧慮の必要のない内容だったのは、みんなが私に話題の水準を合わせてくれていたと言う事なのか…まぁでも、自分の評価はどうだって良い。そのように振る舞っていたのは自分自身で、そのツケはこれからの自分が払っていくつもりでいたのだから。
 だけれど、コンスタンティンとユリアーナのことは別だ。
 私は、父も母も姉も兄も好きだ。メイドも家の執事も好きだ。もちろんコンスタンティンも好きだ。だけれど、この好きが異国の物語などで出てくる胸を焦がす様なものではないことが分かっていた。とは言え、政略的な結婚なんて言うのは当たり前のことで、お互いに好意を抱いた上で縁組みをするなんて事はほぼない。だから、コンスタンティンを許嫁にと両親から話があった時、子ども心にも(いや)な印象のある相手ではなかったから良いかと思った。
 周りの友人たちは、許嫁と時間を共にする毎に一緒にいたいと思う気持が強くなったり、相手を独占したい気持ちが強くなったりすると言っていたのに、コンスタンティンにはそんな気持は一切持てなかった。それでも、一緒にいることは苦痛にはならなかったし、まぁこんなものだろうなどと思っていた。
 ある日、自宅の庭で話しているコンスタンティンとユリアーナを見かけた。ベンチに座り、コンスタンティンを見上げるユリアーナの横顔は、いつも以上に綺麗だった。コンスタンティンも見た人間の心を奪ってしまうのではないかと言う様な優しい笑顔だった。そんな二人を目にして最初に思ったことは、このまま二人が幸せになって欲しいと言う事だった。
 私はきっと、一生かかっても彼をあんな瞳で見つめることは出来ないし、いつか恋い焦がれる様な事になるのかも知れないが、それはコンスタンティンではないことは確かだった。二人の邪魔をする事など私には出来なかった。
 アンナは自分の手に打ち付けた扇子をぎゅっと握りしめた。

「それに加え、ごく一部とのお茶会にだけしか出席せず、深窓の令嬢だなどと噂されていたユリアーナ様も、お話しさせて頂こうとした方によると、一言もお話しなさらずにヴィレム様が全てお話しになっていたそうでございます。」
「噂というものは幾分誇張されるものでございますものね。」

 なぜ人は、自分が信じている噂話が幾分の誇張や湾曲したものだと思わないのだろうか。握った扇子に更に力を込める。
 ユリアーナがヴィレム殿下と一緒の時に殆ど話しをしないのは、殿下の性格を考慮してのことだ。
 以前、ユリアーナの誕生会でユリアーナの友人とユリアーナが他国の物語の続編が出版された話しをしていた時、殿下はその場では何も言わなかったが、家族だけになった時、女が他国の物語に興味を持つことに不快感を示した。その他にも、殿下の分からない話題を話し続けたことは自分への配慮が足りないなどとユリアーナに言っていた。それからユリアーナは殿下の様子を窺いながら会話をする様になった。こと、社交の場ではほぼ会話に加わることがなくなった。

「私は、こうなることが嫌だったのよ。」

 アンナは呟いた。
 この国には ‘男が女を守るべきであり、女は守られるべきである’ と言う考えが根底にある。その感覚は今や肥大化して、女は男に意見するべきではなく、黙って従うのが良い。女に学問は必要ないと考えている者も多くいる。
 しかし、父は食卓で政治の話しをしたり、領地の課題を話したりしながら、私やユリアーナの意見も面白そうに聞いてくれていた。そう意味では異端者と良く言われていたが、ユリアーナは父の話を興味深く聞き、自らの意見も楽しそうに話していた。父は、女も世界や外のことをちゃんと学び、自己判断できなければ、家庭を守ることは出来ないと考えていた。豊かな知識が夫や子どもの助けになると考えている人だ。ユリアーナは父も驚く様な対策や意見を出していた。
 そんなユリアーナが私にとっては憧れで、大好きだった。だから、ユリアーナを閉じ込めるのではなく、羽ばたかせてくれる男性と結婚して欲しかった。私の知る限りの最適解がコンスタンティンだった。
 アンナは、ゆっくりとした調子でフリッツの方へ歩き始めた。先ほどから会話を楽しんでいた三人は彼女に気が付き話しを止める。
 その後ろ姿は、 ‘さすがにフェルバーン家の令嬢’ と思わないわけにはいかないほど堂々としていて美しかった。
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