薄氷の城

第 13話 嘆息

 時は更に一年が過ぎた。

 ヴィレムは、執務室のあるイペロホス城から、カサロス城へ馬車で移動していた。城門を潜ってからしばらく真っ直ぐに進み森を抜けると小さな門が見えそれを潜ると、青や紫の鮮やかなアガパンサスの花が目に入った。あれはまだ学院を卒業する前で、卒業を祝うための茶会だった。それが初めてユリアーナと話した日だった。
 エントランスに着いたヴィレムは、慣れた足取りで城の中を進む。母のアンドレーアに呼ばれた為だが、話しの内容は大方察しが付いている。
 いつもの様に、騎士の声かけがあり、重厚な扉は開いた。
 アンドレーアは言葉を発さずに、ヴィレムに近くに寄るよう指示する。何の挨拶や前置きなどなく話し始めるのは、アンドレーアにとって自分との会話は愛する息子との会話ではないからだろうかと、ヴィレムは考えたりしていた。

「また、女の子なんですってね。」

 アンドレーアが飲んでいるハーブティーからは独特の香りが漂い、それは向かいで立っているヴィレムの元にも届いている。

「これはね、よく効くのよ。何故だか最近みぞおち辺りがキリキリと痛くてね。以前にもあったのよ。こんなことが。アニカがこの城に来た時とかね。」

 アンドレーアは自分の向かいの席を指さす。ヴィレムは素直にそこへ腰掛ける。

「ハルセマ男爵家の長女は知っている?」
「男爵家がブラウェルスの一族の家だと言うことくらいは。」
「そう。末端の家でね、娘の嫁ぎ先に苦慮なさってるの。女の子の結婚はお金が掛かるばかりでね。」

 ハーブティーを一口飲んで、ニッコリと笑った。

「だから勤め先を世話してあげる事にしたのよ。来月からあなたたちのお城に一緒に住むことになったわ。男爵家の娘さんだから礼儀作法は一通り出来るでしょうから、メイドにどうかと思ってね。せめて眺めの良いお部屋を用意して差し上げなさい。気立ての良い娘さんよ。」


∴∵
 

「ユリアーナ様、薬草茶でございます。」

 ユリアーナが結婚前から継続している歴史の勉強を終え部屋へ戻ると、ボーがすかさず持って来た。これは、第二子のマリアンネを産んだその日から続けられている新しい日課だ。
 今まで、自分に力があるなどと(おご)った考えを持っていた訳ではないが、特に自分の非力さを感じるようなこともなかった。けれど、公爵家の女主人と言う高位に就いて初めて感じた。人目がある中で、自分の力が及ばないことがある、その事の恐怖。
 同じ様な事で傷ついている女性が目の前にいたのなら、私は、子供は授かり物だと、あまり気を煩わせないようにと、言うだろう。他人事であれば。
 ユリアーナはあの日の事が忘れられない。
 その日は、朝、ヴィレムを玄関まで送り、新しく産まれる子どものためのおくるみに刺繍を施していた。
 おくるみの花の刺繍が終わり、ほつれ止めのブランケットステッチをしていた時に陣痛はきた。
 分娩用に用意していた部屋に移り、数時間。ヴィレムにその報せが届いてから五時間ほどで第二子は生まれた。

「また女か…。」

 部屋に入ってきたヴィレムはそう言うと、ユリアーナに声をかけることもなく出て行った。しばらくして戻ってくると、嗅いだことのない匂いの薬草茶を持って来た。

「それは何でしょうか?前の出産の時は薬草茶など飲まなかったと記憶していますが。」
「サーフマ山で採れる野草を煎じた野草茶だよ。」
「熱や痛みに効くと言う薬草ですか?」
「他に数種の野草を混ぜて飲むと、男の子を授かるのだそうだ。これを今日から毎日、朝昼晩飲む様にするんだよ。」

 ユリアーナは優しく肩に触れたヴィレムの手を反射的に避けてしまった。そして、妙に優しい笑顔だけが脳裏に焼き付いた。


∴∵


「それじゃ、エヴァリスト、おじいさん行ってくるね。二人の作った農具はとっても良く売れるから、楽しみにしてて。あと、薬草も買ってくるから。」
「無理せず、暗くなる前にちゃんと帰ってくる様にな。」
「はいはい。」

 エヴァリストは、不自由な左足を引きずりながらエディットを玄関まで見送る。二人の息子、ジョセフとダニエルもエディットを一緒に見送る。

「エディット、気をつけて。」

 エヴァリストと一緒にジョセフがエディットに笑顔で手を振ると、兄の真似したダニエルも手を振る。

「二人とも、お父さんの言う事を聞いて、良い子にしててね。」

 二人の元気な返事を聞いて、エディットは手を振り返し町に向って歩き出した。
 エディットたちが住む山から町までは往復で五時間かかる。帰りに山道を明るいままで登る事を考えると、昼過ぎには町を出なくてはいけない。できるだけ早く朝市に着きたくて、エディットはつい足早になる。

「きゃっ。」

 一昨日に降った雨のため、ぬかるんでいるところに足を取られ、転倒しそうになる。
 エディットが朝市に着いた時には既に何軒かのお店が開店していた。いつもの場所に背負っていた鍬や鎌、鋤などを並べる。

「やぁ、エディット。」
「あら、お久しぶりですね。」
「これと、交換して欲しいんだけど。」

 カゴにいっぱいの野菜や果物を持って来たのは、この近所で農業をやっているデニス。いつも新鮮で美味しい食べ物を持って来てくれる。

「どうぞ。今日は何?」
「鍬を新調したくてな。」

 何本かある鍬を握ったり、軽く振ったりして一本に決めた。

「じゃあこれを。」
「はい。いつも美味しいお野菜ありがとうございます。」
「こちらこそ。物々交換してもらえるからいつも助かってるよ。それじゃ、がんばって。」

 正午を知らせる鐘が鳴り、持って来た品物もほぼ売れたので店じまいすることにした。朝市の中央付近にあるいつもの薬草屋に行く。

「こんにちは。」

 エディットが明るく挨拶すると、まるで来たのが迷惑だったかの様な困った顔をされた。

「ごめんね、エディット。実はいつもの薬草がだいぶ値上がりしてね。このひと束で、銀貨一枚なんだ。」
「えっ?いつも山盛りで銀貨一枚なのに…五倍近くもするの?」
「これを売りに来た商人によれば、どこかの高貴な方がこの薬草を大量に買い占めたらしくてね。殆ど入荷もないような状態らしい。元々高山の絶壁にしか生えなくて一度に採る量が限られているからね。うちもこのひと束しか仕入れられなかった。」

 この薬草は、痛みや熱によく効くもので、数年前に魔獣に襲われ傷を負ったエヴァリストには欠かせない薬草だった。

「王都へ行けば、魔術で治療してくれる人もいるし、そっちも考えてみたらどうだい?」
「エヴァリストは足も悪くて、山を下りられないの。」
「そうなのかい。それは悪かったね。」
「いいえ。いいの。それじゃ、このひと束頂戴。」
「銅貨五枚でいいよ。」
「半額じゃない。」
「今日はそれでいい。」
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