薄氷の城

第 11話 六月の花嫁

 ヴィレムとユリアーナの結婚は、伝統に則って六月に行われた。
 王族との結婚は、両陛下へ謁見し祝辞を賜る事で認められる。その後、ヴィレムが居城として譲り受けたオモロフォ城へ馬車で向い、城で関係貴族を招待したお披露目式を行う。
 王族との結婚では、新郎新婦の儀式での衣装、お披露目式の費用など結婚に掛かる費用の全てを貴族側が負担することになっているため、二代続けて王族と縁組みすると破産すると言われている。今回の費用ももちろん、ユリアーナの生家フェルバーン家が全て負担している。
 そして、王侯貴族の結婚で必要なのが、白い花のブーケだ。種類を問わず、白い花には ‘恩寵’ と ‘神からの贈り物’ と言う花言葉が付いている。その理由は、エパナスターシには何故か白い花が咲くことがないからだった。過去に、他国から仕入れた白色のジャスミンの種を植えたり、国内で交配を試したりもしたが、何度試しても、何を試してもエパナスターシの土地で白い花がつぼみにまで育つことがなかった。今でも度々研究者が様々な種類の白色の花を咲かそうと試みているが、未だ花は咲かない。
 そんな幻の白い花全般の花言葉が、 ‘恩寵’と‘神からの贈り物’ 。それに(あやか)って人知を超越した絶対的存在からの慈しみを受け、二人の結婚生活が長く幸せにあるようにと願って、白い花の造花をブーケにして花嫁に持たせることになっている。 
 ヴィレムとユリアーナは門のところで馬車から降りて、お披露目会の会場となる庭を見て回った。まだ使用人たちが準備に走り回っている。

「エルンストも、喜んで準備を進めた様だね。兄上の時ほどには豪華ではないけれど、心のこもった装飾だ。」
「はい。多忙な中でしたが、入念な準備をしてくれました。」

 ユリアーナは口角を意識的に上げて微笑んだように見せる。

「それじゃ、中へ入ろうか。」
「はい。殿下。」
「…夫婦になったのだし、殿下と呼ばれるのは…。」

 ユリアーナは、少し戸惑ったように笑って、

「そうですね。参りましょうか、旦那様。」

 ヴィレムは何か躊躇(ためら)ったように頷いて、ユリアーナの方に左腕を差し出した。
 城の中は既に、生活が出来るように十分に整えられていて、今日の控え室にと用意された一室に二人は通された。麦わら色の絨毯を中心に、チーク材の調度が配置されている。
 ユリアーナはドレッサーの前に座ると、ボーが軽く化粧直しを始めた。ヴィレムは中央にあるソファーに腰掛け、その姿をしばらく眺めていた。
 そうしているうちに、ノックをしてメイドが一人入って来た。

「お客様が、到着されました。」
「そうか分かった。ボー化粧直しは終わるかい?」
「はい。旦那様。」
「ユリアーナ、行けるかい?」
「はい。」

 ユリアーナが微笑んで返事をすると、ヴィレムも満足そうに笑って、コンフォートテーブルに用意された白い造花のブーケを手渡した。

「では行こうか。」
「はい。」
 
 ヴィレムの腕を取って現れたユリアーナは、伝統的な花嫁衣装を身に纏い、その姿は彼女自身が神聖なものであるかのように厳かな美しさがあった。
 肘から袖先にかけて広がっている長袖の総シルクのドレスは淡い青緑に染められ、刺繍が袖やスカートに豪華に施されている。
 ティアラは、王妃のルーセが自身が王太子妃になった記念に作らせた九百ものダイアモンドが使われた豪華なもので、神聖な光を意味する ‘アロス’と名付けられているものだった。ルーセが特別にこれを気に入っていたのは有名で、それをユリアーナに譲り渡したことは予期せぬ出来事で、回りを大いに驚かせた。

「アルテナ公爵、本日は誠におめでとうございます。」

 ヴィレムの挨拶が終わり歓談になった途端に話しかけてきたのはトーマスだった。ヴィレムの妹ウィルヘルミナと婚約中で、来年には義理の兄弟になる。

「あぁ。ありがとう。久し振りだな。トーマス。」
「騎士団から、国防府へ異動しまして、今は忙しくしています。」
「あぁ。文官になったのは聞いているよ。騎士が楽しいと言っていたのにどうしたのかと思っていたよ。」
「いずれは父の仕事を継がなくてはなりませんから。」
「勉強になっているかい?」
「はい。」

 ヴィレムは結婚を機に、爵位を賜りアルテナ公爵となった。婚約が正式に公表されてからは外交の勉強のため、外務府に所属していて、トーマスとはあまり接点がなかった。

「ユリアーナ様もおめでとうございます。」
「ありがとうございます。」
「お二人は大変お似合いのご夫婦ですね。本当にお幸せそうで。お二人の様な幸せを感じることができるのなら私も結婚生活が楽しみになります。」

 ユリアーナは、笑顔を作って、少しだけ下を向いた。目に入ったのは、フェルバーン家の家族がユリアーナのためにと愛情を込めて作ってくれたドレスだった。
 この国では、貴族も平民も花嫁衣装は、花嫁家族が仕立てることになっている。このドレスはコンスタンティンとの結婚式のためのもの。そのドレスをヴィレムとの結婚で着る事に躊躇(ためら)いはあったが、両親や弟妹がこのドレスに込めた思いは相手が誰であろうと変わりはないと思って着ることにした。伝統柄の刺繍は永久の幸せを願う柄とフェルバーン家に代々伝わる柄になっている。

「お二人にはこれからも変らぬお付き合いをさせて頂きたいと思っています。」
「あぁ。ありがとう。トーマス。」
「ありがとうございます。」
「トーマス。お久しぶりですね。お元気でしたか?」

 明るい声で話しかけてきたのは、マッティス辺境伯家のヴォルテルだった。隣にはトーマスの妹ヘンドリカを伴っている。トーマスは軽く挨拶を返すと、その場から去ってしまった。

「どうしたんでしょうか?」

 トーマスと言う男は、こちらが忙しくてもそんなのお構いなしに、自分が話したいことを話し続けるような男だ。その彼が軽い挨拶だけで去って行った事をヴォルテルは気にかける。 

「ヴォルテル、トーマスは騎士から文官になって、今は少し環境を変えたい時なんだろう。気にかけることはないさ。」
「折角、妹もいるのだから、久し振りにゆっくり話せば良いと思ったのですが…」
「私は、別の機会に話しますから。」

 ヘンドリカは、そう言って小さな声でヴォルテルにお礼を言った。それに彼は小さく頷いた。

「改めまして、アルテナ公、ユリアーナ夫人本日はおめでとうございます。」
「ありがとう。ヴォルテル。ユリアーナ、彼には外務府でいつも世話になっているんだ。」
「そうでしたか。お忙しい中、お越し下さいましたこと有り難く存じます。」
「ユリアーナ様とは来年親戚となりますから。これからも、良いお付き合いが出来ればと思います。」
「あぁ。ユリアーナの妹のアンナとヴォルテルの弟フリッツは婚約中だったか。」
「はい。今も二人で色々と挨拶をしていると思います。オモロフォ城へは四人で来ましたが、二人はなかなか上手くやっているようです。それでは…」

 ヴォルテルは、隣のヘンドリカを気遣いながらその場を去った。二人が良い夫婦の形を輪郭づけているのは二人を知らない人が見ても分かる様な姿だった。
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