薄氷の城
 七月に入り、日差しはますます強くなってきている。園芸用の白いフェンスに淡い青色のプルンバーゴが巻き付き、咲きこぼれんばかりになっているブラウェルス家の庭で、ウィルヘルミナはユリアーナと時を過ごしていた。ここの嫡子トーマスと結婚をして一年。
 庭先には乳母と楽しそうに遊んでいる子どもの声。

「お義姉様(ねえさま)、今日ここへ来ることは兄上に何も言われませんでしたか?」
「えぇ。ウィルヘルミナとのお茶は快く送り出してくれるわ。でも、エフェリーンまで本当に良かったのかしら?」
「えぇ。構いませんよ。私も可愛い姪に会いたかったですから。」

 ウィルヘルミナの言葉にユリアーナは小さく笑った。
 
「兄上は、男の子を異常に欲しがっているでしょう?」

 ユリアーナは頷いて、
 
「公爵家なのだから、早く嫡子をと望むのは仕方のないこと。幼なじみたちがそろって男の子を授かったから少し焦っているみたいで。」
「うちもです。」
 
 ウィルヘルミナとトーマスの間に子どもはまだいない。最近のトーマスは、焦りを通り越し、苛立ちさえも見て取れるようになってきた。そんなトーマスの態度にウィルヘルミナはうんざりとしていた。

「どこから仕入れたのか分からない子宝に恵まれる方法を私にあれこれと試させようとして…私はそれ以前の問題だと思いますけれど。最近では信憑性の怪しい神術のようなものまで…。部屋に飾る様なものは全てメイドに片付けさせていますけれど。」

 ウィルヘルミナは明るく笑って話した。

「我が家は王家ですから、貴族の家とも少し違っているかもしれませんが、母はとにかく男を価値あるものとして尊重しておりました。女である私は、生まれた時から母にとっては価値ないものでした。」

 ウィルヘルミナは、自分のことの様に悲しそうな表情をするユリアーナに、励ます様に笑顔を向ける。

「祖父母や父は唯一の女の子だった私を可愛がってくれていましたし、寂しくはなかったのですよ。それより、小さな時に子どもを交えたお茶会で一度ご一緒していたのを覚えていらっしゃいますか?」

 ユリアーナはティーカップに手を伸ばそうとしたのを止め、少し考えた。

「モンドリアーン伯のお茶会かしら?地域の子どもたちが作ったケーキなどを売ったチャリティーバザーも一緒の。」
「えぇ。そうです。」
「王家のお子様が出席されていたと聞いてはおりましたが…」
「はい。お話しは致しませんでした。夏の盛りで…」
「私も、ゼラニウムがとても綺麗に咲いていて、良い香りだったことを覚えています。」
「えぇ。そうでした。私、あの日のあの庭がとても印象的でした。」


∴∵


 私は、幼いころ引っ込み思案な子どもだった。母は私に対して無関心で、物心ついてから今までを振り返っても母が私の部屋へ訪れてくれたことは殆どない。
 あの日は、地域の孤児院で作った商品を売る、子どもたちのためのチャリティーバザーも兼ねた茶会だった事から普段は数にも入れてもらえなかった私も母と一緒に茶会へ出席した。
 それが、誰に言われたことだったとしても、母と一緒に出かけられることが嬉しかったことを良く覚えている。
 菓子や小物を売る子どもたちと、貴族の子どもたちなど同年代の子どもたちが沢山出席していた。汚れていなくても着古した姿の子どもと綺麗に着飾った子どもたちの対比は今も目に焼き付いている。
 私は貴族の子どもとの会話も、売り子の子どもたちとの会話も弾まず、一人で庭の端へ歩いて行った。

「お前、自分が偉くなったと思ってるのか?何が伝統の伯爵家だ。お前は偽物だろ。お前は、男爵家の次男だ。」

 ダークブロンドの癖のある髪の男の子が、同じ様にくせ毛の二回り大きな男の子に蹴られていた。
 私は急いでヴィレム兄上のところへ行った。事情を話さず兄を引っ張り裏庭まで連れて行った。私は指さし、

「あの子を止めて、お兄様。蹴られていて可哀想よ。」
「あぁ。フェルバーン家のヨハンか。あれは実兄のカスペルだ。男同士には色々あるんだ。ここで口出すわけにはいかないよ。カスペルだってもう少しすれば自分が馬鹿なことをしたって分かるだろう。その時にヨハンがどのような対応をするかで彼の人間性が分かる。関わらないことが良い時だってあるんだ。」

 そう言ってヴィレム兄上は行ってしまった。一緒に来ていたのがヘンドリック兄上ならば止めてくれたかも知れないと思いながら、この場にいる誰より地位があるはずの自分が声を上げられないことに私は酷く落ち込んだ。自分の無力さを思い知った瞬間だった。
 その時、彼と同じダークブロンドの髪を腰ほどに伸ばした少女が自分の横を通り抜けた。その私より小さな少女の後ろ姿は清く美しく強かった。

「何か、私の弟に不手際がございましたか?それならば、父母が近くにおりますので、呼んで参りましょう。それか、私がご用件を承りますけれど?」

 自分より随分と大きい少年に怯むことなく、澄んだ声は堂々としていた。大柄な男の子はその場から逃げていってしまった。

「ヨハン。また、お兄様に悪戯されていたのね?何故、何も言い返さないの?僕はフェルバーンの正式な跡取りだと言い返せば良いのに。」
「僕は本当は、継ぐものを持たない次男だったのに…」
「ヨハン。これだけは覚えておいて。確かに貴方はお父様やお母様の子ではないわ。」

 少女は、少年の前で屈み、彼の服に付いた土などを払いながら話し続ける。
 
「でもね、お母様は次に子どもを産めば命が危ないと言われていたそうなの。ヨハンは一人の命を救ったのよ。私やアンナにとっては母を救い、お父様にとっては妻を救ってくれた。命の恩人よ。貴方は私たちの大切な家族。もし、また同じ様なことが起こったら、私たちの元へ早く戻ってきなさい。貴方が一人で苦しむことの方がお父様やお母様は辛いはず。家には必ず私が居るから、そのまま私たちの元へ戻って来て。逃げてるなんて思わなくて良い。いつでも待ってるから。」

 二人は手を繋ぎその場を去って行った。

「あの子、羽は生えていないけれど、天使なんじゃないかしら。」

 私は、一瞬でその少女のことを好きになってしまった。


∴∵
 

「ねぇ。お義姉様。兄上にどんな事を言われても一人で悩んだりしないで下さいね。私たち同志ですもの。お義姉様のお話し私はいつでも聞きますから。遠慮せず、遊びに来て下さいませね。」
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